書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
川出正樹
『世界の終わりの最後の殺人』スチュアート・タートン/三角和代訳
文藝春秋
『名探偵と海の悪魔』から待つこと三年、『世界の終わりの最後の殺人』が期待を上回る面白さで、すこぶる気分がいい。凄いな、スチュアート・タートン。デビュー作『イヴリン嬢は七回殺される』で、タイムループと人格転移を掛け合わせて伝統的英国謎解きミステリをコンテンポラリーに蘇らせ、第二作『名探偵と海の悪魔』では、大海原を往く帆船の中で悪魔の力と名探偵の頭脳が死闘を繰り広げる波瀾万丈なオカルティック謎解き海洋冒険教養小説という一大絵巻を緩急自在に描き上げた彼が三作目で挑んだのは、突如発生した謎の黒霧により地球の生物がほぼ絶滅した終末期に、唯一、百人あまりが生き残っている孤島を舞台にした謎解きミステリだ。
AIに管理された住民が平穏に暮らす村で起きた殺人の謎を46時間以内に解明しないと人類が滅亡するという究極の極限状況から生まれるタイムリミット・サスペンス小説としてのスリリングな展開の面白さと、名探偵が証拠を分析し論理を構築して真犯人を指摘するフェアな謎解きミステリの興趣を同時に味わわせてくれる。
三人称多視点と思いきや、実は人々の頭に埋め込まれたAIの一人称一視点という物語の外に立たない“神視点”の発明こそがこの作品のミソだ。これにより複雑かつ奇想天外な物語は求心力を持ち、同時に読者は作品世界に没入できる。その結果、大胆奇抜な真相も説得力を持ち得るのだ。『イヴリン嬢は七回殺される』における、〈一人称多視点=一人称一視点〉設定による主人公と読者の知識の完全一致といい、スチュアート・タートンは、派手な飛び道具を、虚仮威しや雰囲気作りではなく謎解きミステリとしての練度と強度を高めるツールとして巧妙に活用している点が心憎い。特異なルールに基づくクローズド・サークル・ミステリの第一人者による、年間ベスト・クラスの傑作だ。
今月は、クイーム・マクドネル『悪人すぎて憎めない』(青木悦子訳/創元推理文庫)もお勧め。“善人”すぎて手段を択ばない、高潔なれどたがの外れたあぶない野郎どもと聖女たち(ガイズ&シスターズ)が丁々発止のやり取りをし、八面六臂の活躍を見せる最高に生きのいいバディものミステリだ。デビュー作『平凡すぎて殺される』、第二作『有名すぎて尾行ができない』、第四作Last Ordersからなる〈ダブリン三部作〉の前日譚だけど、本書から読んでも全く問題ないし、むしろ時系列順に読んだ方が、その後の展開が判っていないため驚きは大なので、これまでシリーズを手に取っていなかった方にもお勧めします。
千街晶之
『世界の終わりの最後の殺人』スチュアート・タートン/三角和代訳
文藝春秋
三月はSFミステリの逸品が目立った。好きな時代・場所へのタイムトラベルが可能になった(ただし、過去や未来を幻視するようになってしまう副作用を伴う)近未来世界が舞台のロブ・ハート『パラドクス・ホテル』も面白かったが、ここではスチュアート・タートンのお待ちかねの第三作『世界の終わりの最後の殺人』を推す。舞台は、霧の襲来によって文明が滅んだ後、生き残った百数十人が住む孤島。人々を導く三人の長老のうち一人が殺害され、そのせいで島を守るバリアが解除されてしまう。人類全滅を防ぐには、島に霧が到達する四十六時間後までに犯人を見つけてバリアを再起動するしかない……という設定なのだが、住民は長老たちが定めた決まりに疑いを持たない従順な人間ばかりで、謎解きなどという作業にはてんで向いていない。さあ、どうなる人類! という危機に立ち向かうのはエモリーという女性。この島の住民としては珍しく好奇心旺盛な彼女は、殺人の真相ばかりか、この島の成り立ちそのものの恐るべき秘密にまで迫ってゆくのだ。物語の中盤で(普通ならラストまで伏せておくような)巨大な秘密が明かされるのだが、それでもまだまだ多くの謎が残っていて最後まで読者を翻弄する構成となっている。世界観が説明されない序盤は何が起きているか見えにくく手こずるかも知れないが、少しずつ情報を与えられるうちに霧が晴れるように視界がクリアになり、そこから先は一気読み必至である。日本の特殊設定ミステリのファンにも強くお薦めしたい、年間ベスト級の傑作だ。
