——花も嵐も、酸いも甘いも、違いのわかる大人のミステリー

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:日本各地から桜開花の便りが届き始めた今日この頃。この原稿が掲載される頃、東京では桜の見ごろを迎えているのではないでしょうか。

 もしも僕が国政に立つことがあったら「花見を国民の義務に加えること」を公約にしたいと思うくらい桜が好きって話はもうしましたっけ? この時期の朝のランニングは本当に気持ちがいいですよ。人もまばらで空気が新鮮に感じられる朝6時、近所の運動公園で桜のトンネルの下を走っていると、つくづく日本に生まれたよかったと感じます。ちなみに4月生まれのうちの娘の名前は地元の桜の名所から採りました。

 さて、2016年3月の「必読!ミステリー塾」。いつものように杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史をイチから学びます。第24回の課題本はスタンリイ・エリン著『特別料理』、1956年の作品です。

コンステインが雇い主ラフラーに連れていってもらったのは「スビローズ」という奇妙なレストランだった。メニューはなく、アルコールはおいておらず、煙草もダメ。客には一切の選択の権利はないのだけれど、出された料理はえもいわれぬ美味しさだった。やがて常連となったコンステインはラフラーから、滅多に食べられない「特別料理」があると聞き、いつかその「特別料理」に巡り会う日を夢見るようになるが……。(表題作)

 著者スタンリイ・エリンは1916年生まれのアメリカの作家。1946年に「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に投稿した短編『特別料理』が、同誌の短編コンテスト特別賞を受賞してデビューしました。1955年の「パーティーの夜」、1957年の「ブレッシントン計画」でエドガー賞最優秀短編賞を2度受賞。1959年には『第八の地獄』で同長編賞を受賞しました。さらに1981年には巨匠賞が贈られたそうです。生涯に14の長編と4つの短編集を発表し、1986年に亡くなりました。

 ミステリー塾的には、第2回パーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』第19回フレドリック・ブラウンの『まっ白な嘘』に続いて3度目の短編集です。

 最初に言っときますけど、コレ、ムチャクチャ僕の好みでした。ツッコミたいところがほとんど見つからなくて何も書くことがないくらい面白かったです。『海外ミステリー マストリード100』の短編集にハズレなし。今のところ。(<失礼な言い方すんな)(<てか、長編にはハズレがあったみたい書き方すんな)

 ケレン味がないというか、落ち着きがあるというか、ドンデン返さない具合が気持ちいいというか。まさに大人のミステリーという感じ。そして何より語り口が気持ちいい。田中融二さんの訳文が今となっては古臭いと感じるものの、それでも僕のような素人でも地の文の端正さが何となくわかります。

 また、出だしの一文の美しさも印象に残りました。何気なく自然に始まっているようで、考え尽くされたに違いない最初の一文が、どの作品も素晴らしい。

 ところで、このエリン『特別料理』はもともと、早川書房の「異色作家短篇集」という叢書の一つとして出されたらしいんだけど、僕の読み方が浅いのか、「異色」とは全く感じなかったなあ。皆まで言わず、最後に少し読者の想像に任せる余地を残すあたりも大人の風情を感じました。畠山さんはどう読んだ?

畠山:花見の義務化……私が北海道知事になれるとしたらGWの中途半端な平日を「花見の日」の休日にして大型連休を実現したいと思います。(GWに桜の見ごろを迎える札幌にて)

 北海道の花見といえばジンギスカン。花見じゃなくてもジンギスカン。なにはともあれジンギスカン。札幌市内にある羊が丘展望台では放牧された羊を眺めながらジンギスカンを食べるという非常にシュールな体験ができます。

 繊細な方は怖気づくかもしれませんが、敷地内にあるクラーク博士の像がいかにも「迷わず食えよ、食えばわかるさ」的な雄々しさなので、勇気をもらってぜひお楽しみください。(ちなみにクラーク像は北大にあるのが胸像で展望台は全身像です。詳しくは→コチラ

 表題作「特別料理」では“アミルスタン羊”なる究極のメニュー(!)が饗されるのをじっと待ち続けるお客さんたちが描かれます。そんな羊、聞いたことないな、それ焼くの? 煮込むの? お風呂が先? そ・れ・と・も♪……などと想像力フル動員で楽しみました。

