全国の腐女子の皆様とそうでない皆様、こんにちは!

 ダニエル・フリードマンの大傑作『もう年はとれない』を始め、今話題のヨハン・テオリンのエーランド島シリーズなど、面白いシニア・ミステリーが次々と刊行されて嬉しい限りですが、ついにあの人まで美老人として登場するとは!! というわけで今回は、ミッチ・カリン『ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件』(駒月雅子訳 KADOKAWA)をご紹介します。

 舞台は1947年。探偵業を引退し、二度の大戦を経験して今や93歳となったシャーロック・ホームズは、イングランド南部サセックスの人里離れた一軒家を終の棲家とし、かねてからの希望だった養蜂を営んでいます。兄マイクロフトや親友のワトスンとも死に別れ、天涯孤独となったホームズ。自由がきかなくなった肉体と認知症の不安に脅えながらも、誰にも弱みを見せずに日々を過ごしています。

 ……とここまで聞いただけで、つらすぎて耐えられないというあなた! まったくもって賛同しますが、そこはもう少しだけ我慢してください! 

 痴呆予防にと、収穫したローヤルゼリーを毎日摂取するホームズでしたが、遠い極東の植物、山椒が老化に大変効果があると聞き、研究を通して知り合った文通相手のウメザキが住む日本を訪ねたのち、イギリスに帰国したところからお話は始まります。

 この小説は、現在、日本を訪れた際の出来事、そして過去の忘れられない事件の回想という3つのパートで構成されています。バリツでやすやすと悪党を倒した強靭な肉体も、あれほど明晰だった頭脳も、どんなにあらがったところで老いとともに衰えてゆくというつらさが、細部にわたって描かれている現在のパートは、読んでいてとても身につまされます。しかし住み込みの家政婦マンロー夫人の息子ロジャー少年が養蜂を手伝ったことにより、日々の生活がゆっくりとあたたかみを帯びてきます。何にでも興味を持つロジャーの素直さと利発さに、他者をよせつけなかったホームズのかたくなな心が少しずつときほぐされていくのでした。

 その一方で、ホームズはかつて苦い結末を迎えた過去の事件に再度取り組みます。子どもを失って精神が不安定になった妻を心配した夫が、気分転換にとすすめた習い事が原因なのか、やがて妻は不審な行動を取るようになり……。皆川博子先生の『アルモニカ・ディアボリカ』にも登場した楽器アルモニカが、ここでも不気味な役割を果たします。そしてもう一つのパートである、日本訪問。ここではなぜウメザキがホームズを日本に招いたのかという謎と、今よりもずっと遠かった神秘の国日本を、老境のホームズがどう見たかが、幻想的といってもいい筆致で描かれています。それにしても、シャーロック・ホームズというとヴィクトリア時代のイメージが強いせいか、第二次大戦後も生きていたかもしれないという事実には、いまさらながらびっくりです。

 どちらかというと文学作品としてとても読み応えのある小説ですが、一見なんのつながりもなさそうな三つのことがらの共通点が鮮やかに浮かび上がった時は、謎解きのカタルシスも得られます。もちろん正典への目配せもきちんとなされていますので、訳者の駒月さんによるあとがきをぜひお読み下さい。

 繰り返しますが、ホームズが老いに苦しめられる箇所は本当に読んでいて辛いです。でもそんな状況でも、盟友ワトスンのことを思い出すくだりはとても心が温まります。世間の人が抱いているワトスン像——偉大な探偵の単なる引き立て役の記録者——に、ずっと不満を抱いていたホームズ。数ある著書のおかげで、彼らは「ホームズ」「ワトスン」と呼びあう、ある種の堅苦しい間柄と思われていましたが、鹿撃ち帽や曲がったパイプと同様、それは真実ではなく、実は「シャーロック」「ジョン」と名前で呼びあうような、ずっと親しい仲でした。そして——

「私は若かりし頃にああいう男と過ごせたことをつくづく幸せに思う」

 とホームズに言わせてくれたミッチ・カリンには、2人のファンとして心から感謝したいと思います。

 さて、そんな老ホームズが映像化されたらどうなるか。3月18日公開の映画『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』は、原作の雰囲気を損なうことなく、全人類の期待に申し分なく応えた素晴らしい作品になっておりました!!!

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 93歳のホームズを演じるのは、美老人界の頂点に立つ名優イアン・マッケラン(原作では長い白髪とあごひげをたくわえていますが、それだとガンダルフになっちゃうので設定を変えたのでしょうか……)。そして監督は以前ご紹介した『ゴッド・アンド・モンスター』から二度目のタッグとなるビル・コンドンという最強の組み合わせ。 謎めいた日本人ウメザキは真田広之が演じています。

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 実はマッケランは撮影当時75歳。なので、わざわざ93歳の老けメイクをほどこし、足元もおぼつかない老人演技を見せるのですが、これがもう迫真過ぎて、ハラハラするわ、痛々しいわで正直観ていて辛かったほど。でも、原作より幼い10歳のロジャー少年と心を通わせる場面はとても微笑ましく、子役のマイロ・パーカー君の演技も大きな見所の一つですので、ぜひご覧になっていただきたいです。

 なおこの作品、大きな改変が一つと、映画ならではの脚色がいくつかほどこされておりますが、原作ファンの方も納得されると思いますし、さらにはホームズファンのツボをおさえた脇役陣にも注目です! 最後に、「映画を観たら原作は読まなくていいかな…」と思っているそこのあなた! 美老人ホームズが浴衣を着たり、卵かけご飯を食べたりするシーンは原作だけですからね!!!


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タイトル『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』

公開表記: 3月 18日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー

コピーライト: © Agatha A Nitecka / SLIGHT TRICK PRODUCTIONS

配給:ギャガ

監督:ビル・コンドン『ドリームガールズ』

脚本:ジェフリー・ハッチャー『カサノバ』

出演:イアン・マッケラン『ホビット』『X-MEN』シリーズ/ローラ・リニー『ラブアクチュアリー』

真田広之『ラストサムライ』/マイロ・パーカー『スティールワールド』

原作:ミッチ・カリン「ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件」 (KADOKAWA 訳:駒月 雅子)

原題:Mr.Holmes/2015年/イギリス、アメリカ/104分/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/字幕翻訳:アンゼ たかし

■おまけ

 一つだけ宣伝させて下さい。

『SHERLOCK/シャーロック』を筆頭に、海外ミステリードラマを大特集したムック『ドラマ秘宝Vol.2』(洋泉社)が発売されました。皆様ご存じの堺三保さんや、ホームズのパスティーシュでおなじみの北原尚彦さん、某ミステリ誌編集者であるKさんなどが寄稿されてらっしゃいますが、私も『探偵ブロディの事件ファイル』のドラマの紹介や、シニア愛あふれるコラムを書きました。写真も満載ですので、ご興味のある方はお手にとっていただければ嬉しいです。

♪akira

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  BBC版シャーロックではレストレードのファン。『柳下毅一郎の皆殺し映画通信』でスットコ映画レビューを書かせてもらってます。トヨザキ社長の書評王ブログ『書評王の島』にて「愛と哀しみのスットコ映画」を超不定期に連載中。

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