L’ombre chinoise, Fayard, 1932[原題:影絵(志那の影)]

『メグレと死者の影』榊原晃三訳、河出書房新社メグレ警視シリーズ48、1980*

『影絵のように』望月芳郎訳、創元推理文庫252、1961

Tout Simenon T17, 2003 Tout Maigret T2, 2007

TVドラマ『L’ombra cinese』ジーノ・セルヴィ主演、1966(第6話、4回連続)[影絵]

TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、1969(第8話)

TVドラマ『Maigret et l’ombre chinoise』ブリュノ・クレメール主演、2004(第49話)

TVドラマ『L’ombra cinese』セルジオ・カステリット主演、2004(第2話)[影絵]

(前略)『男の首』を読みかえしたら、もっとメグレとつきあいたくなった。二十数冊、読みかえしたなかに、『メグレと死者の影』という作品があって、原題をL’Ombre Chinoise、『影絵』という。

 シナの影で、影絵というところを見ると、フランス人は影絵あそびや影絵芝居を、東洋発生のものだと考えているのだろうか。シムノンを読みなおすあいだに、山本慶一の『江戸の影絵遊び』という本も、手にとった。草思社の刊行で、値段は千六百円。手指を組みあわせる影絵から、幻燈うつし絵まで、絵入りで解説してある。いい本だったので、産経新聞夕刊に、書評を書いた。今回のタイトルを、「影絵」としたのは、それだけのことにすぎない。われながら、いい加減なものだ。

 まず本作のタイトルについて。上に引用したのは小森収編『都筑道夫の読ホリデイ』上巻(フリースタイル、2009)に収められた、「影絵」という書評エッセイの一部である。「志那の影」で「影絵」を意味するとは知らなかったが、この都筑道夫氏のエッセイが目に留まったおかげで悩まずにすんだ。

 タイトルはアパルトマンの窓に映る人影を意味している。私は本作を読んで、最初期の作品『死んだギャレ氏』を強く思い出した。ここ数作において、作者シムノンの物書きとしての技量は一進一退を繰り返しているように見受けられるが、今回はシリーズの始まりに立ち返り『死んだギャレ氏』をなぞっているかに思えた。

 本作のメグレは最初期のようにひとり呟き、何度も怒りを露わにする。そしてときには自分の予想が的中して喜びを隠さず表に出す。地の文には「!」が大量に現れる。こうした文章は久しくなかったことだ。「!」が乱舞しているといってもいい。登場人物たちも、ある者は憎しみを、ある者は恨みと怒りを抱えている。そして別の者が背負っているのは哀れみだ。物語の最後には、それぞれの感情が極限にまで達する。世界のすべてがまるで激情に駆られているかのようだ。

 そして後半で、次の印象的なフレーズが現れる。

《彼は口笛を吹いていました……そしてとつぜん、わたしにはもう何も聞こえなくなりました……(すべて傍点)》

 これも『死んだギャレ氏』の終盤のフレーズを連想させる。このように熱気を孕んだ物語も、またメグレシリーズの持つひとつの側面だ。読み応えのある一作だと思う。

 本作はオーソドックスな犯罪捜査小説の構成を採用している。すなわち、冒頭で殺人事件が起き、探偵役のメグレが聞き取りを進め、その謎を解き明かしてゆくという展開である。ただしふたつの特徴がある。ひとつは『怪盗レトン』『男の首』以来、初期のメグレものにしては珍しくパリ市内が舞台になっていること。もうひとつは作者シムノンがシリーズの長期化を見据えてか、レギュラーキャラクターの見せ場をつくり始めたことだ。

 とくに前者の特徴は本作の読みどころにもなっている。河出書房新社のメグレ警視シリーズは表紙見返しの部分に主要舞台の地図が載っているのだが、今回はパリ市内で事件が完結することもあり、この地図が初めて大いに役立った。メグレの足取りを読者も確認することで、いっそう光景が目に浮かんでくる。

