書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 いよいよミステリー年間でもっとも熱い月が到来しました。この記事が載るころには各種ランキングもすべて決着しているはずですが、今年はどんな作品が上位に来たのでしょうか。嵐の前の静けさ。今月も七福神がやってまいりました。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『調教部屋』ポール・フィンチ/対馬妙訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 このタイトルから内容は絶対に想像できないと吉野仁がツイッターに書いていたので、どれどれと手にとると、ホントに予想外。卑劣な犯人を追う警察官と、行方不明の姉を探すヒロインの、これはなんと相棒小説だ。主人公の警察官の元カノが上司になっていて、その微妙な関係とか、女戦士の闘いぶりとか、物語の味つけもよく、さらにアクションの切れもいい。問題がないこともないが、意外な拾い物といっていいだろう。続刊もぜひ翻訳してほしい。

霜月蒼

『神の水』パオロ・バチガルピ/中原尚哉訳

新☆ハヤカワSFシリーズ

 熱帯の頽廃した色と空気に満たされた『ねじまき少女』と対照的に、本書は水不足で荒んだ砂色の風景の中で陰謀と銃撃が渦巻くディストピア・クライム・スリラーとなった。熱いぞ。そして暑く、乾いているのだ。つぎの文言のなかに心にひびくものが3つ以上ある人は必読である——サム・ペキンパー、ロバート・ロドリゲス、広江礼威、伊藤明弘。メキシカン・ドラッグ・ギャング、殺し屋たち、飢えた猛犬、どん底から這い上がろうとする少女。プールの底に転がる死体、記憶のなかで閃く銃火。爆炎をぶち撒ける武装ヘリ、ひとの死を弄ぶ麻薬王。テックス=メックス、崩れ落ちる巨大ダム、川の向こうの夜闇に浮かぶ国境線。死に向かう衝動、己を懸ける大博打、ならずものの心意気。硝煙、砂塵、逃亡。そして全てを決める一発の銃弾。

酒井貞道

『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル/平岡敦訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 ピエール・ルメートルの作品としては『悲しみのイレーヌ』も素晴らしいのだが、私としてはノンシリーズのこちらを選びたい。登場人物は全員、数奇な運命に翻弄される。善人だろうが悪人だろうが、《読者の感情移入を誘う人》であろうがなかろうが、自業自得であろうがなかろうが、容赦なく巻き込まれる。フランス産ミステリらしいあの雰囲気が、諸行無常の儚さや虚しさにシームレスに繋がる瞬間すらあって、心にとても染みた。

千街晶之

『スキン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳

文藝春秋

 四肢麻痺の名探偵リンカーン・ライム・シリーズ最新作の内容は、第一作『ボーン・コレクター』への原点回帰にして(帯のキャッチコピーもそれを意識させる)、その趣向さえも逆手にとった油断のならない本格ミステリだ。ライムの頭脳とニューヨーク市警の機動力が合体した最強の捜査陣と、そのライムの捜査術を研究した殺人鬼とのスリリングな盤上対決は、『ボーン・コレクター』の時点で確立されていた名探偵対名犯人の頭脳戦の構図をなぞりつつ更にグレードアップしたものだ。冒頭、ある訃報を知ったライムが凶悪犯の死に安堵するよりも好敵手を失った孤独に囚われるあたりは、クラシック・ミステリに登場する天才探偵の面影さえ彷彿させる。

吉野仁

『悲しみのイレーヌ』ピエール・ルメートル/橘明美訳

文春文庫

 やはり十月刊は『天国でまた会おう』平岡敦訳 (ハヤカワ文庫)と合わせて、ルメートルを挙げなくてはならない。デビュー作ゆえか、ぎこちなさもあるものの、とくに長年の海外ミステリー読者ならば『イレーヌ』の犯罪に興味を抱かずにおれないだろうし、事件や登場人物の描き方の歪みはもちろんのこと、ミステリではない『天国』にしても、常に先を読まずにおれなくさせよう、次の場面で不意打ちをかけて驚かせよう、という作者の企みが存分に発揮されているではないか。

