第13回:いいなあ、こういうノリ(執筆者・上條ひろみ)
一カ月のご無沙汰でした。
暖冬かと思いきや、急に寒くなったり雪が降ったり、体調を崩しがちな今日このごろですが、みなさまいかがおすごしですか?
今さらでお恥ずかしいのですが、「ダウントン・アビー」にはまっています。貴族の暮らしぶりやお屋敷の様子、使用人たちの上下関係などが、翻訳の仕事に役立つと言われてシーズン1から見はじめたのですが、何よりもドラマティックな展開に引き込まれてやめられない止まらない。NHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」も、貴族ではないけれど、お屋敷の人びとと使用人たちの人間ドラマとして見ると「ダウントン・アビー」っぽくないですか? ということは、あさの侍女のうめはアンナ?
さて、今回から二〇一六年の読書日記です。今年もすでに話題作がぞくぞくと出ていて、わけもなくあせりますが、この連載ではマイペースで、みなさまと楽しい読書体験を共有できればと思っています。
■1月×日
何の予備知識もなしに読んだルネ・ナイトの『夏の沈黙』は拾い物だった。もちろん、「思いがけないもうけもの」という意味ですよ。何気なくはいった店のごはんがおいしくてコーフンする「孤独のグルメ」の井之頭五郎のように幸せな気分。まあ、井之頭さんはおいしいものに対する嗅覚が異常に発達しているので、ほとんどハズレはないのだが。
いや、「孤独のグルメ」ではなく『夏の沈黙』だ。
テレビドキュメンタリー制作者のキャサリンは、新居に届いた本を読んで愕然とする。そこには彼女が二十年間隠しつづけてきたある夏の出来事が綴られていた。動揺し、挙動不審になるキャサリン。本を送りつけた人物は息子ニコラスと夫ロバートにも接触し、キャサリンの人生を破壊する心づもりのようだった。書いたのはおそらく……でもなぜ今になって……
本が送りつけられてきた現在と、二年まえの本が生まれるに至ったいきさつを交互に描き、二十年まえに何があったのかがますます気になってくるという、計算されつくされた構造。
ほんとにこれがデビュー作? というほど、最初から最後まで読者の心をがっちりつかんで離さない。
そしてこれが本書のいちばんの特徴でありセールスポイントだと思うが、読んでいるうちに登場人物の印象がおもしろいほどガラッと変わる。それもほぼ全員の印象が。視点を変えるだけでもだいぶ変わるものだが、読んでいくうちにいろいろなことが腑に落ちて、あれこれ先を予想していると裏切られる。なんだか巧みに操られているような感じ。この翻弄される感じがたまらない。
家族愛のすばらしさとやっかいさを同時に痛感させられる、技ありの家族小説だ。
■1月×日
読むまえは毎回「うわ〜、長っ!」と思うけど、読みはじめると止まらないユッシ・エーズラ・オールスンの〈特捜部Q〉シリーズ。第六弾の『特捜部Q—吊るされた少女—』は、「美しすぎるって罪ね」というお話。
デンマークの風光明媚な島、ボーンホルムで、ひとりの警官が自分の退官式で自殺する。彼は十七年まえに起こった少女轢き逃げ事件に取り憑かれており、死ぬ直前、コペンハーゲン警察特捜部Qに応援要請をしていた。カールは部下のアサドとローセとともにボーンホルムに向かい、成り行き上、事件の捜査を引き継ぐことになる。やがて、十七年まえの轢き逃げは殺人だった可能性が浮上。当時この地にあったコミューンのメンバーのその後を調べるうちに、あるカルト教団の教祖に行き着く。
このカルト教団にたどり着くまでに、カールとアサドがいろんなスピリチュアル体験をするのも読みどころ。しかしアサドはなんでもよく知ってるなあ。
わりとシンプルな筋だと思いきや、物語は二転三転。最後まで目が離せない展開になっております。
いつもながら扱う事件は超シリアスだけど、それとは対照的にゆるゆるな特捜部Qの面々のやりとりが好きだ。アサドとローセに対するカールの心の声というか、ぼやきがいちいち笑える。カールがふたりの変人ぶりにだいぶ慣れてきて、いろいろお約束ができてくるのもシリーズならではのおもしろさ。いいなあ、こういうノリ。
「藁玉のなかの針を見つけましたね」
「藁山な、アサド」
といった、ハライチ澤部のような、イライラを超越したやさしいカールのツッコミもツボ。こいつは自分の葬式に来てくれるだろう、と思うほど信頼してるんだもんね、アサドのこと。なんだかんだ言って、ローセにもやさしいし。
でも、ゴードンは特捜部Qの一員と考えていいのかなあ? 仕事できなさすぎなんですけど。
「万策尽きたなら、第五の方法でラクダに乗れ」とか、アサドのラクダことわざ(ラクダジョーク?)って、いったいいくつあるんだよ〜。第五の方法……知りたいような、知りたくないような……証拠品が発見された岩礁の名前が「ケミールホーザネ(ラクダ頭)」と聞いて感激するアサドがかわいい。
■1月×日
本格ミステリーの女王ヘレン・マクロイの初期作品『あなたは誰?』は本邦初訳。さすが女王、今回も存分に楽しませてもらいました。
