「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 ローレンス・ブロックの泥棒バーニイ・ローデンバーシリーズは素晴らしい。
 なんといっても、怪盗や義賊ではなく泥棒なのが良い。
 バーニイは本当にただの泥棒、というか、空き巣です。時々、「あそこからアレを盗んでくれ」と依頼されることもありますが、基本的に彼が仕事をするのは私利私欲のためで、その上、別に金に困っていないのに癖で盗みを働いてしまうことまである。
 彼が登場するシリーズ作品には『泥棒は選べない』(1977)『泥棒は哲学で解決する』(1980)といったように、タイトルに泥棒とつくのが通例なのですが、この際に原題で使われているのもthiefではなくburglarという単語です。広く盗人を意味し、怪盗のようなフィクションのヒーローを表す時にも使うthiefとは違い、盗みを目的に不法侵入する者、という具体的な意味合いが強い言葉です。
 そんな、名実ともにただの犯罪者が主人公。
 なのに好感が持ててしまう。
 このあたりの書きっぷりが、ローレンス・ブロックは恐ろしく巧い。
 犯罪者をヒーローとして書かないし、そうならざるを得なかった悲しい生い立ちを用意することもほとんどない。ただ、そういう人間として、そのままに書いているのに善男善女である読者が共感できてしまう。泥棒、飲んだくれ、殺し屋、悪徳弁護士……彼が書くキャラクターは、それぞれがそれぞれのまま、魅力的なのです。
 『緑のハートをもつ女』(1965)の主人公ジョン・ヘイドンもやはり、ただの犯罪者。訳者あとがきでも書かれている通り、ケチな詐欺師以外の何者でもない男です。
 
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 ひと目で信頼されるような誠実な雰囲気か、初対面で好感を持たれるような抗いがたい魅力か……詐欺師なら、このいずれかの資質を持っていなければ、仕事にならない。
 〈私〉ことジョン・ヘイドンが持っているのは前者で、昔馴染みのダグ・ランスが持っているのは後者だった。
 刑務所を出た後、ボウリング場で質素堅実に働いていたヘイドンのもとにランスがやってきたのは七月の末のことである。田舎町の土地成金を狙った、大掛かりな詐欺計画の話を持ち込んできたのだ。
 最初は渋ったが、最終的にヘイドンは話に応じた。独立して、小さな店を持つための軍資金が欲しかった。
 念入りな根回しの後、計画は実行段階に移り、ヘイドンはその町、オーリアンへ降り立った。
 ターゲットの男ウォーレス・J・ガンダーマンと、彼の秘書でありヘイドンたちの協力者であるエヴィ・ストーンと顔合わせを済ませ、彼はすぐに商談を始めた……
 この粗筋だけでも、ヘイドンがケチな詐欺師でしかない、ということがなんとなく読み取れるかと思います。
 創元推理文庫の粗筋にはコンゲームと書かれていますが、ヘイドンとランスの二人がする詐欺は、たとえば小林信彦『紳士同盟』(1980)で老詐欺師が語った〈コン・ゲーム道〉の全てに反しています。彼らが行うのは、うすっぺらな野心に端を発した、被害者を騙くらかして、金……それもたかだか十万ドルをかすめ取るだけの詐欺計画です。
 では、つまらないかというと、全くもってそんなことはない。
 本書は、ケチな詐欺師の話として、これ以上ないほど面白いのです。
 
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 上の粗筋に書いた、詐欺師なら持っているべき資質というのは本書でヘイドンが語っていることの受け売りですが、実はこれはローレンス・ブロックが犯罪者を主人公にした小説を書く際に使われているメソッドでもあるように思います。
 誠実そうな雰囲気なのか、あるいは抗いがたい魅力であるかは時と場合によるのですが、ブロックは読者に主人公のことを「こいつのこと嫌いじゃないな」と思わせるのが抜群に巧い。
 ヘイドンの場合は、彼自身が語っているように、誠実そうな雰囲気で好感を持たせてきます。
 勿論、彼は詐欺師なのだから、誠実なわけがありません。しかし、そこがブロックの巧いところで、一般的な社会倫理に対してではなく、詐欺師としての彼の倫理に対してヘイドンは誠実である、という風に描かれるのです。
 騙す、騙されるが当然のゲームとして詐欺、強いては自分の住んでいる世界を捉えている。このゲームのルールに関して、彼は破ろうとはしないし、他者が破ることも許しません。
 ヘイドンがこの倫理を守り抜くことで、この人はこういうルールの人間である、ということが示されるわけです。
 その上で読者が自身を重ねることができるようなエピソードや考え方を用意してくる。ヘイドンの場合でいうと、普段はボウリング場で平和に働いていることであったり、今回の詐欺で金を得たら小さな店を買って、ゆっくり引退生活を過ごしたいと考えていたりするところがそれで、読者はいつの間にか、彼のことを好きになってしまっているのです。
 この上で、ヘイドンとランスの詐欺計画がスタートする。
 ここにあるのは最早、お仕事ものとしての面白さです。
 ブロックは、実際にその犯罪を行うまでの細やかな手順や、業界の知識といった、一般人が知らない世界のことを淡々と描いていきます。
 たとえば、ターゲットが実態がないヘイドンとランスの会社に訪ねてきた時のためにどういう対策を取ったか。たとえば、別々の会社からという名目でターゲットに手紙を送る際、どこにどう気をつけるべきか。
 作者はそういった部分を綿密に描いていくのです。
 そして、彼らのしているこのお仕事というのが、詐欺という紛れもない犯罪である以上、ここには自然にスリルが生まれてくる。
 それを更に盛り上げるのが詐欺計画に絡む、もう一つの筋、ヘイドンとエヴィ・ストーンのラブストーリーです。
 ターゲットの女秘書であるエヴィは、あくまでヘイドンとランスに協力しているだけのアマチュアです。
 ヘイドンとの間にはプロかアマかという溝がある。それ故にエヴィは余所者である彼に恋し、不安になる。
 彼女の行動や心理は、着実なヘイドンとランスの計画と対照をなし、何かある度に大きく揺れ、中盤以降、こちらもスリルを産む要素となっていきます。
 詐欺計画と、ヘイドンとエヴィの恋愛の行く末という二点で興味を引っ張る。派手な展開はないのですが、だからこそ作者の腕前がよく分かる、そんな構成といえるでしょう。
 
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 さて、本書ではこの二つの筋の結末のあと、その先の物語が用意されています。そして、ここが物凄く良い。
 上で、ヘイドンは自分自身の倫理について誠実と書きましたが、詐欺計画とラブストーリー、その両方にケリがついたあと、その誠実さが問われるのです。
 ヘイドンは何を許し、何を許さないのか。
 ここに物語の最終地点を持ってくるところが素晴らしい。
 ただの犯罪者を主人公にした小説として、着地させるところは確かにそこしかなく、更に言えば、それを大袈裟な話ではなく、あくまで彼らしい話の範疇で終わらせるというのも、また良い。最初から最後まで、ヘイドンはケチな詐欺師以外の何者でもないのです。
 僕はローレンス・ブロックの、ただの犯罪者を主人公にした小説を書くこの手つきを信頼してやみません。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人四年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby