• フランシス・ラカサンFrancis Lacassin編, Simenon avant Simenon: les exploits de l’inspecteur Sancette, Omnibus, 1999[シムノン以前のシムノン:ソンセット刑事の功績]
  • Les enquêtes de l’inspecteur Sancette[ソンセット刑事の事件簿]16編か
  • Christian Brulls, (連載途中まで総タイトルなし), «Ric et Rac» 1929/5/18号-1930/2/15号(nos 10, 12, 18, 24, 25, 26, 28, 31, 33, 38, 40, 45, 47, 49)[1-14]
  • Georges Sim, L’as de l’arrestation , «Benjamin» 1934/12/13号(no 266)[15]
  • Christian Brulls, L’histoire du tonneau, 未発表, 初出 Jean-Christophe Camus, Simenon avant Simenon: les années parisiennes (1923-1931), -Didier Hatier, 1990, pp.230-232[16]

▼オムニビュス社「ソンセット刑事の事件簿」収録作[7を除く15編]

 1. Le bonhomme de Lagny [ラニーの男]«Ric et Rac» 1929/5/18号

 2. Le grappin de M. Sancette [ソンセット氏の格闘]1929/6/1号

 3. Frédo-la-Terreur [恐怖のフレド]1929/7/13号

 4. L’homme aux allumettes [マッチの男]1929/8/24号

 5. L’assassinat de la marquise [侯爵夫人殺し]1929/8/31号

 6. L’histoire des montres [時計の来歴]1929/9/7号

 7. (Les trois clients) [三人の顧客]マンギー氏の書誌『ジョルジュ・シムからシムノンへ』等に記載あるも詳細不明、単行本未収録か(no 28, 1929/9/21号?)

 8. Le coffer-fort d’acajou [マホガニーの保管櫃]1929/10/12号

 9. La dame aux yeux noirs [黒い瞳の令嬢]1929/10/26号

 10. Le jeune homme pâle [青ざめた若者]1929/11/30号

 11. Le nègre et la panthère [ニグロと黒豹]1929/12/14号

 12. L’archiviste [公文書保管司書]1930/1/18号

 13. Le vase de Delft [デルフト焼き]1930/2/1号

 14. Les trois rats de quai [三人の波止場の溝鼠]1930/2/15号

 15. L’as de l’arrestation [捕らわれた大盗賊]«Benjamin» 1934/12/13号

 16. L’histoire du tonneau [樽の来歴]未発表

 メグレ警視というキャラクターは、シムノンがペンネーム時代に模索していたさまざまな方向性から徐々に起ち上がってきたことを前回示した。ペンネーム時代のシムノンはガストン・ルルーの記者探偵ジョゼフ・ルールタビーユやモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンの系譜を確かに受け継いでおり、まずはそうしたヒーロー像に自分を重ね合わせることで、探偵小説の分野に分け入っていった。

 そこから次第にシムノンは、現実のフランス警察に所属する探偵役を描くようになってくる。ルールタビーユのような性格づけの刑事である。彼らにはアルファベと数字を組み合わせた通称が与えられた。所属もフランス諜報部からパリ警視庁へと変化してゆく。こうして少しずつメグレが生まれる土壌が整っていったわけだが、ルールタビーユ的なキャラクターは媒体の求めに応じて短い犯罪コントの連作や犯罪実録風の作品に登場し続けたものの、長編作品では別のタイプのキャラクターへと取って代わられていったようだ。

 それはジャンルミステリーよりもむしろ一般的な恋愛・心理小説の脇役から生まれ育っていったように思われる。シムノンは「一般小説」などと銘打たれた叢書に長編を書き下ろすようになり、そこでも犯罪を取り上げることが少なくなかった。そうした長編で犯罪者を追う探偵役は、より現実的なキャラクターでなければならない。ルールタビーユやルパンではなく、逆に特徴のない人物である方が好ましい。こうした要請が先の系譜と交差したのだと思われる。その交差点にソンセットという探偵役がいた。

