人生の残された時間にやりたいこと、やれることを見極めて悔いの無いように生きたいと思うようになったのはいつだったか。おそらくは人生の折り返し地点を過ぎ、細々とではあるが物書き仕事を続けながら、なんとなくこのまま年をとっていくのだろうと思っていた数年前だ。しかし、残された時間が思いのほか短いことがわかったら、自分だったら何をするだろう。大切な家族や友人に何を遺せるだろう。

 今回紹介する本は、母であり妻であった女性の葬儀の場面から始まる。亡くなったナタリーは14歳の長男ウィルと9歳の長女メイ、そして3歳の末っ子クレイトンの3人のかわいい子どもたちと最愛の夫ルークとの生活に終止符を打つその日まで、大切な人々の暮らしのために、そして自分自身のために残り少ない時間を過ごしていた。

 葬儀を終え、いつかこんな日がくると覚悟はしていたものの、妻ナタリーのいなくなった家の空虚さに慣れる日がくるのだろうかとルークは思った。そこへ、なんと妻からの手紙が届きはじめる。はじめは誰かのいたずらだと考えたが、まちがいなくそれはナタリーの筆跡で、何らかの方法で自分の死後に一通ずつ手紙が届くように手配していたらしい。ときおり届くその手紙は日常的な小さな話題から始まった。あるときは子どもたちが好きだったパンケーキのつくりかただったり、またあるときは子どもたちが母親を恋しがるであろうことだったりした。そして、治療中に知りあった女子大生ジェシーを子どもたちのためにシッターとして雇ってほしいこと、中学生のときにナタリーとルークが初めて会ったときのこと、一度は離ればなれになったふたりが大学で再会したことなど、家族がこれから生きていくために支えになること、大切にしてきた思い出へと話題は移っていった。

 家族への思いに溢れるナタリーの手紙は、ときに治療への不安や、薬のせいで髪が抜け落ちた姿への周囲の目など、自分自身の苦しみや辛さの吐露になることもあった。そうした手紙が届いたのと前後して、母を失った悲しみを堪えながら長男として妹や弟の面倒を見てくれていたウィルに異変が起こる。ある日、ルークはスクール・カウンセラーに呼び出されて、いままで優等生だったウィルが宿題を出さなくなったこと、しかし、宿題じたいはきちんとやっていて、すべて学校のロッカーに放りこんであったことを聞かされる。しかも、そんなことをした理由をウィルに尋ねると、「最近、実は自分が養子だったことを知ってショックを受けているから」だと説明したらしい。

 スクール・カウンセラーにそんな嘘を言った理由をルークが問いただすと、ウィルは母親の遺品のなかから偶然見つけたという一枚の封筒を示した。それは、ウィルが生まれた月に養子縁組斡旋団体からナタリーに宛てて送られてきたものだった。中に入っていただろう手紙や書類はなく、何のためにそんな団体がナタリーに封書を送ってきたのかは謎だった。しかし、当時父親のルークは海外出張中で、息子が生まれた瞬間に立ちあっていないことを知っていたウィルは、自分は養子なのだと思いこんでしまっていた。

 ルークはウィル誕生の瞬間には立ちあっていないけれど、ナタリーの母がそばにいてくれたこと、ナタリーとウィルが退院するときにはウィルが帰国したこと、養子縁組は養父つまりルークの承諾なしに縁組みすることはできないことを説明する。そして、なぜそのような団体からナタリーに封書が届いたのか、できるかぎり調べると約束する。

