台湾の俳優で今年に初監督映画作品『左耳』を公開した蘇有朋(アレックス・スー)が9月1日のインタビューで東野圭吾作品をまもなく映画化すると発表しました。中国語圏における東野圭吾作品の映画化の話は今年になって2度目で、5月21日にはオフィス北野と提携したこともあり日本人には馴染みのある中国人映画監督・賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が映画会社設立の記者会見で中国初となる東野圭吾の小説を改編した映画作品を制作すると発表しました。

 両者ともまだ東野圭吾の何の作品を使用するのか具体的なことは何も言っていませんがこの発表に中国のネットユーザーは喜び、特に中国でも非常に知名度の高い『容疑者Xの献身』(中国語タイトル:嫌疑人X的献身)と『白夜行』(中国語タイトル:日本語と同じ)は韓国では既に映画化されているため、ついに中国語版が出るのではと期待が高まりました。その一方で、果たして規制の厳しい中国で『白夜行』のラストを再現できるのだろうかという心配の声も上がり、映画化する以上は原作通りにして欲しいというファン心理が感じられます。

 まだ映画化する作品すら決まっていないのに一喜一憂する状況に中国で東野圭吾が如何に人気があるのか知ることができます。国内ものより海外翻訳ミステリの方が読まれている中国では東野圭吾の名前は好きなミステリ小説家として上げられるほどポピュラーであり、ミステリ小説の代名詞の一つとしても数えられています。そこで今回は中国ミステリにおける東野圭吾について触れていきます。

 中国での東野圭吾人気について手っ取り早く売上の面から説明します。

 中国における外国人作家の作品の年間売上をまとめた『外国作家富豪ランキング』によりますと2010年では11位の黒柳徹子と9位のミラン・クンデラに挟まれた10位だったものの、2011年には村上春樹に次ぐ5位にまで浮上しました。更に2012年には6位に2013年には8位にまで下がったものの、2014年には同年5月に発売された『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(中国語タイトル:解憂雑貨店)の効果もあってかカーレド・ホッセイニに次ぐ2位にまで躍進しました。

 この売上を見ると中国では東野圭吾が既にミステリ小説の枠を超えて一般読者にも十分に受け入れられていることがわかります。そして中国ミステリ小説には単純な形で東野圭吾人気の影響と弊害を見ることができます。それがキャッチコピーです。中国ミステリにはミステリ初心者の注目を集めるために東野圭吾の知名度を利用していると思われるものが数多く存在します。以下にその一部を紹介します。

 まず外せないのがこのコラムでも何回か取り上げたことがあるミステリ小説家の周浩暉です。『中国の東野圭吾』の異名を持つ彼の作品はストーリー性に優れて読みやすく、登場人物の内面描写に富んでいると言われていますが、それが異名の由来になっているのかは不明です。知名度の点で言えば間違いなく中国国内で最も有名なミステリ小説家の一人でしょうが、もし売上や知名度など表層的な特徴のみで似ていると言われているのであれば周浩暉も不本意でしょう。

 犯人と警察の高度な知恵比べと劇的などんでん返しが魅力の『高智商犯罪』シリーズを書き続けている紫金陳は著書のプロフィールに「東野圭吾の作品に引けをとらない」とわざわざ書かれていて、『高智商犯罪 死神代言人』(2013年)の本の帯には「東野圭吾に匹敵できる中国版『容疑者Xの献身』」という推薦文があり、確かに作品の雰囲気が似ています。

 赤飛蝶蝶『九度空間』(2014年)には「スティーヴン・キング的な始まり方、東野圭吾的な方程式による謎解き、ヒッチコック的などんでん返しの結末」という風呂敷を大きく広げた推薦文が書かれ、何襪皮『為她準備的好躯殻』(2014年)はアマゾンの紹介文に「『白夜行』や『白日焔火』に匹敵する」と書かれ、徐然『殺手挽歌』(2011年)に至っては「東野圭吾も驚嘆するサスペンスと真相」という堂々としたキャッチコピーが本の帯に書かれていました。

(注:『白日焔火』とは中国東北地方のハルピンを舞台にした恋愛サスペンス映画です。内容が『白夜行』と似ていることから『東北版白夜行』と言われています。)

 中国のミステリ業界には『東野圭吾的なミステリ小説』のジャンルが存在し、中国人読者が中国ミステリに対してそれを求めているかはともかく、出版社側にそれらを売り出したい思惑があることがここから見て取れます。

 中にはミステリ小説に感動要素を無理やりねじ込んだだけで『中国の東野圭吾的作品』と銘打つ駄作もあり、紫金陳のような実力派も出版社側に東野圭吾と似ていると評せられる状況は今後変わらなければいけないのでしょうが、一読者として次はどんな東野圭吾的なミステリ小説が出てくるのか期待している面もあります。

 中国ミステリと東野圭吾を語る上で欠かせないのが2011年にネットで話題になった版権不許可問題です。事の発端は2010年に App Store で東野圭吾の作品の海賊版が見つかったことから始まります。そして海賊版が存在し且つその電子書籍が中国語であったことに憤慨した東野圭吾が2011年の8月に今後中国に自著の版権を売らないと宣言したと言われており、中国のミステリ読者はもう東野圭吾の新作が読めなくなるのではと焦りました。

 なぜ「言われている」という曖昧な書き方をしたのかと言いますと、この話題が中国のネットに上がって騒動になってから今日まで肝心の東野圭吾及び日本の出版社からの公式な発表が何もないからです。この件は中国国内でのみ慌ただしく騒がれたわけですが、この話題を最初にマイクロブログ(中国版Twitter)に上げて情報を拡散した人物が東野圭吾の『聖女の救済』『ガリレオの苦悩』などの作品を出版した鳳凰雪漫(元・青馬文庫)の編集長・鐘?炬であり、その後もミステリ評論家の天蠍小猪やその他のミステリ小説家が次々とコメントを出したことからおそらく本当だったのではないかと思われます。

 そしてこの版権不許可問題は読者に進展を見せることなく収束したようで、2012年12月に中国における東野圭吾作品出版再開の第一段として『真夏の方程式』が発売され、翌年2013年1月には『マスカレード・ホテル』が発売されました。その後も順調に中国語版が出版され2014年には『ナミヤ雑貨店の奇蹟』が発売され、更に映画化の話が二度も出てきた2015年現在に当時の騒動を振り返ると版権問題などまるで存在しなかったようです。

 中国でまだまだ続くだろう東野圭吾人気と作品の順調な出版、中国人ミステリ小説家の東野圭吾のフォロワー化を見ると、読者が待望している東野圭吾本人の訪中が近々実現するのではという期待を抱いてしまいます。ただしそこに至るまでクリアしなければならない障害は多そうです。

 中国人読者は今後も東野圭吾の作品のみならず彼の行動に一喜一憂する状況が続くでしょう。

阿井 幸作(あい こうさく)

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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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