 ソンセットは刑事番号107を意味する通称であり、匿名性を与えられたヒーロー的キャラクターとして出発したが、前回『赤い砂の城』で見たように、長編ではより現実的な探偵役へと変貌した。メグレが生まれるのはもうすぐだった。

 一方、ルールタビーユの系譜はG. 7ものなどいくつかが本名名義で後に刊行され、現在まで生き残った。『13の秘密』『13の謎(ダンケルクの悲劇)』『13の被告(猶太人ジリウク)』『七分間』である。

 メグレの前身といえるソンセットのキャラクターは、残念ながら本名名義では残らなかった。しかし彼こそがルールタビーユとメグレの結節点なのである。

 ソンセットは『13の秘密』などと同時期、やはり犯罪コントの連作に登場している。前回読み残していたこの事件簿を読んだ。未刊行作品なので出来映えは落ちるのかと思っていたが、『13の秘密』『13の謎』『13の被告』が好きな人なら決して読んで損はない、なかなか楽しめる好シリーズなのだった。

「ソンセット刑事の事件簿」1929-1930

1.「ラニーの男」1929

 その朝、ソンセット氏はポン・ヌフ近くのドーヴィル広場の小さなレストランで、いつものテーブルで私と昼食を摂りながら、「またきみは事件に関わりたいのかい?」と尋ねてきた。私たちはいつもそこで会っていたのだ。

「ラニー(=シュル=マルヌ)に行こう、早く食べたまえ」ソンセット刑事はおよそ30歳。機動隊 Brigade mobile でもっとも優秀な刑事で、丸くて赤みがかった顔をしており、イースター祭のときから毎年いつも麦わら帽を被っている。ソンセット Sancette という名前はパリ警視庁 Préfecture の電話交換番号107(cent sept=ソン・セット)から来ている。

 私たちはラニーの村に着いた。川沿いに別荘が並んでおり、彼は「ここだ!」とヴィラを指した。窓は開いており、彼はここから入れと私に指示する。訝りながら私が彼にいう通りにすると、ひとりの老人が飛びかかってきた! この男はどうやら犯罪者のようだ。ソンセットはいったいどんな罠を仕掛けていたのだろうか? 

 それにしても犯人が武器を持っていたらと思うと冷や汗が出る。事件の真相を語った後、彼は「きみ、いい仕事だったよ!」と私を労うのだった。

2.「ソンセット氏の格闘」1929

 ソンセット刑事は私をサン=ジェルマンの《二羽の鳩》というレストランに連れて行った。テーブルから庭が見渡せる。「何か見えたかい?」ソンセットの質問通り、そこからの眺めは事件の鍵だったのだ。

3.「恐怖のフレド」1929

 刑事が次々と殺害されてゆく事件が続くなか、ソンセットはついに手がかりをつかんだらしい。犯行者“恐怖のフレド”を阻止しに行くぞ、とソンセットは私をレストランへ連れて行く。そこで私は地下の電話ボックスで電話をするはめになった。ところがそこへ細身の女性が無理に割り込もうとしてきたのだ。ソンセットも現れ、私は“恐怖のフレド”のことも忘れて混乱する。逃げようとする女性をソンセットはつかまえて、「犯行を防いだぞ!」と宣言した。真相を語って彼はいう、「これ以上スマートな解決はないよ!」

4.「マッチの男」1929

 私たちはドフィーヌ広場のレストランで食事を終えて、ルーヴルの庭園を歩いていた。すると前を歩く男が、右へ左へと次々とマッチの燃えさしを投げ捨てている。「誰かに合図を送っているようだぞ」右に捨てたときはモールス信号、左に捨てたときは別の何かだ! その夜、ソンセットは私に真相を語ってくれた。

5.「侯爵夫人殺し」1929

 フランス中央部ムーランの侯爵夫人から助けを求める手紙を受けて、私たちは出向いた。地元の小作人に夫人の評判はよく、「ご夫人は執事に連れられて公園の椅子か、お城の窓辺にいつも座っていますよ」という。3日経ってソンセットは「きみは射撃がうまいかい?」と私に聞いてくる。そして窓辺に座る夫人の影を撃て、決して外すな、と私に命じたのだ! 私は混乱しながらライフルで夫人の頭に何発も撃ち込んだ! しかし夫人は動かない! この城で何が起こっていたのか?