 その封筒の裏には何人もの名前が書かれていて、そのなかのドクター・ニールという人物の名が、ウィルを心配したスクール・カウンセラーが紹介してくれた専門家リストにもあった。さらにほどなくして届いたナタリーの次の手紙でもドクター・ニールについて触れられていた。ナタリーは病に冒されてから大学に戻り、また勉強するようになっていたのだが、あるときキャンパス内でマリファナを吸いながら騒いでいる女子学生たちを注意したところ、そのうちのひとりに絡まれて、髪がなくなってスカーフを被っている頭をばかにされ、スカーフを引っ張られて剥がされた。そのときにたまたま通りかかった教授のニールが、ナタリーを救い出してくれたのだという。ナタリーはルークが女学生たちに激怒するだろうと考えて、生きているあいだにはこのことを話さなかった。そのかわり死後に届ける手紙でそのときの悲しみを語り、ニール教授に会うことがあったらお礼を伝えてほしいと結んでいた。

 スクール・カウンセラーがくれたウィルについて相談すべき専門家リストと、養子縁組斡旋団体からの封筒、そしてナタリーからの手紙。まったく異なるもの三つのいずれにもニールの名を見つけたルークは、ただの偶然ではないような気がして、ふとナタリーのスマートフォンを覗いてみる。自分たち夫婦は友だちのように仲が良く、互いの秘密を知っていると思っていたし、実際多くの点においてそうだったといっていいだろう。だが、ナタリーにはルークに明かしていないことがあったのだ。妻の秘密を盗み見ている罪悪感を覚えながらスマートフォンを見ると、ナタリーの送信済みメールの最後の送信先はニール教授だった。「わたしたち、出会えてよかった」これが大学の教授に送るメッセージだろうか? 通話記録を見ると、ナタリーが最後に通話した相手は新しい順にナタリーの母、親友のアニー、ルーク、ホスピスのナースの4人だったが、5人目はニールだった。しかも亡くなる前の週に20分も話している。なぜナタリーはニールと連絡をとっていたのか。ルークはなんとかしてその理由を知らなければならないと思った——

 作品冒頭からナタリーを失った家族ひとりひとりの悲しみが丹念に描かれている。家族が味わう喪失感を予見していたナタリーは、闘病のあいまに末っ子クレイトンのために絵本の朗読や子守歌をスマートフォンに録音したり、メイが大好きな母の料理のレシピを残したりしていく。元気なときは気にもとめない日常のあれこれを、迫りくる死を強く意識しながらひとつひとつ積みあげて家族の涙を堰き止めるかのように。

 だが、ナタリーの生の証はそれだけではなかった。隠されていた過去と小さな嘘の重なりは、家族や周囲の人々に意図していた以上の影響を与えることになる。それらはスカーフを剥がされたときにできた玉結びのように思いがけない絡まりやよじれとなってナタリーが愛した人々を巻き込んでいく。誰にでもある陰の部分、家族にすら明かしていない部分にこそ、その人の人生が凝縮されているのだ。

 本書を Amazon.com で見つけたとき、その読者コメントのあまりの多さにまず驚いた。ふつうは多くても数百のコメントであることがほとんどだが、本書はわたしが kindle 版を入手して読んでいるあいだにも日々コメントが増え、2016年7月24日現在、2300コメントに迫ろうとしている。しかも、その86%が星5つから4つの高評価をつけている。本書を読み終えたいま、それだけ多くの人がコメントを寄せる理由に納得した。著者 Emily Bleeker は他作品も本書同様に反響が大きく、ぜひ日本の読者に紹介したい作家である。

片山奈緒美(かたやま なおみ)

翻訳者。北海道旭川市出身。ミステリーは最新訳書のリンダ・ジョフィ・ハル著『クーポンマダムの事件メモ』、リンダ・O・ジョンストン著『愛犬をつれた名探偵』ほかペット探偵シリーズを翻訳。ときどき短編翻訳やレビュー執筆なども。365日朝夕の愛犬(甲斐犬)の散歩をこなしながら、カリスマ・ドッグトレーナーによる『あなたの犬は幸せですか』、介助犬を描いた『エンダル』、ペットロスを扱った『スプライト』など犬関係の本の翻訳にも精力的に取り組む。現在は翻訳をしながら、大学でスピーチ実践授業の非常勤講師をつとめ、大学院で日本語教育の研究中。

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