書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 夏は暑いものですが、今年はまた格別ですね。今からこんな具合ではこの先が思いやられます。しかし健康第一、無理は禁物。陽射しが眩しくて仕方ない日は、温度調節ができる部屋でゆっくり読書を楽しみましょう。今月も、七福神をお届けします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

川出正樹

『ささやかな手記』サンドリーヌ・コレット/加藤かおり訳

ハヤカワ・ミステリ

 息をのみ、じんわりと嫌な汗をかきながら、それでも目が引き寄せられ一気に読み通してしまった。夢中になってというわけじゃない、むしろ早く解放して欲しくてだ。

 フランスの山奥に建つ一軒家の地下に、気の触れた老兄弟によって監禁され、奴隷として使役させられるやくざ者テオ。その顛末を綴った“手記”の何と凄絶なことか。彼が陥った地獄での日々は、単調な故にかえって苛酷さが真に迫り、本を手放すことができない。フランス・ミステリのお家芸ともいえる、スリルはないがサスペンスは充ち満ちている厭な物語。

 今月はもう一冊、〈監禁もの〉のお薦めがある。キャンディス・フォックス『邂逅』(創元推理文庫)は、「シドニー州都警察殺人捜査課」という副題から明らかなように、オーストラリア一の都会を舞台にした警察官バディものなんだけど、正当派警察捜査小説の想定範囲を軽く超えるヒロインの造詣と展開が面白い。まだ荒削りなれど、楽しみなシリーズの登場だ。

吉野仁

『虚構の男』L・P・デイヴィス/矢口誠訳

国書刊行会

『虚構の男』、予想を次々に裏切るばかりか、はるか超えた地平へと向かう作品だということは、事前に分かっていた。ええ、知ってましたよ、本サイトのやぐっちゃんによる訳者紹介で。でも読み始めたら、そういうことはすっかりどこかへ忘れて、できるかぎり先の展開を読もうと試みつつページをめくり、やはり意表をつかれてばかり。そして、驚愕のラスト。広げた風呂敷がきちんとそこにたたまれて置かれてるではないですか。開いた口がふさがらない小説ってあるんだ! そのほか、サンドリーヌ・コレット『ささやかな手記』(ハヤカワ・ミステリ)は、じつにシンプルな設定でありながら、読ませる読ませる農場監禁サスペンス。ジョン・コラピント『無実』(ハヤカワ文庫)は親子のタブーを扱った問題作で、訳者の横山啓明さんとは本書の設定や細部、およびくだらないことを含め、もっといろんな話をしたかった(ので早すぎます、まったく)。

霜月蒼

『拾った女』チャールズ・ウィルフォード/浜野アキオ訳

扶桑社ミステリー

 小説の味わいはストーリーやプロットにあるわけではないのだ、と心の底から思わせてくれる伝説の一作。世の中に絶望した男がもっと世の中に絶望した運命の女に出会ってズルズルと破滅してゆく——というと、陳腐きわまりなく、古臭く、ひねりのまるでない物語に聞こえる。なのに、この小説には強烈な磁力がある。プロットは予想がつくのに読まされてしまう。主人公たちの抱える鬱な「厭世マグネット」がこちらの心を吸いつけ、吸い込み、同化させてしまう。

 プロットのあちこちに「なんでそういう決断をするのか」というロジックの断線があるが、ウィルフォードはそこを埋めてくれない。断線は断線のままだ。しかし、その断線の隙間は単なる断線ではなく、深すぎて見通せない暗い深淵を宿している。磁力の源はたぶん、その深淵の底にある。

 そしてラスト2行。渋いブルーズの歌詞のような2行。原文も訳文も同様に、うっそりとダルなリズムで鳴らされるこの2行。それが小説世界の見え方をガラリと変えてしまう。いわゆる叙述トリックだとは言わないが、この2行は読者に二度読みの衝動を呼び起こす——小説の一言隻句が、再読時には異なったニュアンスをもたらすはずである。小説のマジックを感じさせてくれる傑作。