 物語の時期は、肌寒い10月30日から11月の万聖節ころにかけて。夜の10時、パリ警視庁にいたメグレは電話を受けて、近くのヴォージュ広場のアパルトマンへと出向いた。血清試験所を営んでいたレイモン・クシェ氏が事務所で撃たれて死んでいると、女管理人から通報があったのだ。メグレが中庭に立つと、アパルトマンの窓にさまざまな人影が見えた。二階の部屋では元外交官の夫人がちょうどお産をしており、人が行ったり来たりしているのがわかる。いちばん奥の建物にクシェ氏の事務所があり、机にのめっている男の影が窓越しに見える。影が動かないのでごみを捨てにきた女管理人ブルシエ夫人が不審に思ってなかを確認し、犯行がわかったというわけだ。クシェ氏の体はちょうど金庫の扉を塞ぐ格好になっていた。金庫のなかから36万フランもの大金がなくなっていたが、現場を見る限り、犯人は窃盗の後にクシェ氏を撃ったようだ。

 中庭に面したアパルトマンには28人もの居住者がいる。だがそのとき中庭にやってきた男がごみ箱を確認し始めた。マルタンというその役人は、手袋をなくして探していたのだ。中庭からは三階のマルタン宅の窓も見える。マルタン夫人の影があった。

 クシェ氏は妻帯者だったが、フォンテーヌ通りのキャバレーで舞台に立つ踊り子ニーヌとよい仲だった。彼女はその夜8時にクシェ氏とカフェで落ち合い、いっしょに劇場へ行く約束をしていたのだ。

 ニーヌはピガール通りのホテルで暮らしている。翌日、メグレはそのホテルに彼女を訪ね、隣人のセリーヌという女性にも会う。その女は偶然にも、クシェ氏の前妻との間に生まれたロジェ青年の愛人だった。その前妻はなんと、現在マルタン氏の妻になっていたのである。

 見えない糸が事件の裏で繋がっていることをメグレは感じる。菓子屋の生まれのマルタン夫人はもともと貧乏なクシェ氏に嫌気がさしてマルタン氏と再婚したのだが、その後クシェ氏は血清事業が成功して金持ちになり、後妻とともにオスマン大通りのよいアパルトマンに暮らしていた。だが役人のマルタン氏は大成せず、夫人も貧乏なままだったのだ。そのマルタン夫人が司法警察へメグレを訪ねてくる。彼女は自分が苦労してきたことを切々と訴えて帰っていった。だが後日、メグレがヴォージュ広場のアパルトマンに行き、マルタン夫妻の部屋へ入ったところ、夫人の部屋の窓からクシェ氏の殺された部屋がはっきりと見えることがわかった。マルタン夫人はアペリチフ(食前酒)を勧めるなど最初は愛想よくしていたのだが、窓の位置関係をメグレが気づいたことを知るや、本性をあらわにしたのである。その部分の描写はこうだ。

「やっぱり、何か上がってください!」とメグレの背後でマルタン夫人の声がした。(中略)

「ヴェルモットがちょっぴりあるきりですよ、警視さん!……クシェ夫人だったら、きっとカクテルをさし上げられるでしょうが……」

 そしてマルタン夫人はとげのある笑いを浮かべた。まるで彼女の唇が針であるかのように。

 こうしたシムノンの容赦ない描写にはいつもどきりとする。表面とは異なる別の顔を持つ女という設定は、すでに『メグレと深夜の十字路』から繰り返されてきたもので、その意味では過去作品の再生産なのだが、本作ではマルタン夫人に限らず出てくる人のほとんどが情緒不安定だとわかってゆくのが凄まじい。まずマルタン夫人はこの直後、隣人が騒がしいことに腹を立て、次のような暴言を吐く。

「くそばばあが!……」とマルタン夫人が相手に聞こえよがしに大きな声で言った。(中略)

「マチルドっていうばあさんなんですよ! もと料理女でした! あなた、ごらんになってでしょ? まるで大きな子供なんだから! あの女は気のふれた妹といっしょに隣りの部屋に住んでいます。両方とも年とって醜い女です! わたしたちがここへ移ってきてからずっと、頭のおかしいほうは部屋から一度も出たことがありません」

