みなさま、こんにちは。

 まだまだ暑い日がつづいていますが、夜になるとセミではない虫の声が聞こえてくるようになりました。いつのまにか秋になっていたのですね。

 と言いつつ、八月の読書日記です(今回は枕短めで失礼します)。

■8月×日

「弱音は吐かない。私は、闘う。」という帯の文句と本体の厚さで、読むまえからなんとなく予想はついていたけど、カリル・フェレの『マプチェの女』は、骨太で重厚な作品だった。でも、弱音は吐かない。私は、読む。

 インディオのマプチェ族出身の若き女彫刻家ジャナ・ウェンチュンは、ブエノスアイレスのレティーロ駅の旧倉庫を不法に占拠して暮らしている。ある日、女装のゲイの友人パウラから、同じく女装のゲイの仲間ルスの行方が分からないと相談を受ける。やがてルスは惨殺死体となって発見されるが、警察はろくに捜査をしようとしない。そこでジャナは私立探偵ルベン・カルデロンの協力を仰ぐことに。

 ルベンは失踪したマリア・ビクトリアという実業家の娘の行方を追っていたが、調べるうちにマリアとルスにつながりがあったことが明らかになる。ふたつの事件がつながったとき、ジャナとルベンのあいだにも何かが生まれる。

 軍事独裁政権下の収容施設で父と妹を失い、「死ぬか、狂うか」という壮絶な拷問を生き延びたルベンにとって、探偵事務所の本来の活動目的は、残虐行為の責任者を見つけ出すこと。この拷問描写が壮絶すぎるのだが、ここで弱音を吐いてはいけない。その責任者を見つけ出してからの、ジャナの復讐シーンがまたそれに輪をかけてすごいのだ。かつてはよそ者(征服者)を殺して心臓を食べていたというマプチェ族だけあって、容赦はしない。すごいぞ、強いぞ、マプチェの女。

 そうかと思うと、戦闘のまえにジャナとルベンがお互いすべてをさらけだし、愛をたしかめ合うロマンチックなシーンもあって、ちょっとびっくり。そしてまたそのシーンが感動的ですごくいいの。ずっとつらい思いをしてきたふたりがひとときでも安らぎを得られて、ああ、よかったなあ、と読んでいるほうも救われる。

 周辺情報としては、ルベンが好きらしくよく飲んでいるピスコサワーというカクテルが気になる。作り方は、ピスコ(ブドウからつくられるペルー原産の蒸留酒)、レモンジュース、砂糖、卵白、氷をシェイカーに入れて振る、というもので、卵白を入れるのが不思議。シェイクするとメレンゲになるよね。なんかちょっとおいしそう。

 著者はフランス人で、二〇〇八年のZuluがフランス推理小説大賞などを受賞、二〇一三年にオーランド・ブルーム主演の「ケープタウン」として映画化されるなど、フランスでは評価の高いミステリ作家らしい。でも、翻訳作品が紹介されるのは初めてなので、できれば訳者あとがきか解説があるとよかったな。

 前半はミステリ色が強く、後半はサスペンス&アクション、ぬかりなくロマンス。読み応えもあり、お得感満載で、読んで損はない作品。というか、読まないと損をする。

■8月×日

 二〇一五年十月五日、がんのため六十七歳で亡くなったヘニング・マンケル。北欧ミステリを牽引してきた功労者の新作がもう読めないのかと思うと、残念でたまらない。

『霜の降りる前に(上下)』はヴァランダー・シリーズに一応終止符が打たれたあとの作品だけど、スピンオフのような感じで、主人公はヴァランダーの娘のリンダ、二十九歳。父と同じ道を進む決意をした彼女は、もうすぐ父の所属するイースタ警察署で実習生として勤務することになっており、現在は父のアパートに居候中。

 そんなとき、友人のアンナが失踪する。幼いころに出ていったきりの父親を見たとアンナが話していたことから、父親をさがしに出かけたのではないかと考えたリンダは、友人の身辺を探るうち、意外なものを見つけてしまう。

 ヴァランダーが捜査中の事件とアンナ失踪のつながりが見えてからは、リンダも非公式に捜査に参加し、父娘の共同作業が実現。ダメダメだと思っていた父親の仕事ぶりを見て、ときどき「オヤジ、やるじゃん」と、くやしいけどリスペクトしちゃうリンダ。でもそこで「だろ?」と得意にならないヴァランダーが好きだ。

 そういえばフェイ・ケラーマンの〈デッカー&リナ〉シリーズでも、デッカーと先妻の娘シンディ、父娘二代で警官をやってますね。シンディの場合、父親は猛反対でしたけど。ヴァランダーは、内心うれしいけど心配、って感じかなあ。けんかばかりしている父娘だけど、実はヴァランダー、リンダがイースタに帰ってきて機嫌がいいらしい(マーティンソン談)。娘のまえではいつも不機嫌なのにね。テレてるのか?

