第23回:『死刑台のエレベーター』——完全犯罪目前でエレベーターに閉じ込められた男
全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。 「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁) 「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳) 今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発! |
畠山:今年の翻訳ミステリー大賞の候補作が出揃いましたね。『偽りの楽園』『悲しみのイレーヌ』『声』『ゲルマニア』『もう過去はいらない』の5作。栄えある大賞に選ばれるのはどの作品でしょう 4/2(土)の開票が楽しみです。
そして授賞式はなんとなんとスウェーデン大使館で行われるとのこと。つい2年前まで畳に座布団の世界だったのに、どどどーしちゃったんだ!?
し・か・も! エーランド島四部作の作者ヨハン・テオリンさんが記念講演をしてくださるとか。なんかスゲー、スゲーよ、悪の組織!(←ちがいますから ※編集部) あたしが最初は「テオりん♪」っていう愛称だと勘違いしてたのは内緒にしてね。
スウェーデンと言えばマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、ヘニング・マンケル、スティーグ・ラーソンなどなどめっっちゃくちゃ面白いミステリー小説の産地。粋な計らいをしてくださったスウェーデン大使館に敬意を表し、これからいっぱいスウェーデンミステリーを読むぞーおおおぉぉ! 読むぞ読むぞ読むぞぉぉぉぉぉ!!!!(矢口誠風)(なぜ『メイキング・オブ・マッドマックス怒りのデス・ロード』が大賞候補作ではないのか問いたい)
さて、(いきなり素に戻りますが)杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学ぶ「必読! ミステリー塾」。第23回は先月に続いてのフレンチ・ミステリー、ノエル・カレフ著『死刑台のエレベーター』。1956年の作品です。前回の『わらの女』、次回の『特別料理』、さらにその次の『ピアニストを撃て』も同年の作品ですので、ミステリー大豊作の年だったんですね。こんなお話です。
借金返済のメドが立たず窮地に立ったジュリアン・クルトワはついに高利貸しのボールグリ殺害を決行した。首尾は上々、金策も整った。これで愛する妻と楽しい週末が過ごせる。ところがその帰り際、彼はオフィスビルのエレベーターに閉じ込められてしまう。次にエレベーターが動くのは管理人が出社する月曜の朝、つまり36時間後。ヤバイ、ヤバイなんてもんじゃない。楽しい週末が、そしてせっかくの完全犯罪が台無しに!?
そしてようやくエレベーターから出られた時、彼を待っていたのは全く知らない殺人事件の容疑だった。
ノエル・カレフは1907年ブルガリア生まれの作家。1956年、作家活動20年にして『その子を殺すな』でパリ警視庁賞を受賞し、『死刑台のエレベーター』も映画化され大ヒット。しかし日の目をみてからわずか4年後の1960年に亡くなっています。
邦訳されている長編は『その子を殺すな』『死刑台のエレベーター』『ミラクル・キッド』(『名も知れぬ牛の血』改題)ですが、「死刑台〜」以外は現在入手困難のようです。
ちなみにパリ警視庁賞というのはその名の通りパリ警視庁が後援していて、審査委員長は司法警察長官! 正式名称は「Quai des Orfevres」。早とちりで馬かと思いましたが、これはオルフェーブル河岸のことで、パリ警視庁の所在地だそうです。 ※ちなみにお馬さんはこちら(編集部)
警察や司法活動の描写も審査のポイントになっているとか。警察が小説を審査するなんて粋じゃないです? 日本でもやればいいのに、“警視庁後援「桜田門賞」”。んんん〜〜カタイ。防犯の標語が送られてきそう。もしくは重賞レースと間違える人続出でJRAが大迷惑するとか。
ああ、すみません、のっけから脱線しました。
『死刑台のエレベーター』です。完全犯罪目前でエレベーターに閉じ込められた不運な男ジュリアン。その間に彼がやりおおせたはずだった完全犯罪が少しずつ破綻を……みたいなドキドキハラハラサスペンスだと思ったら全然違った!
はっきり言ってジュリアン影薄い!(笑)
ジュリアンが閉じ込められている間に別のお話も同時進行していくのですが、すっかりそっちに夢中になってしまい、エレベーターに話がもどると「あ、そういえばこの人いたんだった」って感じで。
しょうがないよなぁ、いい歳こいてアホかコイツって感じのチャラ男だもんね。
ジュリアンの愛の大盤振る舞いにはフランス男子の本懐をみるような気はしましたが、そもそも妻および不特定多数の女性にご奉仕(?)がすぎて借金をしているわけで、同じ高利貸し殺人事件でも『罪と罰』のラスコーリニコフみたいなやるせなさはない。自業自得というか因果応報というか、「やれやれ」(村上春樹っぽく)って感じなのです。
かえって殺された高利貸しが可哀想ですよ、あこぎな商売をしていたわけでもないのに。
ジュリアンは自分が犯した殺人は完全犯罪、つまり警察は真実に辿り着けないと考えているのに、自分の無実については真実がすぐに明らかになるだろうと思っているのが、なんともまぁ気の毒なほどにお気楽。完全犯罪と無実の罪の結末は読んでのお楽しみですが、コレ、けっこう皮肉がきいています。思わずニヤリとしました。
加藤さんも男子のハシクレ、やんちゃがすぎてどこかに閉じ込められた経験の一度や二度はあるだろうと察しますがいかが?
