書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
ここしばらく、台風の襲来で天候不順な日々が続いています。被災地のみなさまにはお見舞い申し上げます。早くからっとした秋晴れの天気が戻ってきてほしいものですね。読書シーズンを控え、今月も七福神の面々が集結しました。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
北上次郎
『終わりなき道』ジョン・ハート/東野さやか訳
ハヤカワ・ミステリ
話題作が次々に翻訳されているが、どれもピンとこないので、仕方なくジョン・ハートでいく。仕方なく、というのはよそでさんざん絶賛書評を書いたのでここでは違う作品をあげたかったのである。しかしこれを超えるものは今月なし、というのが私の結論だ。いつもよりはシンプルな話だが、巧みな構成で一気読みさせる筆力は相変わらずで、ホントに素晴らしい。
千街晶之
『ミスター・メルセデス』スティーヴン・キング/白石朗訳
文藝春秋
無差別大量殺人の犯人を捕まえられぬまま退職した老刑事ホッジズ。鬱々たる余生に入ろうとしていた彼の刑事魂に再び火をつけたのは、犯人からのあまりにも悪辣な挑戦状だった。パソコンに詳しい高校生の助けを借りて犯人に迫るホッジズと、彼をじわじわと追い詰めて死に追いやろうとする犯人、両者の命がけの頭脳戦は、互いの出方を予想し、時には大きく読み誤りながらクライマックスへと収斂してゆく。頭脳戦といってもジェフリー・ディーヴァー作品のように探偵も犯人も超人的天才というわけではないが、そのぶん、卑劣な犯人像が帯びる生々しいリアリティと、そんな犯人に刺激されたホッジズが刑事として再生する心理の説得力が無類。上下巻の大作ながら一気に読まされること必至だ。
霜月蒼
『死の鳥』ハーラン・エリスン/伊藤典夫訳
ハヤカワ文庫SF
まず何よりノワールやクライム・ノヴェルのファンはアメリカ探偵作家クラブ賞を獲った大傑作「ソフト・モンキー」を読まねばならない。まだ危険だった頃のニューヨークの暗い領域を酷薄に描く傑作であり、その世界観はローレンス・ブロックの初期マット・スカダーに直結する。「鞭打たれた犬たちのうめき」も同じ酷薄さが最後には荘厳で巨大な何かに突き抜ける(モチーフはライアン・デイヴィッド・ヤーンの傑作『暴行』と同じ)。
残る収録作はSFに分類されるが、これらはウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』や『クローム襲撃』、パオロ・バチガルピの『ねじまき少女』や『第六ポンプ』がそうだったのと同じように、極上のクライム・スリラーなのであるからミステリ・ファンに読まれねばならない。きらびやかで、ふてぶてしく、反社会的で、酷薄であるがゆえの詩情が漂う——要するにこれはハードボイルド/ノワールの美である。走って買いにゆけ。そして早川書房は迅速に第二弾を刊行せよ。
川出正樹
『ガール・セヴン』ハンナ・ジェイミスン/高山真由美訳
文春文庫
3年前に家族を惨殺されて以来、ロンドンのナイトクラブでホステスとして生きてきた“セヴン”こと清美。殺し屋とともに仇を探す一方で、ロシアン・マフィアの企みに巻き込まれた日英ハーフの21歳の主人公は、暴力が単なるコミュニケーションの一手段に過ぎない裏社会を、生き延び、日本へと帰るべく、おぼつかなくもしたたかに奮闘する。
お話自体はこの手の犯罪小説の定石に則っているし、筋運びもまだまだ不慣れで荒削りだ。けれども面白い。それは主人公の造詣が優れているためだ。美術館で見た絵の中の女たちに自らの状況を見て取り、「誰かに所有されるのは絶対にやめよう、と思ったのはこのときだった。所有されるのは絵のなかにとらわれるようなものだから。残りの一生をとらわれて過ごし、どんよりとした眼で外の世界を眺めるようなものだから」と述懐する“セヴン”の、よく言えば臨機応変、悪く言えば場当たり的な危機対応から目が離せず、最後まで一気に読んでしまった。そして、あのラスト。これまた定石だけれど、綺麗に決まっていて、満足の一冊でした。