6.「時計の来歴」1929

 私たちはフランス西部サーブル=ドロンヌのビーチを歩いていた。この2週間、掏摸集団が暗躍しているのだ。賊は時計や鍵など何でも盗むらしい。「きみは人の顔を憶えられるか?」ソンセットは私にそう聞くと、その朝から何と自分で掏摸を始めた。持ち主の顔を憶えておけというのだ。「いいか、これは賊への罠だ。自分たちのシマで別の掏摸が動き回っているのだから……」

 だが私たちは取り押さえられ、品物は警察署で押収された。ソンセットは憤慨している。「3日前に盗まれた真珠の首飾りはどうした?」「3日前ならまだパリにいたが……」ところがソンセットのコートから首飾りが出てきたのだ! 珍しいソンセットの失策。彼の顔が青くなったのを私は初めて見た……。事件の真相は? 

8.「マホガニーの保管櫃」1929

 知り合いのいないサカロフ氏がイヴリー=シュル=セーヌに埋葬されて12日後、家の保管庫から彼の遺体が出現した。櫃は空だったはずなのになぜ? ソンセットは「どのくらい窒息せずなかに入れるか調べたい」といって櫃に入り、私は蓋を閉めてひと晩見張った。夜が明けてもう耐え切れず蓋を開けると、なんとソンセットの姿がない! 警察が櫃の底を斧で壊すと、秘密の階段が地下へと繋がっている。私は彼の名を叫びながら探したが、どこにも足跡は見つからなかった! 慌てて司法警察局へ知らせに行くと……。

9.「黒い瞳の令嬢」1929

「ぼくはアメリカからこのフランスに来てまだ5日目です」背の高い金髪の青年が私たちに訴える。「ぼくは正直な人間です。レストランで令嬢と出会って身上話を聞きました。夫は酔うと叩くし、黄色いスーツケースに入っている宝石は彼のものになるというのです。彼女を自由にさせてあげたい。そこでぼくは深夜、彼女の夫の部屋に忍び込んでスーツケースを持ち出し、外のタクシーで待っている彼女に渡しました。ところが彼女が去った後、男が出てきて『盗人め!』とぼくを殴ったのです。ぼくは悪いフランス女に騙されたのです……」

「その令嬢の特徴は?」と問い質すソンセット。「きれいな黒い瞳でした!」「この50枚のなかにいるかね?」とソンセットは写真の束を取り出す。「これです!」と青年が指摘すると、「もう帰っていいよ」「本当ですか? アメリカに戻れますか?」「ああ!」──青年が帰った後、私は訊いた。「この女性は誰だい?」ソンセットの意外な答とは。そして事件の真相は? 

10.「青ざめた若者」1929

 クリシー通りでバスを降り、私たちは建物の5階に上がった。この屋根裏部屋で青年が、明日の国王のパレードを狙って銃や爆弾を抱えているのだ。ソンセットと私はロープを使って屋根から窓を観察する。神経質そうで青ざめた顔つきの男だ。危険なアナーキストを止めなくては。だがそこで発砲があり、私はバランスを崩した。「私は死ぬのだ……」だが目を開けたとき、ソンセットが私のロープをつかんで引っ張ってくれている! 助かったのだ! ソンセットが取った奇策とは? そして屋根裏部屋で私が目にした光景は? 