加藤:閉じ込められた、とは少し違うけど、むかーし、気がついたらパトカーに取り囲まれていたってことがあったなあ。
学生時代、金もないのに偉そうに車を持っていた僕は、ある日のバイト帰り、深夜の国道一号線で愛車カローラ・ハードトップ(15年落ち)がガス欠に。仕方ないので、路肩に車を停めて、ガソリンスタンドが営業を始める朝まで寝て待つことにしたのです。
それから暫くして、誰かが窓ガラスをコツコツ叩く音で目を覚ますと、外には警察官が。そしてパトカー2台が僕の車の前後をガッチリ囲んでいるではありませんか。事情がわからないまま、持ち物と車内をトランクの中まで全て調べられ、その場で事情聴取ですよ。話を聞くと、どーやら、僕が車を停めて寝ていたすぐ近くの会社に不審者が侵入したという通報があったとのこと。
「君がガソリンを盗むために侵入したのか」って。うーん、客観的にこの状況をみると、その推理はとても正しい気がしてしまうのが恐ろしい。
でも、ちょっと待ってよ、お巡りさん。俺がそんな人間に見えますか? ヒトサマのものを盗むようなケチな男にみえますか? 人が惨たらしく死ぬ小説を好んで読むようなヒトデナシに見えますか? 酔っぱらって居酒屋で醤油の卓上瓶を一気飲みするようなバカに見えますか? 見えますかそうですか。
それでも俺はやってない。やってないったらやってない。なぜなら、俺はやってないからだ。
というわけで、僕はこのとき、やっていないことを証明することが如何に難しいかを身をもって知ったわけですが、本作『死刑台のエレベーター』の主人公ジュリアンも、同じように身に覚えのない殺人の容疑をかけられ、大変なことになります。
果たして彼はこのピンチを切り抜けることができるのか?
なーんて書いてはみたものの、読者は誰もジュリアンの無事の帰還を期待はしてはいないのです。なんて可哀そうなジュリアン。今も昔も、世間は不倫に厳しいのです。
畠山:私の父は学校を休みたくておちょこ一杯の醤油を飲んで熱をだしたというトンデモな人です。医者が首をひねる様子を心の中で嘲笑っていたとか。良い子も良い子じゃない子も、酔っぱらった阿呆も絶対真似をしてはいけません。大量に飲んだら死にますからね。なんでも体重50kgの人なら140mlの摂取で命の危険があるそうです。ああ、もちろんナツメグもいけませんよ。(札幌読書会炎上物件『ゴーストマン』を読んでね♪)
■必読!ミステリー塾 課外授業篇『ゴーストマン』はこちら→前編・後編
それにしてもガス欠の車で寝ていて気づいたら警官に囲まれてたって、ちょっとしたロードムービーみたいじゃない? 北海道なら「グリズリー」になりかねないけどw
映画といえば「死刑台のエレベーター」は映画の認知度が高いですね。ちょうどよく地元のシネコンで上映されていたのですっ飛んで行ってまいりました。原作とは少し変わっているけれど、窓から窓へと移動して高利貸しのオフィスに侵入するシーンやエレベーターの構造なんかはとてもわかりやすくてよかったです。
ストーリーはいかにもジャンヌ・モローありきという感じ(ちなみに彼女の役どころは原作にはありません)に改編されていますが、それはそれで面白く仕上がっているし、ラストは戦慄と哀しさとため息のでるような美しさ。
でも映画の良さを認めたうえで、原作の持ち味はソコじゃないんだよなぁと思うのです。
ジュリアンがなす術もなくエレベーターに閉じ込められている間に、路駐した彼の車を拝借した若いカップル、半狂乱でジュリアンを探す妻、彼女に振り回される兄夫婦に偶然通りかかったある夫婦……といくつもの人生が交差し、互いに相知らぬ者同士の行動のすべてが無駄なく結末の絵図のピースとしてぴたりとはまっていくところは見事のひとことです。これは神様の完全犯罪(笑)
この群像劇が実に面白いのです。それぞれ抱えている問題は違いますが、保護者ぶる男性と泣いたり不機嫌になったりすることで「アタシを助けて」アピールをする女性という構図で、これが最初はイラッとくる。男にも女にもイラッとくる。ところが少しずつ様相が変わっていくのです。泣いたり縋ったりしか手段がなかった女性がそのラインを越えはじめると俄然面白くなってくる。ゾクゾクするような喜び、ダークな快感を覚えました。
全てがジュリアンに帰ってくる精巧な仕掛けの中に旧態然とした男女間の既成概念を壊そうとする葛藤がぎゅぎゅっと組み込まれている……そこが魅力ではないでしょうか。
私と同じように感じてくれる女性陣がいると嬉しいなぁ。
そういえば加藤さんは4/2の大賞授賞式は参加できないんですって? 何か月も前から楽しみにしていたのに、ここぞという時に運が悪いのはジュリアンに似てるかも(笑)
大丈夫、貴方が不在の間にスウェーデン大使館ではめちゃくちゃ楽しい群像劇をみんなで繰り広げるからね! 安心して仕事の檻に閉じ込められていて下さい。ヒッヒッヒッ(他人の不幸は蜜の味)
