書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この欄は杉江松恋が取りまとめているのですが、みなさんから送られてくる原稿のフォーマットがバラバラで、いつも体裁を整えるのに苦労しているのですよ! とどうせ前書きなんて誰も読んでいないだろうからこっそり愚痴っておくのです。いや、実は今月は薄気味悪いぐらいにフォーマットが合っていて、何か示し合わせたみたい、と思ってしまったのであえて書くんだけど。いや、示し合わせてくれていいんだすよ、みなさん。というわけで今月も書評七福神をお送りします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

千街晶之

『ささやかで大きな嘘』リアーン・モリアーティ/和爾桃子訳

創元推理文庫

 どれを選ぶか久々に迷った月だった。ドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』は圧倒的な力作だし、ヘレン・マクロイ『二人のウィリング』は年間ベスト級の傑作本格ミステリ。ただしどちらも、黙っていても読むひとは必ず読むだろうビッグネームなので、ここでは日本初紹介作家の収穫を紹介したい。幼稚園の保護者懇親会の席上、何かが起こり、出席者から死人が出たらしい——加害者は誰で被害者は誰なのかという情報を伏せたまま、事件の半年前から当日に至るまでの経緯が、群像劇スタイルでじっくりと綴られてゆく。愛情・信頼・疑惑・誤解が入り乱れた果て、事件の直前になって、今まで読者に見えていなかった事実が明らかになる瞬間が鮮烈だ。

北上次郎

『ささやかで大きな嘘』リアーン・モリアーティ/和爾桃子訳

創元推理文庫

 ミステリーというより普通小説の味わいに近いことをまず書いておく。保護者懇親会で何が起きたのかを伏せたまますすめる展開はまぎれもなくミステリーだが、保護者たちのさまざまな生活と秘密と意見を描いて圧倒的に読ませるのだ。訳者あとがきには「向田邦子のホームドラマの切れ味をそなえた、豪州の湊かなえと評される映像化しやすい明解な筋立て」とあるけれど、私は「平安寿子と唯川恵と辻村深月を足したような小説」と読んだ。どちらも違っていたりして。

川出正樹

『彼女が家に帰るまで』ローリー・ロイ/田口俊樹・不二淑子訳

集英社文庫

 これは終わりの始まりを描いた物語だ。時は1958年、舞台は経済の衰退が著しいデトロイト近郊の郊外住宅地(サバービア)。一家の主たちが働く工場の近くで一人の黒人売春婦の撲殺死体が発見された翌日、コミュニティの一員である一人の若い白人女性の行方が判らなくなる。二つの事件は、この町の誰かによるものなのか。

 それぞれ嘘と秘密を抱える三人の主婦を主役に、頻繁に視点を切り替えて、彼女らの悩みと願いを淡々とされど深く描写することで、作者は“アメリカン・ドリームの向こう側”を読者に見せつける。「人生は二度ともとには戻らない」という述懐が澱のように残るじっくりと読ませるサスペンスだ。率直に言って重い、でも、読んで欲しい。彼女らの抱えた懊悩は、差別と自己愛、嫉妬と偏見が急速に蔓延してきた今の時代にあって、決して遠い日の他人事ではないと思うのだ。

吉野仁

『負け犬たち』ジョニー・ショー/野村恵美子訳

マグノリアブックス

 題名通り、負け犬三人男が、金塊探しの冒険劇を繰り広げるというコメディもの。トニー・ケンリックやカール・ハイアセンなどの流れをつぐ、いかにもアメリカンなドタバタ劇で、いささか下品すぎるところもあるものの、この手のバカバカしい物語が好きな人たちにぜひぜひ奨めたい傑作。ともあれ四月の海外エンタメは大豊作で、暗黒の近未来世界における驚愕のヒロイン像でぐいぐい読ませたM・R・ケアリー『パンドラの少女』、大本命のドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』の、すべてを凌駕するごとき圧倒的な読み応え、デニス・ルヘイン『過ぎ去りし世界』の切なさ、現実感のある描写で強烈なサスペンスを生み出したミケル・サンティアゴ『トレモア海岸最後の夜』など、年間ベスト級もしくは極私的ベストが並び、一作だけ選ぶのは酷な月。これみな読むべし!