霜月蒼
『孔雀と雀 アラブに消えゆくスパイ』I・S・ベリー/奥村章子訳
ハヤカワ文庫NV
ある種のスパイ小説はすぐれた謎解きミステリとなりうる。『孔雀と雀』は、その好例である。本書は「アラブの春」の運動が巻き起こる2013年、アメリカの海軍基地を持つ王国バーレーンを舞台とする。そこのCIA支局の古株工作員「私」の一人称で、イランの支援の疑われる反国王運動の実態を探ろうとする「私」の活動が描かれる。「私」の語りは単なる一人称ナラティヴではなくて、どうやら手記のようなものであるらしい。
ある種のスパイ小説は植民地小説でもある。本書もその一例であり、エキゾティックな異国に暮らしつつも異物であり外国人であり、しかも白人である人々の懈怠い生活と社交も活写される。異国にある西洋レストランに集い、酒や美食や不倫に、公務と同列であるかのごときに耽る外交官や高級軍人。ベリーの悠然たる筆致はグレアム・グリーンの『ハバナの男』やル・カレの『スクールボーイ閣下』といった植民地系スパイ小説を思い起こさせる。
それゆえ展開が退屈に見えるかもしれない。だが、ゆっくりした堆積は終盤に臨界を迎え、爆発する。このショックはミステリのサプライズと物語の感情的高まりを見事に両立したものでもある。この展開の詳細は書けないが、謎解きミステリ的な周到なテキストの企みゆえの効果だということは書いてもいいだろう。日本版の副題がやや格調を欠くが(原題のままだと商業上の不利になるという判断は納得できます)、英米で高く評価されたことも納得の堂々たる逸品です。
上條ひろみ
『ボニーとクライドにはなれないけれど』アート・テイラー/東野さやか訳
創元推理文庫
ボニーとクライドといえば、1930年代のアメリカに実在した、言わずと知れた犯罪者カップルですが、連作短編集『ボニーとクライドにはなれないけれど』にはいい意味で意表を突かれました。タイトルからの連想で、派手なドンパチが繰り広げられる刹那的な恋人たちの話かと思ったら(それじゃまんまボニクラ)、まあこういう状況なんで悪いこともしちゃうけど仕方ないよね、愛があればなんとかなるっしょ!的な、心情的にはどこにでもいるカップル、デルとルイーズのリアルな日々を描いているから。出会いこそコンビニ強盗とその店の店員というレアな状況ではあるけどね。ふたりが10代とかではなく、まあまあ年がいってるのもミソ。アメリカ各地を転々としつつ、幸せをつかもうとするふたりは、ダメなところもあるけどどこか憎めなくて、読み終えるころには大好きになっていました。好きだなあ、こういう話。そしてなんとコレ、本サイトの原書レビュー「え、こんな作品が未訳なの!?」で2017年に東野さやかさんが紹介されていた作品なんです! ますますええ話や。東野さま、東京創元社さま、邦訳してくださってありがとうございます!
ほかに注目すべき作品といえば、張國立『第3の銃弾 炒飯狙撃手 弐』(玉田誠訳/ハーパーBOOKS)。スナイパーは炒飯作りの名人というギャップにまんまとやられた『炒飯狙撃手』(邦題が天才的)の続編で、読み応え満点です。炒飯狙撃手の小艾が台湾の総裁狙撃事件に巻き込まれ、警察を退職した老伍も捜査に駆り出されます。老伍の元上司で食いしん坊の蛋頭が、お調子者だけど実はデキる男で、実直な老伍とのおじさんトークがなんかすごくいいんですよ。なんだかんだ言ってお互いをリスペクトしてるところも。食事や食べ物の描写が多くて、それがまたみんなおいしそうだし、おじさんたちはつねに何か食べてます。日本もちょっとだけ出てきて、とある世界遺産でとんでもないことがおこなわれちゃいますよ。
毎回ぶっとんだ世界観で楽しませてくれるスチュアート・タートンの『世界の終わりの最後の殺人』(三角和代訳/文藝春秋)は、またもやこれまで読んだことがない設定。謎を解かないと人類が滅亡するという、究極のタイムリミットミステリで、頭のなかがジェットコースター状態になるけど、がっつり本格推理を楽しめます。
