書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 九月はいちばん雨の多い月らしいですが、それにしても鬱陶しい日々が続きました。ようやく秋らしい季節になってきましたね。こういうときはお気に入りの本を携えてぶらっと各駅停車の旅に出てみるのも一興かと。そんなわけで今月も七福神のコーナーです。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『その雪と血を』ジョー・ネスボ/鈴木恵訳

ハヤカワ・ミステリ

 銃撃シーンが美しい。オーラヴが膝立ちになってピーネの背中を撃つと、茶色のコートから白い羽根が飛び散り、雪のように宙を舞う。ピーネもコートから銃を出して撃つが、腕が上がりきらない。ピンピンピンピン。弾は壁や床にあたって石造りの地下室を跳ね回る。そういうシーンがスローモーション映像を見るかのように描かれる。ジョー・ネスボってこういう作家だったのか、という驚きがある。

千街晶之

『ロルドの恐怖劇場』アンドレ・ド・ロルド/平岡敦編訳

ちくま文庫

 20世紀初頭、パリで人気を博した残酷演劇「グラン・ギニョル」の劇作家が手掛けた、戦慄と狂気と皮肉に満ちたショート・ショート群。ひとつひとつの分量が短いぶん、残虐描写などは昨今のホラー小説と違ってあっさりしたものだが、真正面から脳天を一撃されるような即物的ショックを伴う結末や、作中人物に対する容赦のない扱いは今読んでも充分に生々しい。当時先端の医学が恐怖演出の道具立てとして活用されている点は、小酒井不木ら日本の戦前の探偵小説を想起させる。かつてガストン・ルルーの作品として邦訳されていた小説が、実はロルドの作品だったという新情報にも驚く。それにしても、どうして人は暗い話、残酷な話、厭な話からもカタルシスを見出すのか……ということを改めて考えたくなる一冊だ。

川出正樹

『熊と踊れ(上・下)』アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ/ヘレンハルメ美穂・羽根由訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 怒濤の1100ページ超を読み終え、呆然としてしまった。圧倒的な、あまりに圧倒的な傑作だ! 〈暴力〉という、認めてはならない、与してはならない、けれど決してなくなることのない行為を俎上に載せ、目をそらすことなく、安易な解を出すことなく、がっぷりと取り組んだ、熱さと冷たさを併せ持つ真摯な物語。これが、実話をベースとしていることら、あらためて慄然とする。

 心を引く襲撃小説であると同時に、家族と紐帯についての物語でもある、〈暴力〉の本質と影響力を冷徹に見据えた本書を自信を持ってお薦めする。

 今月はもう一冊、アンドレ・ド・ロルド『ロルドの恐怖劇場』もお薦め。「ああ、そうなるよなぁ」とか「ええっ、そこまでするか」とか一篇毎に呆然とし溜息をついてしまう〈恐怖のプリンス〉の異名を取った作者の本領を、厭というほど堪能できる珠玉の短篇集です。

霜月蒼

『ノース・ガンソン・ストリートの虐殺』S・クレイグ・ザラー/真崎義博訳

ハヤカワ文庫NV

『熊と踊れ』には圧倒されたし、『ロルドの恐怖劇場』の古風な残虐も愉しかったし、いつものように素晴らしいマイクル・コナリーの新作『転落の街』も堪能した。けれども一番ぶっとんだのは本書。失態の責任を負ってミズーリの厳寒の地にある治安最悪の町ヴィクトリーに左遷された刑事が、壮絶きわまりないギャングとの戦争に巻き込まれるクライム・スリラーである。

 こうした町が実在するのかどうか知らないが、ヴィクトリーの町の造型が凄まじい。犯罪者だらけの地域は廃墟だらけで犬猫とハトの死骸が散乱。そこに警官を通報で呼び出してアサルト・ライフルや手榴弾で殺害するような連中がウヨウヨしているのだ。最後の対決の舞台がまた強烈で、吹雪の中、廃ビルが林立し、横倒しになっているビルまである廃墟の町に悪徳警官たちが武装して乗り込むのである。この町の景色は一生忘れないような気がするほど。

 それでいて随所に下卑たチャンドラーとでもいうべき眼の覚めるようなシャープな表現が埋め込まれ、会話は才気に満ちていて、冒頭の2章など独立した短編のよう。著者のクレイグ・ザラー、才人である。『ファーゴ』の世界に『要塞警察』の悪党どもが殴り込み、『ヒート』の警官たちが応戦するのをイーライ・ロスが撮ったみたいな強烈作。ジョー・R・ランズデールなんかがお好きな方にもおすすめです。

