先月末に勤めていた会社が当日解散したおかげで北京で無職生活を送っています。今回はそんな状況下で読んだ本の紹介をします。

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 2015年6月に出版された本書は『烏盆記』という京劇の題目を踏襲したかのような事件が発生して、作者と同名の名探偵・呼延雲ら個性的な登場人物が活躍するという中国ミステリです。

『烏盆記』とは北宋時代の殺人事件を被害者の幽霊が訴えて中国の名裁判官・包公が犯人を裁くという京劇で、幽霊が無念を訴えるシーンがあまりにおどろおどろしいため1950年に上演することが禁止されてから、文革が終了した1980年になっても禁じられたままだったと言われています。本書でも冒頭にその京劇の内容を説明しているのでここにそれを簡単に引用します。

 北宋時代の安徽省で陶工をしている趙大の家に劉世昌という絹売りが一夜の宿を借りに来る。趙は劉が大量の銀貨を所持していると知ると酒に毒薬を盛り彼を殺し、死体を粉々にして土に混ぜ、あろうことかそれで陶器を作る。それから3年後、草鞋売りの張別古が借金の返済を迫りに趙の家に行くと家は以前とは比べ物にならないほどの豪邸になっていた。しかし趙は借金を返して欲しいなら借用書を見せろと言い、取りつく島もなく、真っ黒い器(烏盆)が借金の代わりだと言って強引に渡して張を追い返す。

 その夜、烏盆から劉の幽霊が現れて張に無念を説き自分の仇を晴らすように訴える。そして張は名裁判官の包公のもとに烏盆を持って行き、劉の幽霊に事件の概要を説明させる。劉の話を信じた包公は直ちに趙を捕まえて死刑に処し、張には褒美を与え、劉の幽霊が潜む烏盆を供養した。

 日本の六部殺しを思わせる内容ですが、幽霊の訴えを聞き入れてくれるあたり流石は包公といったところです。しかし現代では幽霊の証言などで警察は動いてくれません。現代の『烏盆記』では一体どのようにして犯人を追い詰めるのでしょうか。

 今度は本書のあらすじを書いていきます。

 北京の公安処長・林鳳衝の大捕り物に協力した元刑事で記者の馬海偉が現場となった無人の花屋にいるとラジオから京劇の『烏盆記』が突如流れてくる。心霊現象かと恐怖していると、そこで京劇の内容にそっくりの真っ黒い器(烏盆)を見つける。まさかと思い烏盆を割ってみるとなんと成人の臼歯が出てきた。これはきっと自分が警察官時代に捜査を妨害されて解決できなかった違法の窯場の崩落事件による犠牲者の物だと理解した馬海偉は単身現地入りし、今度こそその窯場の所有者である趙大こと趙金龍を捕まえようと決意する。しかし現地には烏盆には過去に趙大に大金を奪われて殺された自分の父親が入っていると訴え趙大への復讐を誓っている翟朗という青年がいた。そして事件の関係者が揃う中、疑惑の大元である趙大は密室で死体となって見つかる。事態は新たな展開を迎え、捜査に参加することになった林鳳衝は名探偵・呼延雲に協力を仰ぐ。

 まるで京劇を再現したかのような凶悪事件がきっかけになって新たに密室殺人事件が発生するという展開に惹かれますが、それ以上にこの作品は登場人物が個性豊かで探偵が出てくるフィクションでありながらもところどころにリアリティのある人間心理が描かれている点も評価できます。

 例えば地元の警察として現場で指揮を取る晋武は所轄の違う林鳳衝らの干渉を露骨に嫌がるばかりか、実は地元の権力者である趙大と癒着のような関係を結んでいて後ろめたいと思っているとか、事の発端である馬海偉は最後まで重要な事を隠したままで現場を混乱させたり、記者の郭小芬は「探偵は呼延雲一人だけじゃない」と言って彼を差し置いて皆の前で推理を披露したりだとか自分勝手な人間が目立ちます。これは本書がシリーズ物の5作目に当たり、レギュラー勢のキャラクターが過去の作品で確立しているから活き活きしているように感じられるのかもしれません。

 中国ミステリと言えば、事件関係者が皆物分り良くて協力的で、警察官が全員正義感に溢れ真面目というベタな設定に飽いていたのでこういう本を発見できたことは嬉しかったですね。

 肝心のトリックですが、趙大が殺されたのは敷地内にある小屋で窓とドアは当然ロックされている密室で、しかも屋外であり地面には砂が敷き詰められているにもかかわらず犯人の足跡はないというものでした。探偵の役割を買って出た郭小芬はこのトリックが糸を使ったカラクリで密室を造ったと解釈し、読者を失望させましたが名探偵・呼延雲はこれに対して「滑車や糸を使ったトリックは私が最も軽蔑するものだ」と言い放ち、読者の気持ちを代弁してくれます。

 このように本書は探偵が存在していること以外は現実に即していると思える内容ですが、実はその探偵という存在において、とんでもない設定が隠されています。

 中盤、本筋に関わる事件が起きて呼延雲とは異なる探偵が登場するのですが、その探偵というのが18歳で心理学の博士号を取り、言動に容赦がなく、清王朝の血筋を引く愛新覚羅・凝という天才女子大学生なのです。しかもこの世界にはミステリ研究会が群雄割拠していて、彼女は中国四大ミステリ研究会の一つで学生のみで構成されている『名茗館』の代表者です。更に本書には名前しか出てきませんが構成員から謎を解く手法まで全てが謎に包まれている『課一組』、「相談式推理」という手法でその名を轟かす『溪香舎』、大勢のマジシャンで構成されている『九十九』という研究会も存在します。

 微博(マイクロブログ。中国版Twitter )では「キャラクター設定が中二病ぽかった」というコメントを数人のユーザーが残していますが、おそらく愛新覚羅・凝およびミステリ研究会を指しているのだと思います。私も正統派のミステリを読んでいたと思ったらいきなりライトノベルのような設定が出てきて展開に面食らいましたが、中国を探偵が跋扈する国に変えた上で本格ミステリを書いたのは功績だと思います。残念だったのは愛新覚羅・凝が中盤で登場したあとすぐに退場してしまい呼延雲と対峙することがなかったことです。本作はシリーズ物で次回作もあると思われますので、今後はもっと個性的な探偵の登場が期待できます。

 本格要素もライトノベル要素もあって、さらに中国の伝統芸能の京劇も学べる(?)おすすめの中国ミステリです。

阿井 幸作(あい こうさく)

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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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