1960年代のミステリシーンを一言でくくると、スパイの時代といえるかもしれない。50年代から書き継がれてきた007シリーズは、映画『ドクター・ノオ』(1962)が大ヒット。これ以降、続々とスパイ映画がつくられていく。一方で、硬派のスパイ小説の代表格ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)も登場。米ソの冷戦状況を背景に、硬派スパイも軟派スパイもこぞって活躍する賑やかな状況だった。

 今月は、奇しくも60年代のスパイブームの影響下にある好一対のミステリが並んだ。いずれも、スパイ小説ではない。そして、スパイ物に寄せる皮肉な視線は共通している。

 コリン・ワトソン『浴室には誰もいない』(1962) は、英国の架空の港町、フラックスボローを舞台にしたパーブライト警部物の第三作目。二作目の紹介が飛ばされたのは、フラックスボローが舞台となっていないせいだろうか。

 先ごろ紹介された第一作『愚者たちの棺』では、その結末にあっけにとられたが、今でも笑いがこみあげてくる。遅効性の毒ならぬ、遅効性の笑いをもたらす一作だった。

 本書の幕開けは、四人の警官が一軒家から浴槽を運んでいくシーン。捜査の結果、死体を硫酸で溶かして下水に流した痕跡が発見されるが、家主のベリアムと間借人ホップジョイは揃って行方をくらましていた。

 ショッキングな死体なき殺人の捜査に当たるのは、パーブライト警部ほかの面々……のはずだったのだが、セールスマンを名乗っていたホップジョイは、実は政府の情報部員であり、ロス少佐ら二人の情報部員がロンドンから派遣されてきて、捜査は混戦模様に。

 ブラックスボローはそれなりに自足している田舎町。商工会の夜の会合で「近東における変則的商行為」なスライドが上映される(判りますよね?)ような俗な町で、ちょうど私やあなたの住んでいるような町だ。

 やってきた政府の情報部員は上から目線。事件の謎解きは、田舎警察VS政府の情報部員の構図となり、両者の捜査が交互に描かれるが、情報部員二人組の捜査がとにかくおかしい。田舎町の秘密を探るのに、世界を股にかけて磨いたスパイの技術も性的テクニックも、ことごとく場違い。この「牛刀をもって鶏を割く」というようなズレが笑いを呼ぶ。この辺のズレた感覚の笑いは、第12章で頂点に達し、田舎警察の警官と情報部員の二人組の会話は抱腹だ。情報部員の上滑りが、ことさらに笑いを追求するのでもなく、真顔で冗談をいう英国流アンダーステートメントの流儀で貫かれているのが嬉しい。結果として、スパイブームをおちょくりながら、返す刀で、俗で鈍重な田舎町の姿も浮き彫りにしているのは作者の意地悪な批評精神の賜物だろう。

 謎解きの面でも、狙いすました仕掛けが施されている。以前からある型とはいえ、登場人物たちの右往左往が迷彩となって、容易に狙うところを気づかせてくれない。謎が解決されることで、よりストーリー全体のおかしみが増し、ファルスとしての完成度が高まるのも本書の魅力。このシリーズ、ますます続刊が楽しみになってきた。

『緑の髪の娘』(1965) は、『国会議事堂の死体』(1958)の紹介のある、スタンリー・ハイランドの第二作。ハイランドは、下院の研究職司書として勤務の後、BBCに入局した放送人。残したミステリは三作にすぎず、小説の執筆は余技といってもいいだろう。『国会議事堂の死体』は、国会議事堂のミイラという特殊な設定と仕掛けで作者の謎解きマインドをうかがわせるには十分だったが、本作はがらりと趣向を変え、警察捜査小説の趣だ。

 イギリス北部、ヨークシャー州の小さな町ラッデン。毛織物工場でイタリアから出稼ぎに来ている若い女性工員の死体が発見される。彼女の髪と遺体は、染色桶の中で高温で茹でられ緑色に染まっていた。

『浴室には誰もいない』と同様、ショッキングな冒頭だが、地方都市、警察による捜査小説、乾いたユーモアという点でも似通っている。おまけに、本書でも、政府の情報局が絡んでくる。