「くそばばあ」と来た。この部分の原文は「Vieille chipie!」、直訳すれば「歳をとった牛」だが、なるほどこうなるのか。ちなみに創元推理文庫版の望月芳郎訳では「化け猫!」である。

 この他にもマルタン氏に対してシムノンは「迷路の中へ無心の独楽のように投げ出された」人物だと書く。この比喩も素晴らしい。こうしたなかで、唯一まともなのがクシェ氏の愛人だった踊り子ニーヌだ。本作では彼女がリハーサルで踊っている場面もわずかだが登場する。ようやくメグレシリーズのなかで、パリの踊り子がシムノンの描く踊り子らしい健気さと可愛らしさを持って登場したように思える。前述のマルタン夫人は物語が進むにつれて高熱を発し、床に伏せるようになり、一方でクシェ氏の親族たちも遺産を前にして欲望に絡め取られてゆく。メグレは何度も「クシェの奴め!」と強く呟く。そうしたなかでニーヌの存在は本作の大きな救いとなっている。そこがシムノンの甘さといわれる所以かもしれないが、これですべての人が情緒不安定なら読んでいてやりきれない気分になるに違いない。

 本作はお産という新しいいのちの誕生を影絵のひとつにしながら始まり、ひとりの人間の自死とクシェ氏の葬儀を経過した後、ある者の精神の死によって幕を閉じる。それらのドラマの舞台枠としてつねに窓がある。なるほど、影絵というタイトルは象徴的だ。

 盗難に遭った36万フランの行方は鮮やかに作中で示される。そして終盤の第十章で、国境を越えようとしていたある人物がジュモン Jeumont の駅で捕まる。あとほんの少しでベルギーに入るという場所だ。メグレはこの駅でこの人物を待っていたのである。そしてパリへ戻る列車のなかで、その人物は問わず語りに事件について話してゆく。白状すべきだったが、勇気がなかった……その人物は苦痛に満ちた口調で語るのだが、ふとメグレを見たとき、あることを発見する……! このくだりも見事だ。こうした印象的なシーンが一作品に必ずひとつかふたつはあるから、メグレの小説は細部を忘れても心に残り、また読み返したくなるのだろう。

 ジャン・リシャール版のTVドラマは、ロケーション撮影の制約のためかジュモン駅や36万フランの行方についての描写は出てこないが(上述した人物はブリュッセル行きの列車に乗り込むとき北駅で捕らえられる)、配役が本当にうまくはまっており、観応えがある。ジャン・リシャール版の初期作品はどれも力作だと思う。今回のドラマはモノクロだが、窓に映る影というモチーフによく合っている。そして不幸な人物は本当に不幸そうな顔つきで出てくるのだから、ある意味で非常に残酷な作品だ。とくに犯人役の鬼気迫る演技には強く惹きつけられた。

 今回のドラマではフランソワ・カデ François Cadet という俳優がリュカ刑事を演じているのだが、リュカ役にはこの人がしっくりくる。シリーズの途中で別の俳優と交代したこともあったが後に復帰した。

 ジャン・リシャール版は初期作品だったが、ブリュノ・クレメール版は後期作品である。日本ではDVD発売されていないエピソードだ。「影絵」というモチーフはタイトルが出てくる最初のところでしか使われない。いつも通り現代的で上品なつくりだが、このようにしてしまうとシムノンの強引な物語設定が目立つ。とくに人間関係の不自然さにそれは顕著で、観ていると疑問が湧いてしまうのが難点ではある。登場人物すべてのアリバイを不明確にして、誰も彼も容疑者にしようとするのもこのシリーズの悪いクセだと思うのだが……。

 ふしぎなのは今回リュカの立場の刑事が若いハンサムな俳優になっていることで、この刑事は女たらしで、被害者宅のメイドにこなをかけて証言をとったりする。このメイドがとても美人なので驚く。また途中で唐突な女性のヌードシーンがあって、この演出の意図とは何だろうとつい考えてしまった(アンダーヘアまで写っている)。アパルトマンの場所は「テュレン Turenne 通り7番」と出ていた(ヴォージュ広場に近い)。

