彼女が車で撥ねたのは鹿だったのか、人だったのか?

 今回はこのような謎で始まるキャロル・グッドマンの River Road をご紹介します。

 ニューヨーク州北部にある大学で教鞭を執るナンは、クリスマス休暇前のパーティが行われた同僚宅から自宅へと、森を抜ける道に車を走らせていた。すると突然、車のまえに黒い影が現われ、ナンはその黒い物体を撥ねてしまう。きっと鹿だ——そう思った彼女は、鹿がひどい怪我を負っていないかどうか確かめるために車を降りてあたりを見まわすが、鹿の姿はなかった。念のためにと森にはいって調べたものの、自分が撥ねた鹿、あるいは他の動物がいる気配はなく、彼女は車に戻って帰宅する。

 翌朝、ナンのもとに警察官が現われる。昨夜、彼女が鹿らしきものを撥ねたすぐそばで、彼女が勤める大学の学生レイアの遺体が見つかったという。車に撥ねられ、そのまま放置されたために死亡したと考えられた。警察はひき逃げ事件と判断し、その容疑者としてナンが浮上したとのことだった。レイアが事故にあった時間帯に、その近辺を走っていたのはナンだけと思われたこと、車のバンパーがへこんでいたこと、パーティで飲酒していたことなど彼女に不利な点が多く、彼女が鹿を撥ねたことを話し、「もしレイアが倒れていたら、鹿を探したときに見つけたはずだ」と主張しても聞きいれられなかった。

 しかし数日後、車のバンパーに鹿の毛が付着していたことがわかり、容疑は晴れる。彼女がほっとしたのもつかの間、次なる容疑者として同僚のロスの名前があがる。事件のあった日のパーティでレイアと口論をしていたうえ、彼の車にもへこみがあり、車内からレイアがいた痕跡も見つかったとのことだった。さらに、ロスとレイアが男女の関係にあったことも明らかになり、ふたりの間の私的なもめごとが事件に発展したのではないかと警察は推測した。 

 ナンには、ロスが犯人だとはどうしても信じられなかった。何年もまえ、彼女もロスとつきあっていたことがあり、また同僚としてもよく知っており、たとえ偶発的な事故でレイアを撥ねたとしても、路上に置き去りにするような人だとは思えなかった。ナンは彼の嫌疑を晴らそうと真相を探りはじめる。

 レイアは成績がよく、ナンから見れば模範的な優等生だった。しかし周囲の人たちから話を聞くにつれ、レイアには相手しだいで顔が変わる役者のような一面があったことや、素行の悪い男性とつきあいのあったことがわかる。

 その後、事件当夜ロスと一緒にいたという女性が現われ、彼のアリバイを裏づける。身の潔白が証明されたものの、精神的に打撃を受けているだろうと案じたナンは、ロスの自宅を訪ねる。家のなかに彼がいる様子はなかったが、車庫からくぐもった音が聞こえてきた。急いで駆けつけると、エンジンをかけっぱなしの車のなかでロスが意識を失っていた。車のドアをこじ開けて引きずり出そうとしたとき、車庫の扉が閉まり、ふたりは閉じ込められる。ナンは意識を朦朧とさせながら事件の担当刑事に電話を入れ、難を逃れる。

 何者かが自殺に見せかけてロスを殺そうとしたのか、さらにはナンをも狙っていたのか。単純なひき逃げと思われた事件がきっかけとなり、一見穏やかな大学町の人たちが抱える秘密が暴かれていく。

 小さな町のねじれた人間関係というのはよくある題材かもしれないが、妬みやエゴイズムといった大なり小なり誰もが持っているマイナス面を、著者のグッドマンはさまざまな形で描き、テンポのいいサスペンスにしあがっている。

 ナンは6年まえに、当時4歳だった娘を交通事故で亡くしている。そのせいで結婚生活は破綻し、自宅では酒が欠かせない。精神的な不安定さからか、ともすれば感情に走ってしまうが、その反面、事件の真相を探る際の的確な判断力や、娘の命を奪った車の運転手への同情心も有している。そういった人間臭さがナンの魅力であり、本書の魅力にもなっている。

 ナンの他に、まじめそうで女には節操のないロス、一瞬の事故でナンの人生を狂わせてしまったことを悔いつづける女性、大学の噂話の源として周囲から軽く見られて卑屈になっている女性、みずからの出世欲に縛られている女性など、実際に身近にいそうな、あるいは自分と重なりそうな人物が多く登場するのも本書の読みどころのひとつだろう。

 グッドマンは2002年に『乙女の湖』(早川書房)でデビューし、ファンタジーをふくめて最新刊の本書が10作目になる。重々しい大作ではないが、こういった一気に読めるサスペンスが、書店の海外ミステリの棚にもっと並んでほしいと切に願っている。

高橋知子(たかはしともこ)

翻訳者。朝一のストレッチのおともは海外ドラマ。一日三度の食事のおともも海外ドラマ。お気に入りは『CSI』『メンタリスト』『クリミナル・マインド』。

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