本格といえばジジ・パンディアンの〈秘密の階段建築社〉シリーズ第二弾『読書会は危険?』(鈴木美朋訳/創元推理文庫)も楽しかった。さまざまな仕掛けと目くらましがあるという、本格推理とマジックのトリックと建築の共通点を巧みに使っているところ、物語を大切にする心に惹かれます。ジョン・ディクスン・カーのファンにもお勧め。
クイーム・マクドネル『悪人すぎて憎めない』(青木悦子訳/創元推理文庫)は、『平凡すぎて殺される』の前日譚。正義感の塊の暑苦しい刑事バニー・マガリーが暴れまくる、バカ哀しさあふれる傑作です。バニーがますます好きになること請け合い。わたしが好きなキャラは、口が減らないハーリングチームのデシー。尼僧チームも捨てがたい。
酒井貞道
『ボニーとクライドにはなれないけれど』アート・テイラー/東野さやか訳
創元推理文庫
またもや豊作だった3月の刊行作中、タイトル買いするならこれ一択である。しかも内容も素晴らしい。
六篇収録の連作短篇集という触れ込みだが、事実上は、アメリカを心ならずも放浪する主役カップルの六つのエピソードを時系列順に並べた長篇だ。物語の横軸はもちろん各エピソード(ほとんどが犯罪がらみ、中にはフーダニットもある)であり、縦軸は主役ルイーズと恋人デルのアラサー・カップルの関係の変転と深化である。キーとなるのはルイーズとデルのキャラクターだ。二人とも、平凡・平穏な暮らしへの欲求を人並みに持っている。悪事に享楽性を感じてはいない。饒舌なだけで他は本当に普通の人という印象である。しかし彼らは多くのエピソードで、何らかの犯罪行為に手を染める。それも、めちゃくちゃカジュアルに、だ。少なくとも前半では、犯罪とそれ以外の行為の心理的障壁をほとんど感じていない。そして、それがために一つ所に落ち着けず、各地を転々とする。その過程で、二人は大人のパートナーとして、関係性を変化・深化させていくのだ。そこら辺にいそうなカップルが、カジュアルに犯罪をして、居所を転々とする。その行程は、ときに残酷な運命に導かれつつも、意外なことに善意によって舗装されてもいる。犯罪小説であることは疑いない本書は、同時に、人の情を語る物語でもある。主役以外の登場人物も、味のあるキャラクターが多くて、読んでいて大変楽しいです。しんみりする所は丁寧にしんみりさせてくれるのも、作者の実力を表しています。オススメ。
ただし、物語の背景には、アメリカ社会の閉塞があるように思われてならない。ルイーズとデルは愚劣には見えない。将来を見据えた行動を取ることもできる。情も倫理もある。気も良い。しかし、そんな彼らがなぜ、これほどまでにその日暮らしなのか。犯罪に手を染める安易さはどうしたことか。人間としては平均的なものにとどまる上昇志向の発露が、どうして必ず短慮になるのか。それは結局、非高学歴でエリート層のレールに乗れていないアラサーの彼らには、それぐらいしか選択肢がないからではないか。本書が書かれたのは2015年である。10年後の今読むと、実は当時から闇が忍び寄っていたように読める部分が散見される。むろん、この感想は、2025年3~4月のニュースに私が脳を焼かれているだけかもしれないが……。
吉野仁
『孔雀と雀 アラブに消えゆくスパイ』I・S・ベリー/奥村章子訳
ハヤカワ文庫NV
これだけの手応えを感じるスパイ小説を読んだものひさしぶりのことだ。舞台は2012年のバーレーンで、CIA中東分析局の情報員が主人公をつとめる。反政府組織の活動と思われる爆破事件の発生、現地の状況、協力者との接触、情報局内や知り合った女性との人間関係など、さまざまなシーンにあわせて主人公の複雑な心理が映し出されているかのような描写が巧みで緊迫感にあふれている。なるほど各種ミステリ文学賞を受賞するのも納得の出来映えだ。作者の作品をこれからも追いかけていきたい。もう一作、小説のタイプはまったく異なるけれど、表紙カバーがお洒落で素敵なアート・テイラー『ボニーとクライドにはなれないけれど』もすごく愉しめた。こちらは題名から予想がつくとおりの小悪党カップル逃亡劇で、若い男女が次々とやっかいな目に遭遇していくわけだが、ダメなふたりの微妙な関係の揺れや転んでもただでは起きないしぶとさなど、ひねりも効いており最後まで面白く読んでいった。ロブ・ハート『暗殺依存症』は、アルコール依存症ならぬ暗殺依存症から抜け出そうとした元暗殺者が何者かに襲われて、というどこまでもふざけた設定の物語で、これまた大いに愉しんだ。