みなさま、明けましておめでとうございます。
二〇一六年第一回目のお気楽読書日記です。
今年も「これは!」と思う翻訳ミステリーをゆるゆるとご紹介させていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします!
と言いつつ、今回ご紹介するのは二〇一五年十二月の読書日記です。
第七回翻訳ミステリー大賞一次投票集計が済み、最終候補作の五作品が決定して、ちょっとほっとした年末。惜しくも最終候補作にはならなかったけれど、クリスマスやお正月準備などの年末行事そっちのけで読みふけった作品を選んでみました。
■12月×日
イギリス人作家リサ・バランタインによるデビュー作で、エドガー賞最優秀ペイパーバック・オリジナル賞候補作となった『その罪のゆくえ』は、重い内容ながら読む者をうならせる法廷スリラーだ。
八歳の少年の殺害容疑で逮捕された十一歳の少年セバスチャン(セブ)・クロール。あどけない少年ながら恐ろしいほどに聡明で、弱い母親を守ろうとする思いの強いセバスチャンの弁護を担当することになった事務弁護士のダニエル・ハンターは、依頼人の少年に幼い頃の自分を重ねる。
同じころ、養母ミニーの死を知ったダニエルは、ある出来事をきっかけに破綻してしまった養母との関係に思いを馳せていた。ミニー・フリンは不良少年だった彼をまっとうな人間にしてくれた人だったが、ダニエルは彼女の裏切りを許せず、何年も音信不通だったのだ。
薬びたりの母親のせいでつらい子供時代をすごしたダニエル。もしミニーがいなかったら、彼は犯罪者になっていたかもしれず、極貧からも逃れられなかったかもしれない。彼が家庭環境の犠牲になった子供や、そのせいで犯罪を犯してしまった子供を多く弁護するようになったのは、自分では気づいていないのかもしれないが、ミニーのおかげで自分は道を誤らずにすんだ、ミニーのいない子供たちのために力になろう、というミニーへの感謝の気持ちの現れだろう。現在と交互に語られる、ダニエルの子供時代、とくにミニーとフリン農場で暮らすようになってからのエピソードがすごくいい。のちの出来事を思うと、ミニーがかわいそうでたまらないが、あとになって気づくこと、手遅れになってからじゃないと気づけないことってあるよね。ミニーの選択はまちがっていなかったと思うけど……いやー、これはせつない。運命というのは残酷だなあと思った。
作品中でも触れられているが、実際にイギリスで起きた、少年ふたりが二歳の男の子を殺害した事件を思い出した。子供が子供を殺すということももちろん衝撃的だが、イギリスでは刑事責任が発生するのは十歳からだということにもびっくりポン。
セバスチャンは、底知れないところがあって、子供ながら、いや子供だからこそ怖い。ダニエルのナイーブさとは正反対の図太さがある。発達障害の一形態なのか、両親からの影響なのか。いろんな読み方ができると思う。
結末はやはりこれしかないだろうなあ。シンプルな構成なのでストレスなく読めるが、読み応えは充分。すごく力のある作家だ。
■12月×日
ミシェル・ビュッシの『彼女のいない飛行機』は、読みはじめたら止まらないノンストップ・サスペンス。フランス・ミステリ、やっぱりきてますね。
一九八〇年十二月二十三日、イスタンブール発パリ行きエアバス五四〇三便が、フランス—スイス国境の恐怖の山(モン・テリブル)に墜落した。乗員・乗客百六十九名のうち生き残ったのは生後数カ月の女児ただひとり。同機にはリズ=ローズ・ド・カルヴィルとエミリー・ヴィトラルという、同じ月齢の女児がふたり搭乗していたため、それぞれの祖父母が生き残った“奇跡の子”は自分たちの孫娘だと主張し、裁判になる。
まだDNA鑑定がなかった時代。証拠品もほとんどなく、産まれたばかりの孫娘にろくに会ったこともなかった祖父母たちは、さまざまな手を使って女児が自分たちの家族であることを証明しようとする。当然マスコミにも注目され、いつしか女児はリズ=ローズとエミリーを組み合わせて“リリー”と呼ばれるようになっていた。
そして判決から十八年後。
リズ=ローズの祖母マティルドに雇われて、生き残った娘について十八年間調査してきた私立探偵クレデュル・グラン=デュックは、事故を報じた一九八〇年十二月二十三日の新聞を見て驚愕する。そこにはすべての謎を解く鍵が隠されていたのだ。
とにかく先が気になって一気読み。グラン=デュックが新聞で“ありえないもの”を見る序盤から早くもターボがかかり、事件のあらましや、マルヴィル家とヴィトラル家の事故当時と現在の様子、リリーの謎の行動など、いろいろわかってくるにつれてジェット燃料に火がつくよ! それなのに、鍵をにぎるグラン=デュックの手記がやたらと悠長でイライラする〜! トム・ロブ・スミスの『偽りの楽園』の母親の語りを思い出した。「早く結論を言わんかい!」となるところがね。でもどちらも理由があってのことなんだけど。
訳者あとがきにも書かれているけど、わたしもリズ=ローズの姉マルヴィナは『ミレニアム』のリスベットに似ていると思った。最初はあまりにイっちゃってて不気味なだけだったけど、だんだんかわいそうになってきて、最後はいいやつかもと思えてくる。
最初のカフェのシーンで、同一人物に対して「エミリー」と「リリー」の表記が混在していてごちゃごちゃしたが、これがあとになって効いてくる。邦題にも納得。
■12月×日
地味なタイトルとか装丁から、まじめな法廷ドラマが展開されるのかと思いきや、アクション満載、サスペンス炸裂、複雑な人間ドラマのてんこ盛りで、かなりお腹いっぱいになれるうえ、読み終えたくなくて追加注文さえしたくなるようなエンタメ作品だったスティーヴ・キャヴァナーの『弁護士の血』。タイトルで引きつける『調教部屋』とは逆方向だけど、これもタイトルと内容のギャップで魅せるワザなのか?