酒井貞道

『ザ・カルテル』ドン・ウィンズロウ/峯村利哉訳

角川文庫

 無常観が最高な『過ぎ去りし世界』、お洒落で残酷な会話劇@スパイ小説が楽しめる『裏切りの晩餐』、おっさんの憧れ成分炸裂『愛しき女に最後の一杯を』などなど、力作が多かったが、今月は『ザ・カルテル』の熱量に兜を脱がざるを得ない。

《ミレニアム》三部作と年度ベストの覇を競ったのが記憶に新しい——とはいえもう7年も前だが——『犬の力』の続篇に当たる本書は、スケールをアップするとともに、麻薬戦争の過酷な現実をより一層深く鋭く描くことに成功している。群像劇なのだが、主要登場人物の人間ドラマは、それぞれ単体でも犯罪小説として恐らくは満点を出せる出来栄え。それが束になって襲いかかって来るのである。これに正面からぶつかって勝つには、エルロイの狂気を必要とするのではないか。いやもちろん小説は勝ち負けではないのだけれど。個人的には、ラストの締め方に、全く雰囲気の異なる『ストリート・キッズ』の影が見えるように思われて興味深い。

霜月蒼

『死んだライオン』ミック・ヘロン/田村義進訳

ハヤカワ文庫NV

 問答無用で今月は『ザ・カルテル』なのだ。殺戮と裏切りと欲望だけが即物的に積み重ねられただけなのに、これは一種ヨーロッパ的な荘厳さをたたえた《ナルコ・オペラ》とでも呼ぶべき壮麗さをそなえた傑作、未読の者は死すべき傑作だからである。

 だが絶対に誰かが挙げるだろう。《書評七福神》の唯一の問題は、傑作だらけの月には損をする作品が出ることであり、ゆえにおれは『ザ・カルテル』とは正反対の、英国調ユーモアがうねる傑作を挙げておきたい。「追い出し部屋」的な部署に所属する窓際スパイたちの奮闘を描くシリーズ第二作である。

 イギリス的にひねくれてひねくれてひねくれたユーモア100%の語り口による序盤は、何の話かよく見えないので途方に暮れるかもしれないが、気にせず気楽に読み進めると、ある時点から一気に話は収斂をはじめ(登場人物が事態を要領よくまとめてくれる安心設計)、あとは最後まで一気呵成である。見事なミスディレクションや、ロングパス的な伏線の数々が気持ちよく決まるあたりは、スパイ・スリラーでありつつ英国ミステリの遺伝子が息づいている証拠で、英国推理作家協会賞ゴールドダガー賞ほか、ミステリ界で評価されているのも納得できる。ブリティッシュ・テイストをお好みの本読みは文句なしの必読。

 屁ばかりしているスパイ・マスターがいいぞ。

杉江松恋

『ドライ・ボーンズ』トム・ボウマン/熊井ひろ美訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 4月は本当に豊作だった。ぎりぎりまで考えて、そういえばゴールデンウィーク突入前にあれが出てたじゃん、とMWA最優秀新人賞を受賞したこの作品に。

 一言でお薦めするとこれ「ポケミスの1400番台くらいに入っていたハードボイルド」なのである。いや、1500番台の前半くらいまでもアリかな。主人公が亡き妻の追想に耽っているところなどはジェレマイア・ヒーリイのジョン・カディもの(『少年の荒野』ほか)を思い出させるし、ローカル警官の奮闘記という意味ではテッド・ウッドの署長ベネット・シリーズ(『追撃のブリザード』ほか)を連想した。貧困白人層の犯罪を描くという意味ではより現代性、諷刺性が強くなっているんだけど、ハードボイルドという物語形式にまだそんなに疑問を持たずに読むことができた1980年代ごろの雰囲気を思い出して、ちょっと胸が熱くなったりもしたのですよ。

 決して革新的な作品ではない。懐古の感傷も混じっているかもしれない。でも、この小説は好きだな。折に触れて書棚から取り出して眺めたくなるかもしれない。

 古典ではヘレン・マクロイ『二人のウィリング』もお薦めで、この結末はちょっとびっくりした。

 原稿をまとめながら「誰かが挙げるだろう」のフレーズにちょっと笑ってしまいました。みなさん、ひねくれていらっしゃる。でも、これだからおもしろいんです。再確認ですが、書評七福神は「どれが一番おもしろかったか」を投票や合議で決めるのではなくて、各人の「偏愛」を形にするコーナーです。ここに挙がった書名は七人が七人なりに偏った読書をした結果なので、全員の総意というものはまったく存在しません。総意はなくて相違ばかり。それだけ現在の翻訳ミステリーは秀作揃いで選書に苦労するということでもあります。来月もバラバラでお届けします。ぜひお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