設定が奇抜ということでは、スチュアート・タートン『世界の終わりの最後の殺人』がいちばんすごい。世界は「霧」の発生で滅亡し、孤島に逃れた者たちだけが生き残っており、AIで管理されていたが、そこで殺人が起こり……という特殊設定犯人探しものなのだ。世界観や人間関係、ルールの把握などにとまどいつつ、記述も凝っているだけに、もう黙ってどんどんと読んでいくしかない。クイーム・マクドネル『悪人すぎて憎めない』は、アイルランドの刑事バニーとその相棒グリンゴが活躍するシリーズの三作目で、第一作『平凡すぎて殺される』の前日譚となる1999年ダブリンを舞台に、警察がある武装強盗一味に目をつけたことから展開していく話だ。かつてアメリカで流行したバディ刑事ものドラマや映画のパロディと思えるような陽気で口が悪くにぎやかな警察小説だが、今回ちょっとしたロマンス風味も加えられているのがミソ。最後に、ジジ・パンディアン『読書会は危険? 〈秘密の階段建築社〉の事件簿』は、待ってましたのシリーズ第二弾、降霊会における死体出現の謎をめぐる本格ミステリである。今回も作中、横溝正史や島田荘司の名が出て来てくるとおり古今東西ミステリの話題をはじめ、マジックや仕掛けの話がいっぱいで、すっかり大満足です。
杉江松恋
『暗殺依存症』ロブ・ハート/渡辺義久訳
ハヤカワ・ミステリ
主人公は自分が人を殺すことに抵抗を感じるようになったプロの暗殺者で〈アサシンズ・アノニマス(AA)〉という自助団体で更生のためのプログラムに参加していて、と書くと一発ネタのキワモノっぽく見えると思うのだが、さにあらず。これは自分が暴力を奮うことについての小説だからだ。暴力小説の本質に正面から取り組んだ意欲作である。
視点人物のマークは「青白い馬(ペイル・ホース)」と呼ばれた裏社会にその名を轟かせた殺し屋である。二つ名を聞いた者たちが跪いて慈悲を乞い始めるというほどに恐れられている。ここがポイントで、マークは単に人を殺したくなるという衝動と共に、自分が築き上げた名声とも闘わなければならない。過去の自分との闘いであるわけだ。したがって本編では、謎の相手に命を狙われて打開策を探りながら逃亡を続ける現在と、デビューから破竹の勢いで実績を積み重ねていく過去とが並行して描かれることになる。どちらも非常に速度のある記述なのだが、過去の存在感が強ければ強いほど、現在でマークが感じるジレンマは大きなものになってしまうのである。
暴力小説は星の数ほどあるが、行使の倫理観が描かれるか否かでその作品の価値は決める。個人が暴力で社会との関係性を打破する小説なのだから、行為についての弁明は重要なのだ。〈悪党パーカー〉シリーズのようにあえて一切の弁明を省くというのも一つの手段だが、それは主人公が完全に非情な人間として描かれているから成立する技法である。地に足のついた人間として主人公を設定するなら、心中の動きを書かなければならなくなる。では暴力の行使についてはどう感じるのか。それを読者に納得させることができるか。『暗殺依存症』は見事な合格点を叩きだした。読むべき暴力小説である。
特筆すべき点はまだあって、一人称犯罪小説としても出色である。マークは一人で行動するしかなく、自分が出会った人間の誰を信用していいかがわからない。その不安定な状態が物語の最初から最後までずっと維持されており、宙吊り感覚が楽しめる。しかもユーモアのセンスもあるのだ。AAのプログラムにこだわるマークは立ち寄り先である行動に出る。読みながら、あっと驚いた。そこでそんなことをするのか。死んじゃうぞ、と。死ななかったけど。この、作者の都合だけで登場人物が行動するのではなく、合理的ではない動機で主人公が何かをすることもある、という感覚が大事なのである。その結果がファニーな印象を生み出す。よくわかっていらっしゃる。
前月に続き、またも豊作の3月でした。この調子で良作が翻訳され続けると、どれだけ読まなければならなくなるのか恐ろしくなりますね。でも、読むのだ。来月もお楽しみに。(杉)
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