11.「ニグロと黒豹」

 ボルドーの港に近い場所で、オランダ人水夫が浴室で血まみれの重傷を負った。現場は黒人やアジア人がたむろするいかがわしい通りで、室内には激しい格闘の跡がある。しかも鑑識によると水夫は大型の猫か虎、ないし黒豹の爪のようなもので攻撃されたという。黒豹の肌は闇に紛れやすい。だが猛獣がサーカスから逃げた形跡はない。黒人がアフリカから連れ込んだのか。

「ニグロと黒豹か……!」ソンセットと私は被害者の病院を訪ね、そこで最初の手がかりを得る。

12.「公文書保管司書」1930

 ブルゴーニュのある都市で、市長が辞任に追い込まれる事態が発生していた。公文書保管司書のパトゥロ氏が管理している図書室から、重要な歴史文書がなくなったというのだ。パトゥロ氏は山羊鬚を生やし、厚い眼鏡をかけ、鳥のような黒いシルクの帽子を被った老人で、埃にまみれていた図書室を熱心に整理し、価値のある歴史資料を発見してきた人物だった。盗難のあった文書は屋根裏にあり、そこへの鍵は彼が肌身離さず持っているはずだった。市長は彼を信用したが、世間はそう思わない。彼が盗人かどうか、いまや市内は険悪な雰囲気で、世論が二分されるほどになっていたのである。パトゥロ氏は切々と私たちに状況を訴えた。

 ソンセットはかつてパトゥロ氏と揉めた古物商の名を挙げて探りを入れる。だが確かにパトゥロ氏のいう通り、誰も屋根裏には入れなかったはずだ! 

 ソンセットは突然リボルバーを取り出してパトゥロ氏に向けた。私は仰天した。パトゥロ氏の反応は、あまりにも意外なものだったのだ。

13.「デルフト焼き」1930

 いつだって興味深い事件の話は、私たちがドフィーヌ広場の小さなレストランで昼食を摂っているときに始まる。ソンセットの話はこうだ。オランダのフローニンゲンから裕福な農夫がパリへ来てルーヴル美術館を訪れたところ、そこに展示されているデルフト焼き(オランダの彩色陶器)の壺が自分のものだと気づいたのである。その壺はルーヴルがパトロンから寄附されたものだが、5年前にユダヤ人の古物商から購入された逸品で、とくに壺の蓋は素晴らしい出来映えのものだった。

 農夫は5年前に古物商からあなたの壺を買いたいと依頼を受けていた。4000フローリン(4万フラン)の値づけでも拒否していたのだが、あるとき自宅で商談中、わずかに彼が目を離したとき、陶器の割れる音がした。慌てて部屋に戻ると古物商の前にデルフト焼きの蓋の破片が散らばっている。「何ということだ、手を滑らせました……。せめて申し出の金額で結構ですから破片といっしょに買い取らせていただけませんか。それが私の義務です」それでようやく農夫も受け入れたというのである。

 ルーヴルのパトロンは、ちゃんと蓋がついたそのデルフト焼きを、40万フランで購入していたらしい。蓋はどこから来たのだろう。ソンセットは私に種明かしをする。

14.「三人の波止場の溝鼠」1930

 フランス西部ラ・ロシェルの港で、深夜に出て行った漁船が翌朝ひっそりと港に戻って錨を降ろしたにもかかわらず、誰もその船上にいないという怪事件が発生していた。漁船の名は《ゼートイフェル》、ドイツ語で「海の悪魔」「鮟鱇」の意味であり、オーナーはドイツ人なのである[船名の原文は Secteufel だが、Seeteufel の誤りだと思われる]。ソンセットと私は数日にわたって船を監視したが動きはない。しかし、ついにある早朝、異変が起こった。ソンセットは私を埠頭へと連れ出す。

