■小森収編『短編ミステリの二百年2』

 海外名作短編のマイルストーンともいうべき江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』(全5巻)とは異なる観点から短編ミステリの歴史をさぐっていく、小森収編『短編ミステリの二百年』シリーズも順調に2巻目の刊行となった。本書には、全12編が新訳で収録。
 『世界推理短編傑作集』とは「異なる観点から」という本シリーズのセレクションの独自性・戦略性が強く打ち出されているのが、冒頭の「都会小説」3編の配置だろう。
 最初の一編、バッド・シュールバーグ「挑戦」は、NY住まいの広告画家が海辺の街で、奔放で美しい娘と恋に落ち、意外な形で別離するまでの追憶。青春のきらめきと痛みを語って物悲しくも鮮烈な印象を残す一編。クリストファー・ラ・ファージ「プライドの問題」は、禁漁区で釣りをするという些細な罪を犯した、銀行の要職にある男の葛藤の物語。ラッセル・マロニー「チャーリー」は、いたずら好きの友人が老婦人に受けた「報復」を軽いタッチで描いたスケッチ風の短編。
 「都会小説」については、編者の評論に詳しいが、「ミステリマガジン」の編集長だった常盤新平が「ニューヨーカー」を中心とした雑誌に掲載されたソフィストケートされた小説をひとくくりにして商業的につけたネーミングというところか。これを短編ミステリ史の1パートと位置づけるのは賛否があるだろうし、あまたの名作短編がある中で、掲載作品をあえて「短編ミステリ」として言挙げする必要もないような気もする。(第3巻では、サリンジャー作品まで用意されているという)
 けれども、ラ・ファージ「プライドの問題」は、成功した中流階級に属する人間の倫理と価値観との対立・葛藤を些細な事件を基に切れ味鋭く描いた秀作であることを間違いなく、後のエリンらの短編のモチーフを先取りしている感もある。ミステリ史も一様ではなく、なにが正統的かという基準もない。こうした作品も視野に入れることで、ミステリ短編史が一層の奥行きをもって立ち上がってくるとすれば、ミステリ短編史のオルタナティヴを提示した編者の試みも奏功したといえるだろう。
 続く短編は、雑誌「ブラックマスク」が生み出したハードボイド・スクール。ダシール・ハメット「クッフィニャル島の略奪」は、コンチネンタル・オプ物だが、初読の方は度肝を抜かれるのではないか。本土と橋で結ばれた上流階級だけ住む島の邸宅で、結婚式の贈り物の見張り番を依頼されたオプは、大人数による組織的強奪事件に巻き込まれる。全島停電の中で行われる強奪は、爆弾が使用され、機関銃が乱射されるなど市街戦のよう。破格の暴力行為も異色なら、大胆な意外性を盛った謎解きミステリになっている点も見逃せない。
 ラウール・ホイットフィールド「ミストラル」は、地中海沿岸を舞台に、異国に住む米国人の調査員と組織に追われる男の交渉を描く。静かな筆致も印象深く、避けようもない季節風ミストラルが物語の中で象徴的な効果を上げている。レイモンド・チャンドラー「待っている」は、ホテルの探偵を主人公に、再会しようとしている男女とその運命を、これまた静かな語り口で描いた名編だが、編者の解説によれば、もともとの稲葉明雄訳とその後の田口俊樹訳で、物語の重要な部分で180度違う解釈がされていることを知った。今回の深町眞理子訳では果たしてどう解釈されているのかを知るという楽しみも読者にはある。
 フランク・グルーバー「死のストライキ」は、〈人間百科事典〉オリヴァー・クエイド物。自称「この国で最高の頭脳の持ち主」で事典のセールスマン探偵は、大きなレジスター工場の一大ストライキに遭遇。ロックアウトされ、州兵まで動員される騒擾の中で、クエイドは頻発する殺人の謎を解く、という舞台も異色なら、緊迫感も横溢した一編。
 レックス・スタウト「探偵が多すぎる」は、珍しくウルフが家から出っぱなしの謎解き譚。私立探偵ばかり(女性のシリーズキャラクター探偵ドル・ボナーも含む)の事件で、ウルフとアーチャーは逮捕もされるが……。マージェリー・アリンガム「真紅の文字」は、キャンピオン物。友人とともにふと訪れた住居のクローゼットに「ああ出して出して…」と書かれた文字を発見するという心揺さぶる冒頭が特に秀逸。エドマンド・クリスピン「闇の一撃」は、フェン教授物で、アリバイを扱ったスマートな謎解き掌編かつ皮肉なオチつき。
 締めくくりは、ロイ・ヴィカーズ「二重像」。筆者も大好きな短編で『このミステリーがすごい! 2017年版』の海外ミステリ短編のオールタイム・ベスト企画にも挙げた。若き経営者とその妻が待ち合わせしたレストランで、妻は夫そっくりの人物に声をかけてしまう。経営者には、双子の弟がいたが、出生時に死亡しているはず。けれども、以降、そっくりの人物が頻繁に現れ、経営者として夫としてふるまい、ついには殺人が…。本人なのか別人なのか、決定不能のゆらぎの中に読者も巻き込まれ、眩暈のような感覚のうちに、結末で得体のしれない悪意がぬっと姿を現す。やはり、名編に違いない。
 この短編集の特徴でもある編者の評論も200頁たっぷり。ミステリ史の視野をもって主要作家の短編を自らのセンスで良品とそうでないものを腑分けしていく。特に、この巻では、ハメットの短編での試行錯誤ぶりを丹念に読み込み、新しいミステリの基礎を固めていったとする分析が大変興味深かった。
 本書の12編は新訳とあるとおり、いずれも既訳がある。名作集への収録に値し、かつ、あまり知られていない作品を選定するのは大変な作業と思われるが、第3巻以降には、未訳の名作も期待したいところだ。

