中国では2018年末を最後に紙媒体のミステリー専門誌がなくなってしまいました。そのことはこのコラムの「第53回:さよなら『推理』——中国で紙媒体のミステリー雑誌が全滅」でも触れましたが、自分自身も約10年ほど購入し、中国ミステリーに興味を持つきっかけとなった雑誌『推理』が休刊になるのは、一つの時代の終焉に居合わせたようでしみじみした気持ちになりました。それから約1年、中国で新たな紙媒体のミステリー専門誌が刊行されます。その名も『鋭閲読 推理』です。

『鋭閲読』とは数年前から学生向けにサスペンス、ホラーなどの月刊誌を売ってきた雑誌社のようで、ここに来てミステリー業界にも参入するということは、単に空いた席に座る以外の意味はないように感じますが、なにか勝算はあるのでしょうか。

 創刊号の7月号が出たばかりなので実物はまだ手元にはありませんが、この雑誌社の関係者が発表していた作品の募集要項を見ると、以下の誌面内容にするようです。①なにがしかの見どころがあり、登場人物のキャラが立っている新機軸のミステリー小説。②理論的な謎解きを中核とし、主人公が探偵や監察医、警察官、または捜査関係者をサポートして推理し、捜査する小説。③中華民国時代や古代を舞台にしたミステリー小説。④学園を舞台とし、学生の視点で書き、学生の気持ちや環境に合ったミステリー小説。⑤国内外の事件に対する自説を書いたコラム。

 新機軸のミステリー小説はともかく、警察ミステリー、歴史ミステリー、学園ミステリー、そしてコラムと、テーマは結構はっきりしています。肝心の執筆陣はというと、7月号の目次を見るかぎり私が知っている作家は、2018年に『半身偵探』という小説を出した暗布焼を除いて誰もいません。ただ、『三国演義』の情報戦を題材にしたミステリー小説『三国謀影』シリーズ(韓国語版あり)の作者・何慕は、この雑誌で『三国謀影』の番外編を掲載したいと言っており、中国ミステリー界隈で名の知れた作家が今後参加するかもしれません。また作品の発表の場が増えることは大変喜ばしいことであります。

 しかし、依然としてコロナ下にある中国で暮らしていると、紙媒体を出す意味を考えてしまいます。
 中国にはネット書店に対する「実体(リアル)書店」、電子書籍に対する「実体書」という概念があり、実際に行ける本屋や実際に手に取れる本の重要性がどんどん低くなっています。読書もだいたい電子書籍で済ませて、作者からサインをもらうためだけに紙の本を買う人もいます。

 毎年上海で開かれる本の祭典「上海ブックフェア」は、今年も8月に開催される予定です。しかし内容は例年と大きく異なるものになるでしょう。ブックフェアは中国の様々な出版社が出展し、来場者に向けて書籍の販売や紹介をするのが主な目的ですが、それ以上の目玉が国内外の有名作家によるサイン会です。過去には『三体』の劉慈欣や島田荘司ら有名作家が決められた時間内でサインをし続けるという苦行のようなイベントもあったフェアで、作家と読者との交流なんてほとんどないのですが、サイン目当てに中国各地から上海まで訪れる人々も少なくありません。
 しかし、世界規模のコロナ禍にあっては海外からのゲストが絶望的であるばかりか、中国国内から作家を招くのもかなりリスクが高いです。現在上海のコロナの危険レベルが高くなる可能性は小さいでしょうが、他地域にいる作家が暮らすエリアの危険度が高まることは十分考えられます。そうなれば作家は上海に行けなくなるかもしれません。そしてこのような状況では来場者も大幅に減少するでしょうし、主催側も会場で大勢の人が密集する状態をできるだけつくらないようにするでしょうから、かつての賑わいがなくなるのは必然です。
 だから今年はおそらくオンライントークイベントなどがメインになってくると思われますが、そこには現場でのサイン会などないでしょう。また中国のミステリー作家や読者はこの時期に上海で会って食事を一緒にするのが常なのですが、今年はそれも難しそうです。
 このように人と会うことが難しくなった今は、紙媒体ではなく電子書籍にこそ特典を付けなきゃ、本自体がますます読まれなくなるのではないでしょうか。

 ミステリー専門誌の創刊をそこまで熱心に応援できない理由の一つに、キオスクの閉鎖が上げられます。新聞や雑誌、その他生活雑貨を販売する北京のキオスクは、コロナの影響のせいか営業を停止し、今も再開する気配はありません。2018年に休刊となった『推理』もそうでしたが、この手の雑誌は一般の書店には置かれず、キオスクやネット通販で販売されます。北京の物流はコロナ前とほぼ同じ状況にまで回復していて、雑誌は注文してから1~2日で届くのですが、市場の一つであるキオスクが閉鎖していて、ネット通販がメインになっているなら、いっそ電子書籍に移行した方が良くないかと思います。

『推理』が紙媒体市場から撤退し、ネット配信のみになると聞いた時は寂しさを感じたものですが、いまの逆風状態を考えるとこれこそがベストの選択で、無理に紙媒体の雑誌を作る必要はなさそうです。

 しかしこんな状況になっても作家や出版社は活動を止めず、新刊は出ます。6月には、社会派ミステリー作家として有名な呼延雲の『掃鼠峰』が出る予定です。

 この本は、10年前に北京郊外で4人を殺害したとして逮捕され、懲役刑を言い渡された当時未成年の周立平が、出所後まもなく北京の掃鼠峰という場所で多くの死体が出てきた事件の容疑者になってしまうという内容で、冤罪をテーマにしています。
 呼延雲はもともと露出が多い作家で、新刊が出れば生活拠点の北京を中心にして様々な作家たちとのトークイベントに登場していました。それによって読者は作品や作者への理解をより深めることができ、またそのイベントが売り上げに貢献していたことでしょう。

「実体書」を売るのがより難しくなり、ひとたび感染者が多発すればイベントなどがすぐに中止となってしまう現在の中国で、今後の本の売り方が『鋭閲読 推理』の展開と上海ブックフェアの成功で分かるかもしれません。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


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