川出正樹

『スキン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳

文藝春秋

 サプライズを最優先する一方で、あまり丁寧な伏線は張らないディーヴァーが、珍しく大胆に手掛かりを配して布石を打った、シリーズ随一のフェアプレイ本格ミステリ『スキン・コレクター』にしようか。それとも、よくある猟奇殺人鬼対警察ものと思って読み進めていたら、突然、まるで違った世界を観させられていたことが判明し、思わず本を落としそうになった、昨年度の覇者ルメートルのカミーユ・シリーズ第一作『悲しみのイレーヌ』にしようか。散々迷った末に前者を推します。

 ビザールかつ息詰まる世界観という点で『ボーン・コレクター』に、フェアプレイ度に置いて『ウォッチメイカー』に匹敵する快心作。事件全体の構図から、舞台となるマンハッタン、そしてもちろん皮膚に異常な執着を見せてタトゥーを施す犯人の真意に至るまで、あらゆる面で多層からなる〈皮膚〉を思い起こさせる『スキン・コレクター』という題名の何と暗示的なことか。やはりディーヴァーはモノが違うと堪能した次第です。

杉江松恋

『悲しみのイレーヌ』ピエール・ルメートル/橘明美訳

文春文庫

 川出さんと一緒でむっちゃくちゃ『スキン』か『イレーヌ』かで悩んだのだが、今回は『イレーヌ』にさせてください。自分が解説書いてるし、その解説で書きたいことはほとんど書いちゃったのだけど、文庫解説を引き受けてからこのかた本当に悩んだ1冊なので愛着も湧いてしまいました。この本の担当者は例のマッド編集者ナガシマなのだけど、「杉江さんに頼むべき本だと思うんですよね」と言われたとき、なんだか薄笑いを浮かべていたんですよ。そのときはなんとも思わなかったのだけど、実際に読んでみたら内容がまあ、とんでもなくて。「えええ、これ、どうやって解説書くんですか船長?」って空に聞きたくなったほどでした。でもってマッド編集者ナガシマに、「こここ、これ解説書くのたいへんなんじゃないの?」って聞いてみたら例によってニヤニヤ笑いながら「じゃあ、ネタばらしがあるから本文を先に読んでくださいって注意書きしたらいいんじゃないですかあ」と言うんですよね。でもそれも業腹なので、なんとかしてネタばらしせずに書けないかなと思って考えて考えて、考えているうちに偏愛するフランス・ミステリのドミニック・ルーレ『寂しすぎるレディ』を読みたくなって読んだら本当におもしろくて、ドミニック・ルーレや寂しすぎるレディだってがんばってるんだから俺ががんばらなくてどうする、と思って考えたんですけどやっぱり思いつかなくて、もう一度ドミニック・ルーレ『寂しすぎるレディ』を読んでいるうちに「そうだ、京都行こう。じゃなくて、いや、ルメートルが来日したもんで本当に京都に行くことになったんだけどそうじゃなくて、この人の小説は誰か前に読んだフランス作家に似てるよ」と思って本棚から引っ張り出してきたのが、アントワーヌ・ベロ『パズル』とジャン・ヴォートラン『パパはビリー・ズ・キックを殺せない』で、それで解説が書けた次第です。というわけでドミニック・ルーレ『寂しすぎるレディ』とアントワーヌ・ベロ『パズル』とジャン・ヴォートラン『パパはビリー・ズ・キックを殺せない』が好きな人はみんなこの本を読むといいと思います。あ、でも『寂しすぎるレディ』とこの本はまったく似てません。単に私が好きなだけ。

 やはり10月は熱い。これから年末にかけて、ますます翻訳ミステリー熱が高まっていきそうです。みなさんもお忙しい季節でしょうが、読書の時間を確保して、ぜひぜひ読んでくださいね。ではまた来月、お会いしましょう!(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