千街晶之

『宇宙探偵マグナス・リドルフ』ジャック・ヴァンス/浅倉久志・酒井昭伸訳

国書刊行会

 一見、穏やかな物腰の上品な老紳士ながら、実は宇宙を股にかけてがめつく稼ぐ強欲トラブルシューター、それが本書の主人公だ。言葉巧みに相手をおだて、いつの間にか悪党の上前をはねている悪徳探偵ぶりは、メルカトル鮎や三途川理を連想するほど。奇習が伝わる星で文明人然として傲慢に振る舞う人間どもに、巧妙な計略でお灸を据える巻頭の「ココドの戦士」が最高に痛快。ミステリとしては「とどめの一撃(クー・ド・グラース)」がお薦め。出身惑星が異なる容疑者たちの中から真犯人を絞り込む無茶苦茶な消去法と、ブラックなオチが眩暈を誘う。

北上次郎

『ジョイランド』スティーブン・キング/土屋晃訳

文春文庫

 売れている作家や売れている本はスルーするようにしているのだが、キングとか宮部みゆきは例外なので許されたい。青春小説ふうな味わいがいい。こういうものを書くと、キングの美点が全開する。いまさら感心していてはバカみたいだが、ホントにうまい。ミステリーとしてやや弱いことは否めないが、そんなことはいいのだ。なによりも小説として堪能できることは素晴らしい。

酒井貞道

『拾った女』チャールズ・ウィルフォード/浜野アキオ訳

扶桑社ミステリー

 落魄した男女の恋愛譚として、非常に読ませる。やり切れない人生をじっくり描いているのに、長さがわずか三百ページ強というのも素晴らしい。物語をむやみに長大化する傾向がある最近の作家は見習うべきである。そして、ミステリとしても、驚きの展開が待ち受けているのだ。こういうミステリを待っていたんです!

杉江松恋

『拾った女』チャールズ・ウィルフォード/浜野アキオ訳

扶桑社ミステリー

 ううむ、申し訳ない。本来ならば自分が解説を担当した本を入れるべきではないのだが、これだけ自分の好みに合った作品は今年はもう出ないと思う。どうぞお許しください。推すよ、ウィルフォード! 『ささやかな手記』のコレットも、『無実』のコラピントもごめん。

 作品の主要素についてはすべて解説に(ネタばらしをしないように苦しみつつ)書いたのでここには繰り返さない。泥酔した女を拾ってしまった男が彼女との退廃的な生活に溺れていく、という筋立ての中に解説には余裕がなくて書けなかったもう一つの要素がある。仕事を失った主人公はほぼ一文無しなのだが、ヒロインが200ドルという金を持っていたために、束の間ではあったがやりくりの算段をしなくてよくなる。そこで二人が何をするかというと、その200ドルが無くなるまで酒を飲み、幻のような幸せに浸るのだ。そこだ、そこ。私が好きなのはそこなのである。所持金額が明示されて、それが無くなったらおしまい、というデッドラインが読者に示される。この感じ、破滅への秒読みがタイマーではなくて現金計数器で行われるサスペンス。フレドリック・ブラウンのスリラーによく出てくる、ポケットの中に数枚のドル札しか持っていない男たちだとか、次の引き落としが来たら破産するのではないか、と不安におののく私立探偵(ママのダイナーにただ飯を食いに行くアルバート・サムスン!)だとか、そういう貧乏主人公の話が私は好きなのである。ラーメンライスを食う金もない男おいどん・大山昇太とか! いや、それは違うか。

 と、いうようなことを解説にも書きたかったのだけど、自重した次第。なぜならば、そうすると1ページ増えてしまうからである。解説が1ページ増えるとちょっと具合の悪いことになる。なんで? と思った人はぜひ本を読んでみてください。

 やや作品数は少ないものの、SF大作やフランス・ミステリ、そして50年代ノワールの発掘作と、質は充実していた6月でした。これから夏休みに向けて力作がどんどん出てくる時期です。7月の七福神はどう相成るか。次回もお楽しみに。(杉)

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