 捜査に当たるのは、ラッデン警察署のサグデン警部以下。主要な活躍をするのは、トードフ刑事。ラッデン警部は頭は切れるが、デブの暴言吐きで、冒頭、トードフ刑事は警部が石段から転げ落ちればいいと小細工をするほどだ。警部のキャラクターは、本書の前年に『ドーヴァー1』で登場した史上最悪の探偵ドーヴァー警部を意識したものかもしれない。

 美人で奔放な娘殺しとあっては、警察の地道な捜査によって彼女の複数の交際相手が次第に浮かび上がり、彼女の秘められた肖像もまた明らかになっていくという展開が予想されるところ。ところがそうはならないのだ。彼女の交際相手の男5人は割合早い段階で、あっさり姿を現す。

 次なる殺人が起き、被害者の所有していたミステリ本から発見された暗号らしきものをきっかけに、事件は、思わぬ方向へ転がりはじめ、政府の情報部員も絡んでくる。そして、さらに、本書は、稀覯本にまつわる謎を追うビブリオミステリに変貌していくのだ。この意外なコード進行によるひねくれた展開は、なんとも型破り。

 途中で、驚きの殺人動機が示されるが、さらに、作者は、ひねる。さすがに最後は説明不足の感があるが、ひねくれミステリというサブジャンルがあるとすれば、本書はその収穫の一つだろう。 

 この作品にもスパイの時代の影響が色濃く落ちているが、それをどのように料理しているかも本書の見所の一つ。

 サグデン警部以下の面々のキャラクターや会話が魅力的で、単発でとどまらず、シリーズ物になっていればと惜しまれる。

 R.オースティン・フリーマン『オシリスの眼』(1911)は、シャーロック・ホームズ最大のライヴァルといわれるソーンダイク博士物の第二長編。ヴァン・ダインが長編ベスト7の一つに挙げるなど、フリーマンの代表作とみなされている。過去に翻訳があるが、本書は初の完訳という。1910年代初期の作品なのに、緻密な謎解きが展開されているのには唸らされる。

 エジプト学者べリンガムが忽然と姿を消してから二年が経過した。遺言状の条件をめぐり、相続人の間で争いが持ち上がっている中、各地でバラバラになった人骨が発見される。果たしてべリンガムは殺害されたのか。

 謎の失踪事件、各地で徐々に発見される手がかりという筋立ては、先月紹介したフリーマン『アンジェリーナ・フルードの謎』(1924)との類似を感じさせる。事件関係者に恋愛感情をもつ若い医者が主人公という点も共通する。『アンジェリーナ〜』が『オシリスの眼』の変奏ともいえるのだろう。

 物語は、主人公バークリー医師の学生時代の恩師ソーンダイク博士との出逢いから始まり、代診医の経験中、失踪したべリンガムの弟とその娘ルースと知り合うという形で展開する。エジプト学に精通したルースとの恋愛のエピソードが挟まれ、現代からすると、もったりと、よくいえば、悠揚迫らぬ調子で話は進行する。人骨の一部が各地から次々と発見され、さらに、故人の埋葬に関する奇矯な条件が付けられた遺言の検認に関わる裁判が中盤の見せ場になるなど、決定的な発見に至るまで事件に動きが生じ続けるので、失踪の謎に対する興味は持続する。

 極端に登場人物が少なく、真相は限られたものにならざるを得ないが、かなり大胆な力技が用いられている。真相もさることながら、博士の推理は説得力に富む。作中で、博士の科学的知識は存分に披露されるが、知識がなければ真相に到達できないものではないことは、新聞記事で失踪事件の概略を知った時点で、ほぼ博士が真相を手中にしていたことでも明らかだ。

「結論を得るには程遠い事実でも、十分積み重ねれば、決定的な総体になることも忘れてはいけないよ」バークリーに示唆したごとく、博士は緻密に手がかりを組み立てて、見破った真相を論証していく。これでもか、とばかり、真相に結び付く手がかりと推理を次々と開示していく迫力に満ちた終章は、時代はもちろん逆だが、クイーンばりですらある。エジプト学が単なるペダントリーに終わらず、プロットに密接に関わっている点も特筆すべきだろう。フェアな手がかりと推理による正統的謎解き小説の確立者としての、フリーマンの先駆性をまざまざと示す作品だ。

 レックス・スタウト『ネロ・ウルフの事件簿 アーチー・グッドウィン少佐編』は、論創海外ミステリ『黒い蘭』『ようこそ、死のパーティへ』に続く独自編纂のネロ・ウルフ中短編集の第三弾。二次大戦の戦時色が濃い四編が収録されている。巻末に作品リストが付いているが、原題だけで訳書の記載がないのはちと不親切だ。

