書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
先の台風で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。一刻も早く復旧されますように。すっかり肌寒くなりました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。読書の秋にふさわしく、今月も七福神をお届けします。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
北上次郎
『もう過去はいらない』ダニエル・フリードマン/野口百合子訳
創元推理文庫
八十八歳のバック・シャッツ、ふたたびの登場だが、今回は2009年の「現在」を中心にしながらも、1965年の「過去」をどんどん挿入するという構成が効いている。息子の離反、警察内部の対立、社会の不安という「過去」が静かに立ち上がってくる。優しくなんてしていられるか、というこの爺様の出自がよくわかるような気がするのである。
川出正樹
『髑髏の檻』ジャック・カーリイ/三角和代訳
文春文庫
逃亡中の連続殺人犯ジェレミーが帰ってきた! しかも今回、出ずっぱりで“愛する弟”カーソン刑事を翻弄しつつもしっかりとサポートするのだからたまりません。ミステリ史上最狂の頭脳を誇るヤンデレ兄ちゃんが活躍する回は、シリーズの中でもレベルが高く、ケンタッキーの山中で起きる動機の見えない連続殺人を収斂させていく手際は実に見事、『百番目の男』に勝るとも劣らぬクライマックスも込みで、広くお勧めしたい逸品です。とりわけ、謎解きミステリ・ファンは必読。
現代社会の暗部——ヘイト・クライム、マイノリティ差別、宗教問題など——に動機を求めているにもかかわらず読んでいる間いやな気分にさせられることなく、爽やかな印象を残して本を閉じられるのも素晴らしい。こういう高度な目配りが出来ているミステリってなかなかないんだよね。シリーズ第六弾ですが、この作品から読んでもまったく問題ありません。ただし、『百番目の男』と『ブラッド・ブラザー』を読んでからだと、より一層愉しめるので、この機会に併せて手に取ってみることをお勧めします。
霜月蒼
『弁護士の血』スティーヴ・キャヴァナー/横山啓明訳
ハヤカワ文庫NV
「ジョン・グリシャム+ダイ・ハード」みたいな評言が帯に引用されていて、「アメリカ人のこの手の形容は雑だからなあ」と話半分で読みはじめたら本当だったので驚いた。
やさぐれ弁護士が娘を誘拐されて、ロシアン・マフィアの裁判の法廷に爆弾を持ちこむことを強いられるというノンストップ・スリラー。冒頭一行で本題に突入、タイムスパンは裁判開始から終了まで、舞台はほぼ裁判所の中だけ、主人公には敵の監視つき——と、時間と空間と反撃の手段に厳しい制約が課され、その中でアイデア満載のアクションとエピソードがぎゅう詰め。法廷での戦いでも半端な逃げを打たずに、ちゃんと弁論で敵をやっつけるのである! この原価率の高さはスリラー作家としてのキャヴァナーの志の高さの証である。偉いぞスティーヴ。
今年のエンタメ・スリラーとして最上級の一冊。最高に痛快である。
吉野仁
『彼女のいない飛行機』ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳
集英社文庫
18年前、墜落した飛行機には二人の女の赤ちゃんが乗っていたが、奇跡的に生き残っていたのは一人だけ。その子はだれなのか、という謎をめぐるフランス・ミステリ。二つの家の対立、調査を続けていた探偵が残した記録、そして女の子が18歳になったいま、新たに起きた事件。これらが絡みあう凝ったプロットとひねりのある展開で、真相を知らずにはおれなくなる作品だ。もう一作、トム・ロブ・スミスの新作『偽りの楽園』(田口俊樹訳/新潮文庫)は、「真実を話しているのは母なのか、それとも父なのか」という引き裂かれた家族ものであり、スウェーデンの農場を舞台にしたサスペンスでもある。『出口のない農場』が気に入った方は、こちらも必読! 農場ミステリ、略して農ミスに間違いはない。
千街晶之
『街への鍵』ルース・レンデル/山本やよい訳
ハヤカワ・ミステリ
八月のベストは、私が解説を書いたジャック・カーリイ『髑髏の檻』以外から選んだ。今年逝去したレンデルのノン・シリーズ長篇である本書は、連続殺人のフーダニットの物語として読むとやや反則気味だが(いくら伏線が張ってあるといっても……)、DV男の精神的支配から脱してゆくヒロインを待つ運命の物語としては読み応え充分だし、代議士もホームレスも登場するイギリス格差社会を、ロンドンの地理を緻密に書き込むことで曼荼羅のようにシンボリックに俯瞰した構成も見事。レンデルの未訳作品にこれくらいの水準のものが残っているのであれば是非邦訳していただきたい。
酒井貞道
『もう過去はいらない』ダニエル・フリードマン/野口百合子訳
創元推理文庫
ジャック・カーリイ『髑髏の檻』と悩んだ末に、今はこちらをチョイス。作中の時間は前作から1年が経過し、主人公バック・シャッツは既に88歳。老化は一段と進んでいるし、今回は《敵》の大泥棒イライジャも78歳で、十分に後期高齢者である。しかし本書の売りが老いだけでないことは強調しておきたい。昔語りという形で、人種差別問題、そして父親が社会的正義感に目覚めた息子の青臭さにいかに対峙するかなど、シリアスでセンシティブな問題に、作者は真正面から取り組む。おまけに大泥棒イライジャの手口は奇想天外だ。老人云々を度外視しても、心から楽しめるのだ。
杉江松恋
『街への鍵』ルース・レンデル/山本やよい訳
ハヤカワ・ミステリ
8月といえばこれもあったじゃん、あれもあったじゃん、と興奮して選びかけて頭を冷やしてみると、ゲラで読んだ作品ゆえ刊行すらまだなのでした。待て、後日。さて、トム=ロブ・スミスありジャック・カーリイあり、ダニエル・フリードマンあり、と豊作にも程があった八月だが(二八なんてとんでもない!)、その中で私の心をとらえたのは、御大ルース・レンデルの、しかも20世紀に発表した作品なのであった。21世紀に入ってからの長篇、出ないかなあ。
これが何がおもしろいかというと、完璧な美貌を持つヒロインがDV男に引っ掛かり、その影響下から脱出していく過程で新しい恋を見つけ、というロマンスが主軸になり、その背景にホームレスを殺害しては塀の上に遺体を串刺しにしていく殺人鬼(「串刺し公」と名前がつく。ヴラド・ツェペシュか!)の捜査が展開していくという構成になっている点で、無垢なヒロインの目から老若さまざまな男性に対する評価が行われるのである。全体を読み通して、あ、これ、あの作家のあの短篇のプロットと同じだ、と思いついたが、もちろん題名は書けない。その中でも最低の男は最初のDV野郎で、骨髄移植のドナーとなったヒロインが、その手術で背中に小さな傷を負ったのを見咎めて「きみの完璧な体が損なわれた。罰を与えなければ」とか言い出すんですぜ。キモい! もう一人、犬を散歩させることを生業にしている老人が出てくるのだが、これが社会に対するルサンチマンを抱えているような男で非常に滑稽である。このへんのひどい書きぶりがいかにもレンデルで(ちょっとバーバラ・ヴァインの匂いもして)、たまらないわけなのだ。意地悪です。素敵です。
またもや豊作であった8月。そろそろ年末ベストテン選びアンケートの声がかかる時期になりましたが、正直今年は悩む。というかベストテンだと選べないからトウェンティにしてほしい! という切なる心の叫びを上げつつ次月へと続きます。どうぞお楽しみに。(杉)