吉野仁

『生か、死か』マイケル・ロボサム/越前敏弥訳

ハヤカワ・ミステリ

『生か、死か』は、「なぜ男は刑務所内での壮絶な暴力から生き抜き、わざわざ刑期満了の前日に脱獄したのか?」という強烈な謎を提示してはじまる逃亡と追跡の物語。ちょうど8月刊のジョー・ネスボ『ザ・サン 罪の息子』戸田裕之訳(集英社文庫)も、脱獄、復讐、親子ものだったが、ロボサムのいい点は、主人公が謎めいている分、個性の強い脇役を配し、巧みなプロットでサスペンスを深めているところなどにある。そのほか、孤児となった主人公の数奇な運命をたどるドナ・タート『ゴールドフィンチ』岡真知子訳(河出書房新社)全四巻をはじめ、読んだのは十月になってからだが、ラストに唖然とさせられ全三巻を一気に読みたくなったエドワード・ケアリー『堆塵館』古屋美登里訳(東京創元社)など、まだまだあるが略。豊作の月だった。

酒井貞道

『熊と踊れ(上・下)』アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ/ヘレンハルメ美穂・羽根由訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 9月は早川書房がド本気を出して凄かったわけです。暴力と悪逆がにおい立つ作品をポケミス1作、HM2作、NV1作でずらりと並べて見せたのは圧巻でした。

 その中でも私はこの『熊と踊れ』をチョイスします。実際の事件を下敷きに、犯罪小説という形で、主に人格造形の点で想像力の羽根を伸ばし、飛翔させる。この手法は、ジェイムズ・エルロイやデイヴィッド・ピースが得意としていますが、ルースルンドとトゥンベリは彼らに比べて筆致がストレートです。そして《家族》というテーマを中心に据えて、恐るべき狂気よりも、哀しいほどの恋着、執着、そして依存を描き出します。人生とはままならぬものですが、それをどの人物にも等しく味わわせる。それによって生み出された物語の奥行きこそ、この作品の魅力の源泉だと思います。

杉江松恋

『堆塵館』エドワード・ケアリー/古屋美登里訳

東京創元社

 秀作が多くて迷う月だったのだけど、いちばん興奮させられた小説ということで『堆塵館』を挙げる。ゴミの山から得たもので巨万の富を築いた一族アイアマンガー、そのうちの一人で物の声が聞こえる少年と、そこに使用人として雇われてきた孤児の少女を主要な視点人物として進んでいく、ボーイ・ミーツ・ガール形式のプロットを持つ幻想小説だ。え、ミステリーじゃないじゃん、と言われそうだが、小説の推進力になっているのは謎の要素なのでミステリー・ファンこそこれを読むべきだろう。アイアマンガーの者は生まれたときにがらくたを一つもらって、それを分身のように大事にするという設定がある。また、使用人はすべてのものを取り上げられ、名前すら「○○するアイアマンガー」というように画一的な呼称にされてしまう。こうした奇矯な設定にすべて意味があることがわかるのが中盤で、そこから結末までは暴走機関車の如き勢いで物語の様相が変わる。小説の流れの中で翻弄される悦びを味わいたければ本書を読むべきで、三部作の第一作だからと言って尻込みしている場合ではない。某所でジブリ作品に喩えて本書を紹介したが、ダール『チョコレート工場の秘密』のあのわくわくするような胡散臭さだとか、翳りのある児童向け小説を好きな読者も絶対手に取るべきだ。今年翻訳された小説の中では自信を持って薦める必読作である。

 その他、ロルドだとかネスボだとかアーナルデュルだとかいろいろあるのだけど、もう一冊ステファン・グラビンスキ『狂気の巡礼』を薦めておきたい。昨年、鉄道に特化した幻想小説集『動きの悪魔』が刊行されていて、後で読んで、なぜこれを書評しなかったか、と歯噛みした作家だ。「ポーランドのポー」「ポーランドのラヴクラフト」などの尊称を与えられている作家らしいが、とにかく妄執の描き方が凄まじく、続けて読むとまずいと思わされたほどだった。これもきっとみなさん気に入ると思いますの。

 豊作の2016年を象徴するかのように力作がずらりと並んだ月でした。これから年末ランキング投票に向けて、さらにラインアップの充実が見込まれます。みなさま体調に気をつけて、読書をお楽しみください。では来月またお会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