「死にそこねた死体」の冒頭から、アーチーが陸軍省の少佐として登場するのに、まず驚かされる。アーチーは軍の最高幹部からの指令でNYのウルフ邸に戻ると、「人生最悪のショック」が待っていた。ウルフは何と美食もビールも絶ち、蘭の栽培にも興味を失い、ハドソン河岸でトレーニングにいそしんでいたのだ。ウルフは、一兵卒として従軍し、ドイツ兵を倒すことを夢想している。すっかり体形がしぼんでしまってアーチーのセーターを着ているウルフの姿が見もの。アーチーはウルフの頭脳を取り戻すべく奇策を講じる。二人が取り組むことになる事件も奇人揃いで風変りな事件だ。アーチーの恋人役(?)リリー・ローワンも登場。

「ブービートラップ」は、ウルフが頭脳を取り戻し、軍に協力するようになってからの事件。アーチーが勤務する軍情報部のNYオフィスで、大佐が手榴弾によって爆死する。アーチーが気を惹こうとする美人の軍曹の存在も面白いが、緊張感をもって進行する軍隊ミステリとしても貴重。トラップを仕掛けて捕らえた犯人に対するウルフの冷徹さが忘れ難い。「急募、身代わり(ターゲット)」は、命を狙われたウルフが身代わりの太った男を雇い、事務所で殺人未遂事件が発生する。「この世を去る前に」では、「闇市の王」に対する脅迫事件に端を発して、死体が積み上がり、ウルフの事務所にギャングが集結する終幕となる。

 ウルフの手助けをしていた探偵たちは前線でドイツ兵や日本兵と戦っており、配給制によりウルフの食欲を満たす肉は払底し闇市の王を頼みの綱とする……。そんな状況下でも、アーチーはウルフをうまく操縦し、丁々発止の掛け合いで関係者の間を泳ぎつつ、ウルフの頭脳で事件に決着をつけていく、いつものウルフ譚のテイストは、変わらない。本書は、名探偵と戦争との関わりを描いたという意味でもユニークな作品群と思う。ウルフ中短編集は、これで一応の区切りのようだが、願わくは続巻を。

 アガサ・クリスティーが一次大戦中、看護師として働いたことはよく知られるが、薬剤師の資格も1917年に取得し、二次大戦中も、調剤師としてボランティアで働いたという。今なお、ミステリの女王であり続けるクリスティーは、薬物の専門家でもあったのだ。それゆえ、クリスティーの作品では、デビュー作『スタイルズ荘の怪事件』を皮切りに、頻繁に毒物、毒殺が扱われる。

 キャサリン・ハーカップ『アガサ・クリスティーと14の毒薬』は、クリスティーの小説に登場する毒物を作品に即して概説した、サイエンス・コミュニケーターによる科学読み物。扱われるのは、A:砒素(アースニク)(『殺人は容易だ』)からV:ベロナール(『エッジウェア卿の死』)まで14種の毒物。

 著者は至るところで、クリスティーの毒物に関する知識の正確さや、巧みにプロットに織り込む腕前に賞賛を送っている。正直いって、化学の素養をもたない筆者では、毒物の人体への作用など眼がすべっていく部分もあったが、実際に毒物が使用された豊富な事例や多彩なエピソードを含む薬物講義は、概して興味深い。

 作品との関わりでは、実在の事件をモデルやヒントにしたものとして『マギンティ夫人は死んだ』『無実はさいなむ』などがあると知らされる。逆に、クリスティー作品が現実の事件に影響を及ぼしたと思われる事件もある。ある長編では、あまり知られていなかった毒物タリウムを殺人手段として用いたことで批判されたという。一方ではこの長編でタリウムについて知った読者が、現実の殺人を未然に防いだり、中毒に気づいて適切に処置した例が紹介されており、少なくともこの作品は、二人の命を救っていることになる。

 クリスティー作品の真相に触れざるを得ない部分は明示する配慮がされているが、それでも多少ネタばらし気味のところもあるので、ご注意を。巻末には、クリスティーの全長短編における殺人方法のリストが掲載されている。

 本書では、ほぼすべての毒物は、その痕跡を体内に残すことが明らかにされているので、完全殺人を諦めたい人にも好適だろう。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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