加藤:行きたかったなあ、スウェーデン大使館。実は僕、まだ名古屋読書会もなかった第一回の大賞授賞式&コンベンションから皆勤だったんですよね。(第二回は東日本大震災で式は中止でしたが)
思えば、第一回は小鷹さんも東江さんもお元気だったなあ。とはいえ、東江さんは病み上がりって感じだったけど、小鷹さんは逢坂さんと「カイテルがカイテるんだよ!」とかハシャいでおられたのを思い出す。
皆さん、ぜひ僕の代わりに参加して、年に一度の翻訳ミステリーの祭典を盛り上げてください。でも、「いままでで一番盛り上がった」とか言われるとシャクなので、ほどほどにね。
そして『死刑台のエレベーター』。畠山さんも書いてる通り、この物語の中心は主人公ジュリアンがエレベーターに閉じこめられた36時間のあいだに起きた、男女4組のドラマです。
とにかく、物語全体における主人公ジュリアンの不在感はハンパなく、不在感がありすぎるという、よく分からないパラドックスな状態なのですね。
本作は、それぞれに繋がりがあるのか無いのか分からない出来事が、一見無造作に時系列順に並べられて淡々と進行するという構成。
しかし、やがて読者は、少ない情報から全体が見渡せるようになってきます。
誰も知らないジュリアン不在の理由を読者だけは知っていて、登場人物それぞれの意図しない行動が、どんどんジュリアンを追いつめてゆくのも分かってくる。
いわゆる神の視点で書かれた小説なんだけど、それがいつの間にか、自分自身が神にでもなったような錯覚に陥るという稀有な体験。そして、それが気持ち良かったりする。
もうこうなると、作者の術中にどっぷりハマったわけで、終盤に差し掛かる頃には、自分が予期しないサプライズなどあってはならないという心理になっているから怖い。
うまく説明できないのがモドカシイけど、きっと貴方も読めばわかる。そんな不思議な話でした。
そして、今年も翻訳ミステリー読者賞の季節がやってきました。
絶賛投票受付中! 発表は4月2日、スウェーデン大使館にて。
詳しくはこちらの特設サイトをチェックだ!
翻訳ミステリーを愛する皆さん、奮ってご応募ください! 迷ったら『ザ・ドロップ』って書いて送っとけ!
■勧進元・杉江松恋からひとこと
『死刑台のエレベーター』は前回の『太陽がいっぱい』と共に「映画しか観てないけどなんとなく原作も読んだ気になっていて、いざ読んでみると違いにびっくり」ご三家を形成しています(あと一冊はロバート・ブロック『サイコ』)。しかもスリラーとしては滅法おもしろく、これを読まないのは非常にもったいない。というわけで選書の最初期から本書を入れることは決めておりました。100冊の中には企画当初には本があったものの、そのうちに品切れになってしまったという作品が何冊もありずいぶん口惜しい思いをしましたが、本書が残ってくれて本当によかった。
先日、新宿五丁目cafe live wireで開催したピエール・ルメートルとフランス・ミステリーについて語るイベントの中で、翻訳家の橘明美さんがおもしろい喩えをしてくださいました。フランス・ミステリーの癖のある感じについて「場外乱闘のよう」と。そうそう。このまま最後までリングの中で闘って決着をつけてほしいのに、途中で場外乱闘がおっぱじまってしまい両者リングアウトで不完全燃焼の終わり方になってしまうと。なるほど、言い得て妙だと思いました。しかし、私が嵌まったころのフランス・ミステリーはそうではなかった(あるいはそうではない作品ばかり読んでいた)。プロットがどんなによじれたように見えても、最後は必ずリング中央に戻ってフィニッシュを決めてくれる。まさにスリラーのお手本のような長篇を数多く読んできたという記憶があります。『死刑台のエレベーター』は、そうした正調(とあえて言いますが)フランス・ミステリーの見本のような作品です。これを読んだあともし気になった人がいたら同じ作者の『その子を殺すな』も読んでみてください。小説のねじれはどうやると生まれるのか。そしてそれをどうすれば本筋につなげられるのか。いろいろなことをカレフからは学ぶことができます。
さて、次回はスタンリイ・エリン『特別料理』ですね。この短篇集をどう読まれたか、楽しみにしております。
加藤 篁(かとう たかむら) |
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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato |
畠山志津佳(はたけやま しづか) |
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N |
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