吉野仁
『終わりなき道』ジョン・ハート/東野さやか訳
ハヤカワ・ミステリ
女性警官をヒロインとしたジョン・ハート『終わりなき道』は、冒頭からクライマックスまで、とてつもないサスペンスが展開していく傑作。読み終えて冷静に考えると、ひとりの女性にこれだけの大事件や悲劇がいっきょに襲いかかるものか、などと野暮なことを思うものの、読んでいる間はまったくそれを感じさせない。逆転劇を生む伏線もお見事だ。そのほか、『ミスター・メルセデス』における、相変わらずこれでもかとばかりの詳細な描写と饒舌な語りに参ってしまう、さすがスティーヴン・キングと言わざるをえない。そして、奇想ミステリが豊作な昨今だが、そのなかでもフェデリコ・アシャット『ラスト・ウェイ・アウト』の「つかみ」は群を抜いている。なんだこりゃ、と思わせる秀逸な冒頭を読んだら最後、もう続きを読まずにおれない。こういうヘンな作品をどこまでも偏愛するわたしながら、それでも正統派(?)の『終わりなき道』をベストとするまっとうな気持ちを隠せなかった夏。いや『ラスト・ウェイ・アウト』も読んでください、出口なしですから。
酒井貞道
『ミスター・メルセデス』スティーヴン・キング/白石朗訳
文藝春秋
8月はジョン・ハートの情緒纏綿たる新作が胸に染みてしまったのだが、それでも『ミスター・メルセデス』を無視するわけにはいかない。チャットで煽り合う退職刑事と殺人鬼、という構図だけでも面白いのだが、どちらに肩入れしたいかというと、私は断然、殺人鬼メルセデス・キラーなのだ。退職刑事ホッジスは、肥満体の六十代なのに途中でリア充と化すし、トークや煽りも上手い。一方、メルセデス・キラーは、学も愛も金もなく、親にだって恵まれない上に、やることなすこと上手く行かず、それでもプライドだけは人一倍なのだ。主役二人はあらゆる意味で対照的であり、その対決は、キング一流の圧巻のストーリー・テリングがまとめあげる。面白くないはずがないのだ。後半の、ある人物の成長にも注目すべきだろう。
杉江松恋
『ささやく真実』ヘレン・マクロイ/駒月雅子訳
創元推理文庫
アルゼンチン作家フェデリコ・アシャットの『ラスト・ウェイ・アウト』にするつもりでふと読書録を見たら、ヘレン・マクロイがぎりぎり8月一杯に出ていたことが判明して直前に差し替えました。1941年発表だからマクロイとしてもかなり早期の作品で、不愉快な主催者が人を集めたパーティで、その主催者が殺害されることになる、という〈多すぎる容疑者〉パターンの謎解き小説である。おもしろいのは、とある小道具が事件を構成する不可分な要素として使われていることで、後の『暗い鏡の中に』や『二人のウィリング』といった作品群への布石はすでにこのころから打たれていたのだと気がつきました。犯人あての小説としてもかなり大胆な書きぶりをしているので、お読みになるが吉、と思います。
で、『ラスト・ウェイ・アウト』のほうなのだけど、これは「〜みたいな小説」と書くだけで先入観を与えてしまいそうな曲者です。あえて書くなら「以前は新潮文庫がときどき出していた『ナニコレ?』と言いたくなるような変化球のサスペンス」ぐらいかな(そういえば最近新潮文庫のミステリー新刊、あまり見なくなりましたね)。まさに今自分の頭に銃弾を撃ち込もうとしている男の家にノックの音が、って星新一みたいな紹介をしてみましたが、そこからの話の転がし方がすごい。一つの出来事が二重、三重に解釈可能となる中盤を経て怒濤の後半へ、という具合に600ページ近い分量にもかかわらず、あれよあれよと読んでしまいます。あと、オポッサムこわい。
夏枯れなどはなんのその。ベテランの名前が多く上げられましたが、新人作家も健闘し、いつもながら賑やかな月になりました。9月はアレもアレも出ますし、ますます読むのが大変になりそうです。来月もお楽しみに。(杉)