 イタリアのTVドラマ2本について述べよう。ジーノ・セルヴィ版はなんと放送4回分、約280分を使ったシリーズ最長作品だ。これだけ時間があるので、原作には存在しない台詞やシーン、人物が追加されている。トランス刑事やジャンヴィエ刑事、コメリオ予審判事も姿を見せ、シリーズの役者勢揃いといった趣さえある。メグレ夫人を演じるのはアンドリーナ・パニャーニ Andreina Pagnani という女優で、顔の線はすらりとしているが体格はふくよかで豊か。歳を重ねても可憐さを湛え、かつ男を包み込む母性を備えており、私が観たなかでは彼女がいちばんメグレ夫人のイメージに近い。

 基本は長回し撮影で、ちょっとくらい間違えたり足下を取られたりしてもカメラを止めないおおらかさが第一の特徴だが、台本そのものはかなり原作に忠実なので、翻訳本を片手に視聴するとわかりやすい。しかし融通の利かない原作尊重主義というわけではなく、たとえば今回もカフェレストラン《セレクト》【註1】でメグレが聞き取り調査する相手はボーイではなくやけにかわいい女性店員に変更されているなど、このシリーズは不思議なところに色気がある。今作は充分すぎる時間を贅沢に消化している。殺人現場に初めてメグレが足を踏み入れるところも、とにかく部屋の隅から隅まで歩く様子をたっぷりと見せてくれる。追加シーンでホームドラマ的な笑いの要素も入っているが、終盤に近づきシリアスな場面になってくるとゲストの役者たちが見事な演技を披露するので、コメディシーンの記憶など吹き飛んでしまう。凄まじいのは原作に書かれた登場人物の表情の変化が、そのまま映像化されていることだ。「とたんに威圧的な態度をとり、憤怒の色を見せて彼を見つめ」「彼は見ちがえるほど変わっていた。(中略)そして、その顔がゆがみ、唇がわなわなとふるえ」「顔全体がひきつり、そしてとつぜん、悲劇的でかつ喜劇的で、醜悪な涙がどっと溢れた」……これらすべてが役者によって表現されるのである。とくにクライマックス部分の演技には目を瞠るものがある。

 イタリアのセルジオ・カステリットのメグレを紹介するのは今回が初めてとなる。俳優として数々の映画賞を受賞し、近年は監督業にも進出しているカステリットだが、彼の主演で2004年に2作のTVドラマが製作された。総タイトルは『Maigret』、第1話が『La trappola di Maigret』[メグレ罠を張る]で本作が第2話。どちらもイタリア本国でDVD化されている。

 カステリットはハンサムすぎてぜんぜんメグレらしくないが、主要配役もことごとく美男美女なので、有名俳優をフィーチャーした企画ドラマだとわかって観れば上出来の部類だと思う。カステリットはよく動くし、カット割りも多くて現代的だ。これまでのTVドラマはシムノンの原作を読んだ上で観ると映像化の妙が楽しめる作品群だったが、本作はたぶん原作のメグレを知らなくても純粋に面白いので、初心者にはとくにお薦めできる。

 画面の隅々まで演出が行き届いているのが特徴で、たとえば踊り子ニーヌがメグレの待つカフェへやってくるシーンでは給仕の持ってきたメニューをニーヌがさりげない手振りで辞退し(ニーヌは金欠なので飲みものが注文できないのだ)、メグレがクシェ氏の息子を訪ねるシーンでは娼婦が街角に立っている(後に起こる事件で彼女たちは現場に集まる野次馬となる)。いずれも台詞での説明はないが物語に厚みを与えており、全体的にリッチな印象の作品となっている。メグレの捜査の途中で映像がいきなり被害者の生前の行動に切り替わる手法も面白い(メグレはまるで過去を見通せるサイキックのようだ)。