 それにしてもリンダ、イースタ署の会議室で、テーブルの上のガラスの灰皿を父親に投げつけるって、ニナガワか! いや、ニナガワでもガラスの灰皿は投げなかったはず。だって危険すぎるでしょ。灰皿はひたいに命中してヴァランダーは流血しちゃうんですよ。下手したら死んでたかも。瞬間湯沸かし器なとこは、やっぱり父親似だわ。リンダはとりあえず交通課勤務みたいだけど、父娘がイースタ署にいたらたいへんなことになりそう。ふたりとも、冷静になったあとはちゃんと謝罪するところまで似てるのに、自分が父親に似ているとは思いたくないらしいリンダがなんかかわいい。親子あるあるですね。

■8月×日

 チャールズ・ウィルフォードの幻の傑作ノワール『拾った女』は、解説するのがむずかしい作品だ。当サイトの「訳者自身による新刊紹介」に添えられていた担当編集者のコメントによると、さりげなく(あんまりあおらずに)、別の人に「なかなかおもしろかったよ」とお薦めください、ということなので、予備知識なしに読むのがいいのだろう。

 でもちょっとだけ。

 意外に思われるかもしれないが、『拾った女』の世界は、みんながやさしい。仕事をさがせばすぐ雇ってくれる人がいるし、家主のミセス・マッケイドはおせっかいだけどいい人だし、病院にも拘置所にもなんとなく気持ちの通じあう人がいる。そして何より、主人公のハリーがやさしい。初対面の飲んだくれの女ヘレンの面倒をみてやり、とっても紳士な対応をする。ノワールってこんなやさしい世界だったっけ、とちょっと不思議な気分になった。五〇年代のサンフランシスコとちがって現代は非情な世界だからそう思うのだろうか。もちろん暴力も登場するが、殴ったり殴られたりしても、どこか遠いところで起こっているような印象を受けるのだ。まあ、わたしだけかもしれないけど。

 みんながやさしい世界では、挫折してもまっとうに生きることができたはず。それでも破滅に向かっていくしかないのが、ハリーとヘレンの闇の深さなのだろう。自分を運転手のいない車にたとえて、もう制御不能なのだから抗う必要はないと悟ったハリーのすがすがしさよ。それを悟らせたのはヘレンだ。

 下宿している部屋の室内は散らかってひどいありさまなのに、脚付きの金属製の整理だんすの脚を、水を入れた小さな缶に入れておくとアリが寄りつかない、なんて〈暮らしの手帖〉風の生活の知恵はあるというアンバランスさからも、ハリーの危うさが感じられる。

 読んでいくうちに、もう何があっても驚かないぞ、という気分になっていったが、ラストはやっぱり衝撃だった。

 意外とあっさりしていてカロリー控えめ(読みやすい&短い)なのに、最後にガツンときて、食べ応えは満点。もう一度読みたくなったりして、かなり腹持ちもいい。そんな作品。

■8月×日

 月に二、三冊はコージー・ミステリを読まないと落ちつかない。つぎはどのシリーズにしようかな、と悩むのも楽しい。そんなわたしの今月の一冊は、ジュリー・ハイジーの『春のイースターは卵が問題』。〈大統領の料理人〉シリーズ三作目です。

 ホワイトハウス初の女性エグゼクティブ・シェフ、オリーことオリヴィア・パラスに、またもや試練のときが訪れる。ホワイトハウスでの夕食会のあと、国家安全保障局の大物、カール・ミンクスが亡くなったというのだ。ミンクスは菜食主義者で、ほかのゲストとは別メニューの料理を出していた。オリーと仲間のシェフたちはミンクスの死因が判明するまで、厨房の使用を禁止されてしまう。

 自宅待機を言いわたされ、ちょうどシカゴから遊びにきていた母と祖母とすごす時間ができたのはよかったけれど、オリーはイースターの卵転がしのことが心配でたまらない。厨房に復帰するには事件を解明しなければならないのに、事件に首をつっこめば、大統領護衛官の恋人トムが困った立場に立たされるし……どうする、オリー?

 第一作でオリーにコージー史上に残る名ゼリフ「あなたがたとえテフロン製でも、わたしはたぶん焦げつくわ」を言わせたトムは、今回あまりいいところなし。あ、言われなくてもオリーの母親と祖母を空港に迎えにいったのはポイント高いけどね。

 ホワイトハウスのエグゼクティブ・シェフのオリーとシークレットサービスのトムの関係は社内恋愛みたいなものだから、公にできないのはわかるけど、いつも利害関係が微妙に対立していて、オリーはストレスがたまっているみたい。でも、トムが求めているのはほんとうに「彼の人生の法則に従うガールフレンド」なのかしら……どちらにとっても、恋の悩みが仕事に直結しちゃうのがつらいところだよね。

 ところで、ホワイトハウスで殺人事件が起こっても絶対中止にできないイースターの卵転がしって、そんなに大事なものなの? と思ってググったら、けっこう伝統ある行事で、今年も三月二十八日におこなわれたもよう。百三十八回目だって。訳者あとがきにもちゃんと書いてありましたね、すみません。芝生の上のゆで卵をおたまみたいなもので転がすだけなのに、みんなめっちゃ楽しそう。動画のイースター・バニーの着ぐるみはちょっとこわかったけど、あのなかにシークレットサービスがはいってるのね(本書では)。ちなみにオリーたちが用意したゆで卵は約一万五千個でした!

 巻末の卵料理レシピ集は必見! エッグベネディクトやシナモン・フレンチトーストなど、比較的身近な材料で作れておいしそうな、卵料理のお役立ちレシピがたくさん紹介されています。でも二人分のスクランブルエッグが卵六個分って、けっこうな量だわ。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)

英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。もうすぐコージーブックスからジュリア・バックレイの『そのお鍋、押収します!』が出ます。〈秘密のお料理代行〉シリーズ第一作です。よろしく!)

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