みなさま、こんにちは。
いよいよ今月末は第七回翻訳ミステリー大賞の一次投票締め切り。翻訳者のみなさま、本年度の読書もラストスパートですよ! 十月のお気楽読書日記、いつものようにちょっと古いのもありますが、少しでもみなさまの参考になれば幸いです。
と、ここでまたしつこく宣伝しちゃいます。ジョアン・フルークのハンナ・シリーズ最新刊(16巻)『レッドベルベット・カップケーキが怯えている』は10月30日に発売になっております。日本ではあまりなじみのないレッドベルベット・カップケーキ、作ってみましたが、なかなかおいしいです。見た目もかわいい(ほんとは毒々しいほど真っ赤になるはずが、食用色素をケチったせいでピンクになってしまった)し、クリームチーズ・フロスティングがうまい! フロスティングのレシピの粉砂糖の量はあくまでも目安で、もっと少なくてもおいしくできますので、加減してくださいね(でも最近のハンナレシピはかなりお砂糖控えめなんですよ)。
■10月×日
ヨナス・ヨナソン『窓から逃げた100歳老人』は、スウェーデン人作家によるドタバタコメディ。英語版からの翻訳です。
老人ホームで暮らすアラン・カールソンは、1905年生まれ。100歳の誕生日を迎えた2005年5月2日、アランはふと思いたって老人ホームの窓から逃走、駅で若者からキャスターつきスーツケースをなんとなく拝借してバスに乗る。若者は犯罪組織の構成員で、スーツケースには麻薬取引で得た大金がはいっていた。血相を変えて追いかける若者。しかしアランは行く先々で仲間を増やしながら、賢くも大胆な人生訓のもと、のらりくらりと追っ手をかわしていく。
いやあ、笑った〜。まさに驚異の100歳! なんといっても激動の二十世紀をまるっと生きてきたわけで、現在の章と交互に登場する、アランの100年の経歴を紹介する章が、めちゃくちゃぶっとんでておもしろい。そして、現在も負けず劣らずおもしろい。
不幸な生い立ちながら、ひょんなことから爆弾の専門家になってしまったため、破天荒な冒険人生を歩むことになったアランだが、彼の魅力はなんといってもいい感じに「力が抜けていること」だ。歳を取って悟ったのではない。若いころから「流れに身をまかせる」ことにたけているというか、ノンポリで無宗教、お金にも出世にも、わけあってセックスにも興味なしという無色透明なメンタリティのせいか、ギラギラしたところがなくて、だれにでも、どんな状況にでもすごくなじみやすいのだ。
世界各地を飛び回り、フランコ将軍ともトルーマン大統領とも毛沢東ともスターリンともお友だちになっちゃうし、革命も戦争も収容所ものらりくらりとやりすごして、ピンチになっても知らず知らずのうちに築いてきたセレブな人脈のおかげで命拾い。これ映画にしたらおもしろいだろうなあ。と思っていたら、もうなってるんですね→《100歳の華麗なる冒険》
「アラン・カールソンは人生に多くを求めない。ベッドがあり、食べるものがたっぷりあり、何かすることがあり、ときどきは一杯のウォッカがあればいい。これだけの条件が適えば、たいていのことは我慢できる」。
この野心のなさ、欲のなさと、結果的に彼がなしとげてしまったことのギャップがたまりません。長生きの秘訣もそのへんにあるのかも。
■10月×日
ケヴィン・ウィルソンの『地球の中心までトンネルを掘る』は、ヘンテコな人たちばかりが登場するヘンテコな短編集だ。
そう聞いてはいたけれど、聞きしに勝るヘンテコぶりだった。
まずは核家族が対象の祖父母派遣サーヴィス会社で働く、プロの祖母が主人公の「替え玉」。
クライアントは、子供に祖父母との関わりを体験させたいけれど、実の両親を亡くしている親たちで、雇われ祖母の「わたし」はクライアントの希望どおりの祖母を演じる。
これはありそうでなさそうな、でもやっぱりありそうなサーヴィスだ。「おっさんレンタル」とか現実にもあるもんね。子供を産んだことがなくても孫ができるのはちょっとうらやましい。でもプロの祖母に徹しなきゃいけないのはちとつらいか。
「発火点」の若い兄弟は、両親が発火して死んだため、自分たちもいつか発火するのではないかと戦々恐々としながら暮らしている。発火体質というのはかなりエキセントリックだけど、両親とも癌で死んだ、とかよりも夢がある、と言ったら不謹慎だろうか。なんか読んでるうちに現実感がマヒしてきた。
と言いつつ、過酷な運命に立ち向かおうとする前向きな姿勢に、ちょっとうるっときた。
「今は亡き姉ハンドブック」は、今は亡き姉の特徴ややらかしたことをシスコン弟のフィルターを通して見た、不思議な味わいのある作品で、全部の作品のなかでいちばん好きというか、いちばん印象に残った。わたしも姉で弟がいるからかな。
いろいろ痛いけど、愛があって、切なくなる。項目別になっているのがおもしろく、訳語もユニーク。