 ある程度ミステリ小説を読み慣れた方ならオチは予想がつくかもしれません。

 でも! でもそこで「なーんだ、どうせホニャララでしょ」と読まずに済ませないで欲しいのです。肝はそこじゃないのですから。

 最後に感じるふわ〜っとした変な温かさ、奇妙な優しさ、これでいいわけないんだけど下手に抵抗するよりもこのままでいるほうがいいかもしれないと思わせる不思議な空気。

 これぞ、「特別料理」です。食べた(=読んだ)人にしかわからない究極の味。

 そんな『特別料理』に収録のメニューを簡単にご紹介しておきましょうね。

  1. 限られた人にのみ絶品料理が提供されるレストラン(「特別料理」
  2. 真面目だけが取り柄な男に舞い込んだ奇妙な依頼(「お先棒かつぎ」
  3. 事故か殺人かで対立する姉と弟(「クリスマス・イヴの凶事」
  4. 病的几帳面な骨董品店主の妻の命運は?(「アプルビー氏の乱れなき世界」
  5. チェスの相手に恵まれないジョージの前にある日忽然と現れた敵手(「好敵手」
  6. 成り上がりを夢見る男の危険な野望(「君にそっくり」
  7. 夫から暴力を受けている女性を救え!(「壁をへだてた目撃者」
  8. 厭世観に囚われた人気大物俳優の苦悩(「パーティーの夜」
  9. 何不自由ない生活なのに妻が浮気をしている……?(「専用列車」
  10. 名家の隣に移り住んできたのは引退した有名奇術王(「決断の時」

 どれが一番面白い? と尋ねられたら答えに窮します。どの作品も最後に鈍い一発をどすっともらう感じ。これが後からじわじわ効いてくるんです。

 できることなら11番目の物語を追加したいですね。

 まだまだ残雪の多い北国の人間に桜自慢をして呪いをかけられた豊橋のマラソンマンのお話。

 そうだなぁ、マラソン大会で必ずパンツのゴムが切れる呪いにしとこうかな?

加藤:そーかぁ、北海道の桜の見ごろは5月なのか。日本は広いなあ。

 そうそう、僕は以前からマラソンの魅力を伝えるのって難しいと感じていたのですが、最近、新聞で「これだ!」と思うコメントに出会いました。ある市民ランナーのインタビュー記事のなかで「これほど短時間に、これほどの達成感を味わえるものが他にありますか」って。なるほど、ある時間内に持てる気力と体力を使い切る内容の濃さと、手ごろに(?)味わえる達成感がマラソンの魅力なのかも。

 思うに、これって短編ミステリーの魅力にも通じるかも知れないですね。何らかの謎が提起されて、その正体が明かされるまでを描くのがミステリーですが、話が短くなればなるほど内容は濃く凝縮されるのは当然のこと。でも、エリンはその濃さを感じさせないんですよね。急ぎ足になることなく、丁寧にディティールを描きながら、心地よいテンションで最後のページを迎える、まさに大人のミステリーです。マラソンも一定のペースを保つのが何より重要で難しいんですけどね。

 だいたい人が死ぬ話ではあるけど、そんなにブラックというわけでもなく、イヤでもない。

 捻り過ぎないのもいいですね。なんてーか、今の世の中、誰も彼も刺激を求めすぎなんじゃないですか? 捻り過ぎといえば、体操の床は白井健三選手の登場で違う次元に行っちゃいましたもんね。僕らが子供の頃は、スーパー難しいことの代名詞は「ウルトラC」だったのに、いまでは「H難度」だもん。逆にどんだけ難しいのかがサッパリ伝わらんっちゅーねん。

 そんなエリンの作風を訳者の田中融二さんは、「徹頭徹尾ムードで読ませる」作家であり、「そう美人でもない女が、ストリップもせず、目立つような芸当をしてみせるでもなく、それで一時間位あたしをみつめてうんと面白がっとくれ、と開き直ったようなものだ。」と評しています。 ※EQMM誌(日本語版)1958年12月号

 この例えが21世紀のいまの感覚で適当かどうかは別として、なるほどと唸らされたのも事実です。この爽やかなほどのケレン味の無さと、何も出ませんけど好きにやってください的な大らかさというか優しく突き放した作風がミステリーにおいては「異色」なのかも知れないですね。

 いやはや堪能しました。スタンリイ・エリンは今日から僕のお気に入り作家のリストに加わりました。是非、他の作品も読み進めたいと思います。

 ついでに大人の短編ミステリーといえば、今年の1月に出た『ジャック・リッチーのびっくりパレード』にも触れさせてください。僕にとって、もったいなくて読めない一冊です(<よくある積読の言い訳)。短編の名手ジャック・リッチーは、あの小鷹信光さんが最後にハマった作家。ミステリマガジンにジャック・リッチーの全作品リストが載ったときには何事かと思いました。

 スタンリイ・エリンも素晴らしかったけど、もう少しユーモア成分が欲しいと思うむきにはお勧めです。

●関連記事はこちら ☞ 世界の終りの神聖喜劇〜S・ジャクスン『日時計』他(執筆者:ストラングル・成田)