■延原謙訳 中西裕編『死の濃霧 延原謙翻訳セレクション』

 『死の濃霧』は、シャーロック・ホームズシリーズの個人全訳を我が国で最初に完成させた翻訳家として著名な延原謙の手になる翻訳短編をセレクトして一冊にした短編集。編者は、『ホームズ翻訳への道 延原謙評伝』の著書がある中西裕氏。
 訳者には、新潮文庫のホームズ訳でお世話になった人も多いと思う。筆者もそのクチで(大人向け)ホームズ物は、延原謙訳で読んだ。1977年に没した訳者のホームズ訳が今も現役なのは驚異だが、もちろん、訳者はホームズ訳だけの人ではない。戦前には「新青年」の編集長も務め、入手できる単行本や雑誌の中から訳すべき作品を探し出し、翻訳した。その精華が本書というわけだ。
 表題になっているコナン・ドイル「死の濃霧」とはなんぞや。実は、ホームズ譚「ブルース・パティントン設計書」のこと。明かされてみると、なるほどだ。
 本書は、冒頭に同作、末尾に「赤髪組合」を配し、間に12人の作家の12作品を収録している。
 こうしたアンソロジーでは、なじみの薄い作家の作品も楽しみの一つで、イ・マックスウェル「妙計」は、宝石強盗に入られた未亡人が機智に富んだ撃退策を考えるという展開に、意外なオチがついており、マルセル・ベルヂェ「ロジェ街の殺人」は殺人を犯した官吏の追いつめられていく心理をサスペンスフルに描いたフレンチミステリ。オウギュスト・フィロン深山みやまに咲く花」は、少女時代に殺人を目撃した老婆の数奇な回想譚で、余韻を残さずにはおかない。
 ジョストン・マッカレエ「サムの改心」は、戦前に人気を誇った「地下鉄サム」シリーズの一編で、スリ稼業から足を洗ったサムに訪れる不運をユーモラスに描いて、できばえも上々。L・J・ビーストン「めくら蜘蛛」は、かつて偽証で恋敵を罪に追いやった男と復讐に燃える盲目の男との対決を描いたサスペンス。高いビルの窓外で繰り広げられる攻防のシーンは、なかなかの迫力。
 F・W・クロフツ「グリヨズの少女」は、フレンチ物ではなく、絵画を巡る巧妙なたくらみを描いた異色作。(『クロフツ短編集2』に、「グルーズの絵」の題で別訳が収録されている)。
 ヘンリ・ウェイド「三つの鍵」は、プール警部物で、三つの鍵と犯人のアリバイ双方を問題にした濃密な謎解き物の秀作。(『探偵小説の世紀 (下) 』にも別訳が収録) リチャード・コネル「地蜂がす」は、単純な設定ながらトリックらしいトリックを用いた謎解き編で、人狩りテーマの最初の短編「最も危険なゲーム」を書いた作者の作としては、意外な感。道楽で探偵をしている主人公のキャラクターも面白い。
 スティヴン・リイコック「五十六番恋物語」は、掌編ながら優れたユーモア作家の本領発揮の一編で、中国人の洗濯屋が分析的推理を駆使して洗濯物からその客の境遇を推測して…という話。謎解きミステリのパロディにもなっている。
 A・K・グリーン「古代金貨」は、消えた金貨の謎をたどりながら人情譚に落とすところにこの作者の冴えをみせる。A・E・W・メースン「仮面」は、仮面舞踏会でのアバンチュール、青年の体験が真実だったのか、アノー探偵が探る。陶器に描かれた美女の出現など夢幻的な雰囲気で楽しめるが、結末はやや即物的すぎるかもしれない(別訳「セミラミス・ホテル事件」(『名探偵登場2』)。
 ヴィンセント・スターレット「十一対一」は、強硬に被告人の無罪を主張し続ける陪審員がいかにして死刑を主張する他の陪審員を納得させたかの顛末。ウィッティで洗練された語り。
 「死の濃霧」は、訳者が最初に「新青年」のために訳したホームズ譚とのこと。訳文は、原文に忠実ではなく、新潮文庫の訳文とも大きく異なるが、原作の筋を十分伝えている。ホームズの兄、マイクロフトが「わし」と自称するのは現代の感覚とはズレがありそうだが……。「赤髪組合」は、本来のワトスン記述ではない三人称で書かれているほか、ホームズが依頼人ウイルソンの過去等を推理で言い当てる場面も省略がされているなど、新潮文庫版と比べ、かなり刈り込まれた訳になっている。現在の訳と読み比べることで、いかに訳者が訳文をアップトゥデイトしていったかが窺えることにもなるだろう。
 「赤髪組合」を除き、いずれも戦前の訳であるが、現代仮名遣いにし、常用漢字に改められた訳文は、意外なほど読みやすい。解説によれば、訳者には『有名探偵作家五十人集』という選集の構想があり、その上巻は作品のリストアップもされていたという。謎解き、サスペンス、ユーモア、人情譚と選択された作品の幅は広く、作品に応じた品格ある訳文が好ましい。ホームズ物の翻訳に限らず、海外作品を広く漁り、我が国に伝えた功績は、バラエティに富んだ本書のセレクションとその翻訳にもよく表われていると思う。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita




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