「弾丸マクシミリアン」や「あれやこれや博物館」や「ワースト・ケース・シナリオ株式会社」なんて、タイトルだけでもそそられるし、本編はさらに読ませる。どの作品にも作者の愛があふれていて、悲劇的な結末であっても、なぜだかちょっと救いがあるのが不思議。
とにかく全部おもしろい。
シリアスなのにどこかとぼけている。
好きだなあ、こういうの。
ケイト・アトキンソンが好きな方にもお勧め。
■10月×日
アーナルデュル・インドリダソンを初めて読んだときはちょっと異質に感じたアイスランド人の気質や風土風俗も、何冊か読むうちに案外なじんできた気がする。『湿地』『緑衣の女』につづくシリーズ三作目の『声』は、クリスマスシーズンのホテルが舞台で、ホリデーシーズンのアイスランドの雰囲気を味わえます。
レイキャヴィクのホテルの地下室で、サンタクロース姿の元従業員が殺された。
テーブルの上には『ウィーン少年合唱団の歴史』。
壁に貼られたシャーリー・テンプルのポスター。
被害者のグドロイグルはホテルのドアマンで、クリスマスシーズンにはサンタクロースに扮して客を楽しませていたという。
レイキャヴィク警察犯罪捜査官エーレンデュルは、グドロイグルと会う約束をしていたという古レコード蒐集家と、被害者の家族に不審なものを感じる。
小さな国アイスランドには、何か特別なことがあると、すぐに大げさに騒ぎ立てる傾向があるという。みんなとちがうことは、たとえそれがすばらしい才能によるものであっても、つらい枷になりうるのだ。悲しいけど、それはどこの国でも同じかも。
そして、本書は家族の物語でもある。
エーレンデュルの家族、同僚たちの家族、ホテル従業員の家族、エーレンデュルがちょっと心惹かれる女性ヴァルゲルデュルの家族、そして被害者の家族。みんな家族からは逃れられないのだ。
それぞれの家庭にはそれぞれのスタンダードがあって、それを理解することで人間関係の謎も事件の謎も解ける気がする。まあ、言うのは簡単だけど、実際はなかなかむずかしいよね……
とくにクリスマスシーズンだからかもしれないけど、だれもいないうちに帰りたくなくて、事件のあったホテルに宿泊するさびしんぼうのエーレンデュル。ホテルはすぐ近くに人がいっぱいいるのに、ひとりにもなれるもんね。なんかわかるわ、その気持ち。そんな彼を、同僚や娘がしきりにうちに帰るよう説得するのが印象的。愛されてるのね。
■10月×日
ヨナソン、ウィルソン、インドリダソンときたので、「ソン」つながりでいきたい気もしたけど、ネタ切れのため、ここはあえてトム・ロブ・スミス『偽りの楽園』で。
ロンドンに住むダニエルは、スウェーデンで楽しく老後をすごしているはずの父からの突然の電話に驚く。母が心を病み、入院していた病院から脱走したというのだ。現地に飛ぶべくヒースロー空港に向かうと、今度は母から電話があり「お父さんが言ったことは嘘。わたしは心を病んでなどいない。それよりお父さんのほうがヤバイんだって(意訳)」と言われる。
ロンドンに戻った母の話を聞くと、父のほうが異常なのではと思えてきて……
母の妄想か、父の陰謀か。果たしてどちらの言い分がほんとうなのか。
聞いてはいたけど、レオ・デミドフ三部作とはあまりにもちがうテイストにびっくり。
国家も軍もイデオロギーも出てこない、ガチで「家族」の話なのだ。
大半が母ティルデの語りなのでとても読みやすく、サクサク読める。
まるで湊かなえのようだ。
でもこのティルデの話がとにかくまどろっこしい。しかも思わせぶり。
「ちょっ、母さん、もういいから要点だけ言って!!」と思った息子や娘は数知れず(たぶん)。
そのあたりはだれもが経験したことのある「母さんあるある」なんだけど、この饒舌さはやっぱ普通じゃないだろ、話のトンデモ具合も……と読者をダニエルと同じ不穏な気持ちにさせるのがねらいか。
これでたいしたことないオチだったら怒るよ、母さん!と思いながら読んでいくと、下巻の後半でダニエルがスウェーデンに行ってからがすごい。
思わず絶句しましたね。
そして、ここでもスウェーデンですよ。
やっぱり持ってるね、スウェーデン。
と思ったら、トム・ロブ・スミスさんのお母さまはスウェーデンの方なのですね。しかも「本書は著者の実体験に基づいている」んだって! どこまでが実体験なのか気になります。
でも、スウェーデンやばいってんで逃げてきたのに、なんで老後にまたそこで暮らそうと思うかなあ……謎だ。
上條ひろみ(かみじょう ひろみ) |
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英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、マキナニー〈朝食のおいしいB&B〉シリーズなど。ロマンス翻訳ではなぜかハイランダー担。趣味は読書と宝塚観劇。10月30日に〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ最新作『レッドベルベット・カップケーキが怯えている』が出ました。よろしく! |