書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
寒さもそろそろ一段落しかかって、桜の開花前線も気になってきた今日この頃です。花粉症で目が辛いという方もいらっしゃるでしょうね。本格的な春の訪れを前に、今回も七福神の登場です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
千街晶之
『ロックイン』ジョン・スコルジー/内田昌之訳
新☆ハヤカワSFシリーズ
意識はあるのに体を動かせない「ロックイン」状態に陥る奇病が蔓延した世界。ヘイデンと呼ばれる患者たちは、やがてロボットの義体とオンライン空間の利用で通常の生活を送れるようになった。そんなヘイデンの新人FBI捜査官が、身元不明の男が怪死した事件の捜査に着手する……。破天荒な設定ながら、未来社会のディテールが細部まで練られているのでただならぬ説得力が感じられる。新人捜査官とアクの強いヴェテラン女性捜査官のバディものとしても、架空の症例をトリックの前提とした謎解きものとしても面白いし、狡猾な真犯人にいかにして罪を認めさせるかという終盤の駆け引きもスリリング。ポケミスから出たとしても違和感がなさそうなSFミステリの秀作だ。
吉野仁
『マプチェの女』カリル・フェレ/加藤かおり・川口明百美訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
作品のはらむエネルギー量がとんでもない小説だった。アルゼチン現代史の闇を追う探偵と部族出身の女が、正体不明の敵と繰り広げる壮絶な闘い。それをフランス人作家が無骨で大胆ながら熱く語っていく。最後の百ページはひさしぶりに血の沸き立つ思いを味わった。これ、これ、これ。こういうのが読みたかったのだ。お願い、この作家、もっと訳してくれ!
川出正樹
『永遠の始まり』ケン・フォレット/戸田裕之訳
SB文庫
激動の二十世紀を生きた人々の愛憎と情熱、誇りと怒り、そして欲望と大望を圧倒的な筆力で謳い挙げたケン・フォレット畢生の大作〈百年三部作〉。その掉尾を飾るのが、1961年のベルリンの壁建設に始まり89年の壁の崩壊を経て二十一世紀へと繋がる『永遠の始まり』だ。
全四巻2200ページという大部に臆する事なかれ。あるものは政治活動を通じて、あるものは音楽を通じて、薄明の時代にあって、自由と平等を求めて前を見つめ抗い続ける姿が胸を打つ。冒険小説の面白さを備え、虚実皮膜を能くしたこの波瀾万丈なエンターテインメントを、今の時代にこそ味わってみて欲しい。主人公たちの祖父母や親の若かりし頃の活躍譚として、第一部『巨人たちの落日』、第二部『凍てつく世界』を楽しむのは、この物語を堪能してからでも遅くはない。
酒井貞道
『マプチェの女』カリル・フェレ/加藤かおり・川口明百美訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
ウンベルト・エーコ『プラハの墓地』も素晴らしいのだが、ミステリ色が一層濃いこちらを選択。舞台はアルゼンチン(一部ウルグアイを含む)であり、その歴史や社会を背景とした、壮大な物語が展開される。LGBTを狙った連続殺人ものであるかのように始まるが、話が進むにつれて急激にスケールアップし、方向性も変わっていくので、乞うご期待。アルゼンチンの歴史や社会を色々と直接的に説明する地の文は、饒舌であり熱量が高い。力と勢いのあるクライムノベルといえよう。ただ——何割か削ったら更に良かった、と思うのは贅沢なのだろうか?
北上次郎
『ロックイン』ジョン・スコルジー/内田昌之訳
新☆ハヤカワSFシリーズ
最初なかなか物語に入っていけず挫折しかかったが、『老人と宇宙』のスコルジーなのだ。面白くないわけがないと言い聞かせて読み進むと、あっという間に一気読み。やっぱりスコルジーだ。全世界にヘイデン症候群(意識ははっきりしてるのに体を動かすことができない病気)という奇病が蔓延した近未来の社会で殺人事件が発生し、FBIの捜査官クリスが捜査に乗り出すSFミステリー。SF冒険活劇『アンドロイドの夢の羊』に比べると、あちらのほうがたしかにいいけれど、これだって捨てがたいという水準作。
霜月蒼
『証言拒否 リンカーン弁護士』マイクル・コナリー/古沢嘉通訳
講談社文庫
法廷ミステリが面白いのは、いわば全編が本格ミステリでいう「解決の場」で占められているからだと思っている。しかも法廷劇は、敵と味方の戦いの構図により、自動的にエンタメのドキドキが発生する仕組みなのだ。マイクル・コナリーは、アメリカ型現代スリラーに第一級のミステリ・マインドを仕込んできた作家だから、その「リンカーン弁護士」シリーズはいずれも極上の才気と緊迫感が宿っている。本作は第4作。法廷劇の比率が高く、ペリー・メイスンを思わせる法廷ミステリの正統を感じさせてくれる上に、ミステリとしての逆転の鮮やかさ、その伏線と手がかりの見事さはクラシカルな謎解きミステリそのものでもある。去年の『スキン・コレクター』と同様、意外な真相に至る材料が、律儀なまでにきちんと配置されているのである。
杉江松恋
『プラハの墓地』ウンベルト・エーコ/橋本勝雄訳
東京創元社
プラハの墓地、と聞いて「あ、あれだな」と思い出す近現代史ファンは多いはずだ。これは史上最低最悪の偽書であり、ユダヤ人による陰謀論を振りまいてロシアにおけるポグロムやナチのホロコーストに根拠を与えた〈シオンの議定書〉が成立に至るまでの過程を、フランス大衆小説伝統のフィユトンの形式を借りて綴った一大伝奇小説なのである。文書偽造の技に長けた主人公が権力者に重宝され、無自覚な形でさまざまな事件を引き起こしていく。爆弾魔を描いた『逃げ出した百歳老人』のほうがまだユーモアは陽性で、本書は差別主義者の主人公の自我がだだ漏れで開陳されていくという身も蓋もない叙述形式であり、彼に対する嫌悪感が読者と対象の間に適切な距離を作らせるという仕掛けになっている(この男が結構な食通だというのがまたいいのである)。キャラクターの魅力がプロットとがっちり結びつき、読者の心を捉えて離さない。あえてミステリーとしてこれをお薦めするのは、主人公の記憶が混乱しているために、自分は本当は誰なのかがわからず、しかも意外なところから死体が現れて、それがなぜ生成されたかがわからない、という事態に巻き込まれていく脇筋が、彼の語る過去の物語と同等の比重をもって描かれるためだ。日本の知的な謎解き小説を好む読者ならば、この作品の遊びを十二分に堪能できるはずである。大衆小説のお手本のような形で書かれた、とても危険な一冊である。
SFミステリーに大河小説、アルゼンチンを舞台にしたスリラーにウエルメイドな法廷小説、そして知の巨人の奇書と、またまた今月もバラエティに飛んだ月になりました。毎回何が出てくるかわからない七福神、次回もどうぞお楽しみに。(杉)