婚約者アーチーの実家があるウィロウ・スプリングに向かおうとしていたナイトクラブの歌手フリーダのもとに「ウィロウ・スプリングには行くな」という匿名の電話がかかってくる。電話は現地に着いてからもかかってきて、部屋が荒らされたあげく、隣家で開かれたダンス・パーティではついに殺人事件が起こる。
そして、「犯罪捜査に心理学を応用したアメリカで最初の精神科医」ベイジル・ウィリング登場。精神科医の卵であるアーチーを助手に、心理学を駆使して事件の謎を解く。
アーチーの母イヴがロマンス小説作家というところに激しく反応。でも短期間で書けてしまうことから、「執筆も生物と同じく、種が下等であれば、それだけ出産に要する期間は短いのだ」ってちょっとひどくない? 「美的でも芸術的でもない」と決めつけるのもどうよ? ロマンス小説を笑う者はロマンス小説に泣くんだかんね。でも、息子の結婚に大反対なのに、自分は「若い恋人たちが結婚を邪魔立てする意地悪な親戚たちにいつも勝利を収める」話を書いてるというのはなんとも皮肉。しかもほんとかうそか、フリーダはイヴの小説のファンだとか言うし。ロマンス作家はつらいね。
しかし……まさかこういうオチだったとは! 今でこそよくあるけど、この当時としてはかなり目新しかったのでは? しかもこじつけっぽさもなく、違和感なく納得できるのがすごい。ポルターガイストを合理的に解説したり、ドゥードゥル(無意識的に書くいたずら書き)で潜在意識をさぐったりして、ゲーム感覚で推理していくのもおもしろかった。登場人物は少ないが、それぞれがいろんなキャラの可能性を秘めているので油断できない。
■1月×日
ミュリエル・スパークの『死を忘れるな』(永川玲二訳・白水社)は、登場人物のほとんどが七十代、八十代という老人小説だ。一九五九年の作品だけど、老老介護とか、息子がいい年してニートだとか、やけに現代的。高齢化社会の今こそ読むべきかも。
老人ばかり出てくるということは、昔話や病気自慢や、同じ話を何回も聞かされて、あら、おじいちゃん寝ちゃったの? なんて静かで退屈な展開になるかと思いきや、これがみんな異様に元気なんですよ。
おもな登場人物は、女流作家のチャーミアン・コルストン(85)とその夫ゴドフリー(87)、ゴドフリーの妹デイム・レティ(79)、チャーミアンの忠実な元家政婦のジーン・テイラー(82)、そのあとがまで腹黒いメイブル・ペティグルー(73)、老人研究に余念のないアレック・ウォーナー(79)など。見事にみんな老人なんだけど、現役感がすごい。若い人とほとんどからまないで、老人コミュニティ内だけで完結しているから、よけいにそう感じるのかな。
クセのありそうな人たちばかりなのに、ユーモアあふれる筆致のせいか、読んでいるうちに、なんだかみんな愛おしくなってくる。
ある日、デイム・レティのもとに、知らない男の声で「死ぬ運命を忘れるな」という電話がかかってくる。その後もたびたびかかってくる電話を気味悪がり、警察に相談するも、老人のたわごとと思われ、とりあってもらえないレティ。やがて謎の電話は彼女の知人たちのもとにもかかってくるようになるが、声の印象はまちまちで、ヒステリーのせいにする人、なかったことにしてしまう人など、反応も人それぞれだった。
『あなたは誰?』と同じく、謎の電話というミステリー的要素はあるものの、老人たちの感心事は、老いらくの情事とか(かわいいもんですが)、昔の色恋沙汰が今に及ぼす影響とか、どうやったらうまいこと遺産がもらえるかとか、けっこうギラギラしてて、みんなあんまり死ぬことを意識していない。元気すぎて空回りしてしまうほどで、バック・シャッツの自虐老人あるあるネタとはまたちがうおかしさがある。「死ぬ運命を忘れるな」は、「今を楽しめ」というメッセージなのか? でも冷静に考えてこんな電話がかかってきたら怖いと思うけど……それをなかったことにしちゃうって、老人力?
「七十を越すというのは戦争に行くことですわ。仲間はもう死んだか死にかけているか、あたしたちはその死んだひとびと、死んでゆくひとびとのなかで生き残っていて。まるで戦場みたいに。」というミス・テイラーのセリフが印象的。彼女のもとにだけ例の電話がかかってこないのは、彼女だけが死ぬことを受け入れている、つまり「死を忘れていない」からかもしれない。
上條ひろみ(かみじょう ひろみ) |
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英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、マキナニー〈朝食のおいしいB&B〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。近刊は〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ最新作『レッドベルベット・カップケーキが怯えている』。 |