いろいろあって酒びたりとなり、家庭崩壊寸前の弁護士エディー・フリンは、ある日ロシアン・マフィアに無理難題を押しつけられる。とても勝てる見こみのない裁判で、自分たちのボスの弁護をし、さらにある重要証人を裁判中に(!)殺害しろ、というのがそのミッション。証人はFBIの保護下にあって所在をつかめないので、法廷で殺害するしかなく、裁判所に顔が利くエディーなら厳しいチェックを突破して武器を持ちこめるからなのだが、十歳になる愛娘のエイミーを拉致されたエディーは、マフィアの要求をのむしかない。文字通り爆弾を背負わされ、無事生還することはできるのか?
それにしても、人間切羽詰まるとものすごい力を発揮するものだ。冒頭のエディーはかなりよれよれで廃人のようだったのに。これが火事場の馬鹿力というやつか。娘のためなら自分が死ぬことさえいとわず、捨て身で難局に立ち向かうエディーの愛とガッツは感動ものだ。あんなことやこんなことがあって、今に至るという、つらい事情がわかってくればなおさらのこと。
だが、この作品をおもしろくしているのは、なんといってもエディーがある前職で身につけたワザや人脈を生かして戦うところだろう。前職が○○○(すぐにわかるけど、帯や裏表紙のあらすじには書かれていないので一応伏せ字にしておきます)という設定がものすごくきいている。いやあ、人生、何が役に立つかわからないものですね。ていうか、ユニークすぎるだろ、この経歴。著者もいろいろな仕事を経験したあと弁護士になった人みたいだけど。
随所で弁護士の戦略というか、小技が紹介されるのも興味深い。それがまたひどく単純ながら大胆で、あっけにとられてしまうことも。裁判というのは、ほんとうにゲームなんだなあと思った。
舞台はほぼ裁判所のみで、短時間にさまざまなことが起こるので、映画化したら「ダイハード」みたいな感じになりそう。
■12月×日
多くの作品が絶版になっているマーガレット・ミラーだが、二〇一四年には『悪意の糸』、二〇一五年には『まるで天使のような』と『雪の墓標』の二冊が刊行になってうれしいかぎり。ミステリー翻訳の勉強をはじめたばかりのころ、はまっていたのがミラーだった。当時も入手困難で、図書館や古書店を活用するしかなかったけど、どれを読んでもおもしろくて、むさぼるように読んだものだ。単発作品が多く、どれから読んでもいいというのもうれしい。ヘレン・マクロイ、シャーロット・アームストロング、マーガレット・ミラーは三大女流サスペンス作家と呼ばれたらしいけど、三人とも今読んでもすごくおもしろいよね。実は心理サスペンス、大好物なんです。
さて、今回紹介するのは『雪の墓標』。
金と権力にものを言わせる老婦人、ミセス・ハミルトンが、カリフォルニアからミシガン州デトロイト近郊の小さな町アルバナにやってくる。愛人を殺した容疑で勾留された娘ヴァージニアの窮地を救うためだ。弁護士のエリック・ミーチャムは、鼻持ちならない母娘に辟易するが、ひとりの若者が突然犯行を自供して、事件そのものがひっくり返る。
とにかくプロットがよくできていておもしろい。弁護士のミーチャムが探偵役で、彼のもとにおもしろいように情報が集まってくるのだが、ミーチャムはどちらかというと控えめな印象で、キャラとしてはちょっと薄い。でもこれくらい主張がないほうが、個性派のほかの面子が引き立つから、謎解きを楽しむにはちょうどいいかな。
ミセス・ハミルトン付きの職業コンパニオンのアリスとミーチャムが恋仲になるのはたしかに唐突だと思うけど、なんとなく惹かれ合っているのはわかるし、特殊な状況なので、ギリギリ納得できる。でもやっぱりアリスのキャラも薄いんだよね。ふたりとも傍観者的立場にいるからかな。
それ以外の登場人物はかなりユニーク。
容疑者の母、ミセス・ロフタスのアパートの管理人で、親身になって店子の老女を気にかけるガリノ夫妻。見知らぬ老女を思いやるバスターミナルの従業員チャーリー。患者ひとりひとりの不満や病状に耳を傾ける郡立病院囚人病棟の看護助手ギル。そういう善意の人たちの存在は、たとえチョイ役であっても読者をほっとさせる。この作品を読んでいちばん心に残ったのは彼らの存在だ。
一方、物語を動かすのは病んでいる人、弱い人、愚かな人。でも、ほんとうの悪人というわけじゃないから、それぞれの事情がわかってくると、やりきれない気持ちになる。だから健全な善意の持ち主の存在は救いなのだ。
ヴァージニアみたいな甘やかされてわがままに育った女=トラブルメーカーはミステリーにはよく出てくるけど、機嫌を取ったり料理をしてやったり、世話を焼いてやる男なしでは生きていけない女というのも、いつの時代にもたしかにいるよね〜。いわゆるだめんずウォーカー的な? そのあたり、地味にリアリティーがある。そんな対局にある女性たちも出てきます。
マーガレット・ミラーはロス・マクドナルドの妻だけど、ミステリー作家になったのはマーガレットのほうが先なんですね。夫のデビューは妻の三年後ですって。ちょっと意外でした。
上條ひろみ(かみじょう ひろみ) |
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英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、マキナニー〈朝食のおいしいB&B〉シリーズなど。ロマンス翻訳ではなぜかハイランダー担。趣味は読書と宝塚観劇。近刊は〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ最新作『レッドベルベット・カップケーキが怯えている』。 |