 私たちはそこで「波止場の溝鼠」と呼ばれる低層階級の船乗りたちに会う。そのうち三人が「旦那、一杯おごってくれよ」と寄ってきた。三人の衣服に錆止めの赤い鉛丹がついている。ソンセットは彼ら三人に約束通り白ワインのグラスをおごると、問題の船のエンジンをそっと指差した。

 事件の真相が明らかになった後、ソンセットは三人の奴らと笑い合う。もし私が物語の書き手なら、ここでハッピーエンドにするところだ。しかし現実はそれほどロマンチックではない。顛末を示して、物語は終わる。

15.「捕らわれた大盗賊」1934

 連日新聞を騒がせているアメリカの大盗賊テッド・ブラウンが、パリのシャンゼリゼ宮殿群に出没したとの通報がパリ警視庁に入った。賊はつねに町の一角を吹き飛ばせるほどの爆薬を抱えており、彼はいつもポケットのなかで起爆装置に触れているのだという。私とソンセットは宮殿に赴き、まるでアメリカ映画の悪役のような支配人と面会する。彼の片手もポケットのなかだ。舞踏場に数百もの人が詰めかけ、ジャズの音色が流れている。支配人はそこにテッド・ブラウンがいると告げた。テーブル上の雑誌の表紙に賊の肖像が載っており、左耳から唇まで大きな深い傷がある。まさにそこにいる男の唇にも深手がある。しかも片手は上着のポケットのなかだ。

 男は煙草をもう一方の手で取ると、ソンセットに「火を貸していただけませんか?」と尋ねてきた……。そして火をもらうと男はソンセットに攻撃を仕掛け、ドアへと逃げ出した! だがソンセットは「これだ!」と真相を暴く。

16.「樽の来歴」未発表

 ソンセットが休暇で村に行っていたときの話だ。ルル爺の家の前に、半ば地面に埋もれた古い樽があった。なかは澱んで雨水や汚れが溜まっていた。とても乾燥した時期で、あるとき隣人の牛がその樽の水を飲んでいた。ルル爺は棒で追い払ったが、牛はやって来る。ルル爺は隣人のピドフに、今度来たら撃つぞといった。ところがまた牛が来たのでルル爺は本当にライフルを持ち出し、ピドフと口論の末、相手を撃ってしまったのである。

 事態は悪い方向へ進みかけて、もしソンセットがその場にいなかったらルル爺は監獄行きだったろう。後日ソンセットは事件の意味を私に教えてくれた。いまその牛は樽から水を飲むことを許されている。樽の来歴に隠されていた秘密とは。

『13の秘密』のジョゼフ・ルボルニュが新聞記事から真相を推理する安楽椅子探偵だったのに対し、『13の謎』のG. 7は自ら現場へ出向く探偵だった。本シリーズのソンセットはG. 7タイプで、多くのエピソードはそのままG. 7ものに置き換えても通用すると思われるほどだ。

『13の秘密』『13の謎』『13の被告』が後に本名名義で刊行されたのに対し、本シリーズが未刊のまま終わったのは、それらに比べて各エピソードの枚数が少なかったからではないか。発表媒体が異なるためだろうが、本シリーズは事件編と解決編に分かれておらず一気にオチまで書かれている。

 それでも毎回魅力的な謎が提示されており、犯罪パズルとしてはまずまずの出来映えだと思う。[4]の次々とマッチの燃えさしを捨ててゆく男なんて、導入としてうまいではないか。[9][10][12]あたりはちゃんと面白い。

 もうひとつ未刊だった理由は、後の作品にモチーフやイメージがいくつも取り込まれたためではないか。たとえば[3]の“恐怖のフレド”のネーミングは『怪盗レトン』を、電話ボックスの使用例は『三文酒場』を想起させる。[5]は『メグレと深夜の十字路』や、かつて《探偵倶楽部》誌で『伯爵夫人殺人事件』の題で抄訳紹介された『サン・フィアクル殺人事件』にそっくりだ。[1]も(どのくらい実際に似ているのか未読で不明だが)後の《O探偵事務所事件簿》に「ラニーの囚れ人(不法監禁された男)」という近い題名の作品がある。