畠山:いきなりですが、夜遅い電車に泥酔した人が乗ってきて、ちょ……この人大丈夫かなー……って嫌な予感がする、なんて経験はおありでしょうか。

 前後の区別もつかない様子でフラフラしていると、寝込んで終点までいっちゃうんじゃないか、他の乗客とケンカになるかも、倒れたりしないといいけど……。それより頼むからリバースだけはやめて、という緊張感。

 キケンな(そして醗酵した)香り漂う酔っ払いを前にしてあからさまに席を移動するのも憚られる。どこかにリバース回避ボタンがあるなら押してあげたいと念じる心と反比例して、刻一刻と青ざめていく泥酔者。そして……嗚呼、なんの因果でこうなった。

 延々と胸やけしそうな話をしましたが、『特別料理』には全体的にこんな緊張感が漂うのです。予想される結末はどれ一つとっても晴れがましいものとは思えない。いや、はっきり言うとかなり予想できちゃう。きっとこうなる……でも読み手は絶対本を閉じられない。では昨今流行りのイヤミスかというとそれとも少し違ってなぜか読後は妙なスッキリ感と納得がある。それが本書の魅力でしょうか。

 真面目な普通の人の奥底にある暗い本音が器の容量を超えてついに溢れ出すやっちゃった感と気持ちよさの同居。痒いところを掻く快感。クセになりますね、スタンリイ・エリンは。

 さて、いよいよ翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションが近づいてまいりました!

 名付けて「大使館だヨ! 全員集合!」(瑞典大使館への敬意に一点の曇りもありません)

 外国の大使館に足を踏み入れるなど、特に地方在住者は滅多にできない経験ですので本当に楽しみです。しかもそこで次々人が死んで超ワクワク〜みたいな話をするんですよ!(間違ってませんよね?)大使館の方々に変な人たちと思われるだろうか? てか日本語通じる?(私より達者な可能性大)

 ちなみにスウェーデン語で Hej(ヘイ)、 Hejsan(ヘイサン)は朝から晩まで使える挨拶の言葉だそうです。そして Tack(タック)は「ありがとう」、丁寧になると Tack så mycket(タックソミッケ)ですって。タックソミッケ……お、憶えやすいですねっ!(小学生みたいなツッコミにブレーキをかける)

 そして翻訳ミステリー読者賞の発表も行われます。投票をして下さった皆さまに心からお礼を申し上げます。そして投票されなかった方々も投票の案内に耳を傾けて下さってありがとうございました。

 皆さんの一票が作り手の方々へエールとして確実に届けられるこの「読者賞」。発表の後には全結果も公表されますので、こちらもぜひお楽しみに!

 例年、授賞式&コンベンションは笑いと興奮と感動の連続です。本を作る/紹介する立場の方々から「面白いから読んで!」という熱い気持ちを受け取り、各地の読書会の方々と交流し(主に観光&グルメ情報との説あり)、一夜明けたら「よーーし! 今日からまたいっぱい本読むぞー!」と思える。読書会と同じですね。課題書がないだけ気軽かも(笑)

 年に一度の翻訳ミステリーの祭典をたっぷり楽しみましょう!

(今回無念の欠席となった加藤さん、どれだけ盛り上がったかはちゃんと墓前に報告するよ、待っててね!)

■勧進元・杉江松恋からひとこと

「まるで『異色作家短編集』のような」が他に類例のない読み味の短編を喩える言葉として用いられた時期がありました。そのかみの〈奇妙な味〉もそうですが、単純にその魅力を解説できない作風のものを評するとき、これは重宝する表現です。敷衍して言えば「プロットを分解してもその魅力を取り出すことができない、文章表現の力が最大限に発揮された作家」の書くものを読んだときに、「わ、『異色作家短編集』で昔読んだことがある」と感じることが多いように思います。そんなわけで早川書房刊「異色作家短編集」からどれか一冊を入れることは『マストリード』を編んだ際に最初から決めていました。熟慮の末、里程標的作品集として名高い『特別料理』を選んだ次第です。

 エリンの短編はほぼすべて邦訳されており、『特別料理』以外では『九時から五時までの男』をまず読むべき一冊としてお薦めします。女性を主人公にしたサスペンスの一祖形を作り出した「いつまでもねんねえじゃいられない」、優れた犯罪者小説「九時から五時までの男」など傑作揃いで、特に末尾の「倅の質問」は幕切れの鮮やかさからエリンの中でも三指に入る名作です。長篇作家としてのエリンは寡作でしたが、痛烈な社会諷刺を含む『第八の地獄』をはじめ、そちらにも駄作は一つもありません。特にお薦めしたいのは怪作『鏡よ、鏡』で、これは予備知識なしに読んでびっくりしていただきたい。ちなみに単行本刊行時は結末が袋とじになっていました。

 さて、次はデイヴィッド・グーディス『ピアニストを撃て』ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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