 メグレ夫人もショートカットの似合う聡明な美人で、彼らには4人の子供がいる。夫妻の登場場面は映画館で、ふたりはシムノン原作のモノクロ映画『ギャンブルの王様』を観ているといった遊び心もある。本作では被害者の顔に赤い口紅で線が引かれていたというオリジナル設定が登場するのだが、後にこれが犯人の狂気を一瞬で視聴者へ理解させる鮮やかな伏線となっている。わずか2作で終了してしまったのが惜しまれるシリーズだ。

 シムノンの原作には、『怪盗レトン』や前作『三文酒場』に登場した司法警察の使い走りの青年(le garçon de bureau)ジャンJeanが出てくる。『三文酒場』では「警視庁の事務室の給仕」( le garçon de bureau du Quai des Orfèvres )と書かれていた。【註2】またメグレの叔母がしょっちゅう家にやってきて愚痴をこぼす人物であったこと、その夫がピエールPierreという名であったことも明かされる。メグレの母の名はエルマンスHermance。

 さらにラストではメグレ夫人の妹夫婦もアルザスからやってくる。夫の名はアンドレ André、「煉瓦工場を経営している律儀な男」だという。徐々に私たち読者にとって馴染みのメンバーとなるべき面々が揃い始めているようだ。

 それから、最初期の作品ではあまり感じなかったのだが、作中に登場する酒が少しずつ気になるようになってきた。たとえば前作にも出てきたが、アペリチフの時間、というなにげない言葉がふしぎと印象に残る。酒や料理の文章に艶が出てきたように思える。

【註1】

『怪盗レトン』第11章にも同名の店《セレクト Select 》が登場する。『怪盗レトン』で「ベリー街の角 Au coin de la rue de Berry」付近と描写されているが、いま Berry という名前の道は見つからない。しかしおそらくはモンパルナス大通り99番にある実在のカフェレストラン《ル・セレクト Le Select 》( http://www.leselectmontparnasse.fr )のことだろう。ピエトル・ル・レトンはこの後、語学学校エコールエトワールl’Etoileからロン・ポワン劇場 Rond-Point へと歩いてゆく。

【註2】

 しかし、この給仕ジャンが本当に「青年」であるのかどうか、わからない。原文はたんに「司法警察局のギャルソン」であるし、これまでの登場シーンを見ても、年齢の手がかりとなる記述は見当たらない気がする。

 ジャンの役柄は、後期の作品だとジョゼフ老人というキャラクターになっているらしい。だからジャンも、ひょっとすると老人なのかもしれない……。このふたりをまったく別の人物と見なすのが妥当なのか、あるいは名前が変更された類似の人物と考えるべきなのか、いまのところ判断がつかない。

【ジョルジュ・シムノン情報】

▼マチュー・アマルリック出演・監督による2014年の映画『青の寝室』のDVDが、日本でも7月に発売された。原作は『青の寝室 激情に憑かれた愛人たち』(1964)。(詳細は https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-10-4523215120616

▼なんと、1960年にフランスで放送された単発TVドラマ『Liberty Bar』のDVDが、9月に同国で発売された。原作は『紺碧海岸のメグレ』(1932)、監督はJean-Marie Coldefy、メグレ役はルイ・アルベッシェ。初の映像ソフト化。(詳細は http://video.fnac.com/a8824982/

▼さらになんと、フランスのLMLR社から、ジャン・リシャール主演のTVドラマ『Les enquêtes du commissaire Maigret』[メグレ警視の事件簿]シリーズの最終DVDボックス、『Coffret Maigret N° 7』[メグレボックス第7集]が10月に発売されるようだ。すべて初映像ソフト化のエピソードで、カラーリメイク版「男の首」「黄色い犬」も収録。これでジャン・リシャール版のメグレは全88話が完全DVD化となる。諦めていただけに感激もひとしおだ。こうなると全世界は愛川欽也版『東京メグレ警視シリーズ』映像ソフト化を待っている!(詳細は http://video.fnac.com/a8808532

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団(原作=藤子・F・不二雄)』『科学の栞 世界とつながる本棚』『新生』等多数。







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