 他にも爆弾や幽霊船のように、シムノンらしい道具仕立ては随所に見られる。舞台もこの時期すでに馴染みとなりつつ場所が多いが、[9][15]でアメリカの盗賊を扱っているのも興味深い。見知った場所を活用し、そこへニグロやアジア人など神秘的なイメージと、アメリカに対する一種の憧憬を重ね合わせる。この時期の特徴がよく出ている。

 ソンセットがパリ警視庁 prèfecture 勤務だという設定にも注目したい。初期のメグレはその所属がどこなのか、いまひとつはっきりしなかったことは本連載で何度も指摘した。G. 7やソンセットがメグレの前身なのであれば、このころから探偵役の所属は揺れていたことになる。メグレはそうした曖昧なシムノンのイメージのなかから出発し、徐々に「司法警察局のメグレだ」と名乗るようキャラクターが固まっていったのである。

 本作もやはりペンネーム時代と本名時代を繋ぐミッシングリンクのひとつだった。“13”シリーズをより深く味わえるというお得感や発見の喜びもある。どこかでうっかり邦訳が出れば、意外と好評をもって迎えられるかもしれない。

 ミステリーのショートコント作品は一字一句を正確に理解しないといけないため、思いのほか読むのに体力と精神力を使うこととなった。一日三編も読むと、へとへとになってしまうのである。ペンネーム時代を取り上げるここ数回は、原稿を纏めるのにも本当に時間がかかる。予定の作品まで紹介が到達できなかったことをお詫び申し上げる。

【ジョルジュ・シムノン情報】

▼現代演劇の紹介カタログ《プロセニウム劇場L’avant-scène théâtre》2016/9/1号(1409号)に、シムノン原作の舞台劇『猫』の脚本等が特集掲載された。脚本=Christian Lyonクリスチャン・リオン、Blandine Stintzyブロンディン・スタンツィ、舞台監督=Didier Longディディエ・ロン(http://www.avantscenetheatre.com/catalogue/le-chat)。『猫』は以前にもジャン・ギャバンとシモーヌ・シニョレ主演で映画化されている(1971、本邦未公開だがギャバンは本作でベルリン国際映画賞銀熊賞を受賞)。

『世界の推理小説 傑作映画 DVD-BOX Vol.2』(ブロードウェイ、2017/1発売予定)に、なんとジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『モンパルナスの夜』が収録されるようだ。原作はシムノン『男の首』。フランス本国のみならず他国でも映像ソフト化されていなかったと思われるので、世界初の快挙か。いずれ単品でも販売されるであろう。しかし本当に発売されるまで何事も油断はできない。

▼1年前、L.M.L.R.社によるジャン・リシャール版のメグレTVドラマ『Maigret』DVD-BOX第7集(完結篇)の販売が Amazon.fr で告知され、ついにジャン・リシャール版がコンプリートできるのかと色めき立った。ところが発売日が告知から何と1年後の2016年10月18日に再設定されて驚愕した。私は予約して、どきどきしながらこの1年を待ち続けたものである。ところが10月18日を過ぎても発送されたとの連絡がない。L.M.L.R.社のウェブページはしばらく前から閉鎖されている( http://www.lmlr.fr )。ついに Amazon.fr から「この商品は発売中止となった」との連絡が来た……ああ、何ということだ! 悔しいので Amazon.f rの該当ページにリンクを張っておく( https://www.amazon.fr/dp/B012E9VFI0 )。なお fnac というフランスの販売サイトには1年前から本品の画像さえ掲載されているのだが、何度注文してもやはり決済されず商品は届かない……。ああ……。悔しいのでこちらにもリンクを張っておく( http://video.fnac.com/a8808532 )。

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。

 https://www.facebook.com/hsena17/

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