書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、四月・五月はこういうご時世なので更新をお休みしています。三月の動画はこちらです。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

北上次郎

『果てしなき輝きの果てに』リズ・ムーア/竹内要江訳

ハヤカワ・ミステリ

 素晴らしい。読み終えるのがもったいないという本は、年に一冊か2冊は
あるものだが、これはそういう本だ。
 姉妹小説である。ドラッグ小説である。家族小説である。警察小説である。ミステリーである。そして、そのすべてだ。
 幼い頃を回想するシーンはきらきらと光っていて、いまとの状況の
ギャップが哀しい。それがどんどん膨れ上がってくるから、息苦しくなる。いつ爆発するのかわからないほど、緊迫感が充満していくのだ。
 この物語がどこに着地するのか、おお、この先は何も書けない。

 

酒井貞道

『コックファイター』チャールズ・ウィルフォード/齋藤浩太訳

扶桑社ミステリー

 大勝利を収めるまで口を利かないと決意した、闘鶏家の物語である。
 ミステリめいた事件はほとんど起きない。にもかかわらず、ギャンブルと
一攫千金と、何より闘鶏という残酷な行為に魅入られた男の営みは、全てが完璧にノワールである。悪漢である。ピカレスクの空気が濃厚である。肉親を肉親とも思わず、長く待たせている恋人を恋人とも思わず、そして人を人とも思わず、主人公フランク・マンスフィールドは、ただひたすら闘鶏を追い求める。快楽におぼれているように見えて、闘鶏に対する姿勢が求道者めいているのが面白い。だが求道者めいているにもかかわらず、賭けている命は自分のものではなく鶏のもの、関心があるのは名誉だ。
 主人公は客観的に見て度し難い。だが決定的に魅力的でもある。彼の周りに不思議と人が集まっているのも、むべなるかなだ。こういう主人公は、なかなかお目にかからない。

 

川出正樹

『P分署捜査班 集結』マウリツィオ・デ・ジョバンニ/直良和美訳

創元推理文庫

 《特捜部Q》を始め、《オスロ警察殺人捜査課特別班》、『靄の旋律 国家刑事警察 特別捜査班』など、はみ出し部隊が一泡吹かせるスタイルの警察捜査小説に、また一つ魅力的なシリーズが加わった。しかもアントニオ・マンジーニ『汚れた雪』やイゴール・デ・アミーチス『七つの墓碑』等、新たな沃野として今年になってから翻訳が相次ぐイタリア発のミステリだ。

 シチリア出身で「土地勘も情報源もないハンデを持ちながら、論理を頼りに複雑怪奇な連続殺人事件の真相を解明し」ナポリ市警を救ったたために、逆に上司から煙たがられたロヤコーノ警部。市内で最も治安の悪い地区を管轄するP分署の刑事が不祥事を起こして馘首になった欠員を補充するために左遷された彼は、自分と同じように厄介払いされた一癖も二癖もある“ピッツォフアルコーネ署のろくでなし刑事”とチームを組んで難事件にあたる。

 帯に“21世紀の〈87分署〉シリーズ”と謳ってあるように、作者は同時進行する複数の事件にあたる個性豊かな男女の内面を、公私両面から情緒豊かに活写する。謎解きミステリとしても、冒頭からかなり大胆な仕掛けが施されていたことに解決編で気づかされ、思わず膝を打ってしまった。350ページ弱と最近の警察小説としては、コンパクトに纏められていて、手軽に読める点もグッド。これは買いですよ。

 

千街晶之

『ハーフムーン街の殺人』アレックス・リーヴ/満園真木訳

小学館文庫

 三月に刊行された本だが、遅ればせながら五月に読んで感銘を受けたので今回紹介させていただく。主人公は、女性の身体に生まれながら男性として生きる解剖医の助手レオ。唯一の理解者である娼婦マリアが変死体となって発見され、レオにも嫌疑がかけられる。マリアの仇を討つべく真相を探るレオの前にロンドンの裏社会と権力が立ちはだかる……。ヴィクトリア朝という時代の桎梏に苦しみながら事件を追うトランスジェンダーの主人公のキャラクター造型が印象的だし、真相も見え見えと思わせておいて案外ひねりが利いている。背景となる時代は一世紀ほど異なるものの、皆川博子『開かせていただき光栄です―DILATED TO MEET YOU―』と共通する要素もあるので読み比べるのも一興だろう。

 

霜月蒼

『コックファイター』チャールズ・ウィルフォード/齋藤浩太訳

扶桑社ミステリー

 まず何より7章がすばらしい。本筋から見るとやや脇道にもみえるパートだが、ここだけ抜粋して「ハム&エッグス」というタイトルで短編小説にしても奇妙な行動原理を抱えた男を主人公とした仄暗い音楽小説として成立すると思う。ここを読むだけでも本書を読む価値がある。

 さて奥付が5月だと思い込んで先月あげなかったら吉野さんにやられてしまったので簡単にいうと、「闘鶏の大勝負に臨む男の物語」。舞い散る鶏の血と羽毛の中で、勝利の栄光と敗北の屈辱が残酷に分かたれる――そこに賭ける男を描くウィルフォードの筆は、いつものようにそっけなく、同時にどこか病的な歪みを漂わせる。主人公は大勝負に向けて「沈黙の誓い」をたてていて、一言もしゃべらない。この奇怪な仕掛けのもたらすヒネくれ加減こそがウィルフォードの魅力で、それは『拾った女』のニューロティックな気配にも通じる。ストーリーを追う性急な読書ではなく、語り手の男の歪みに気持ちを添わせながら、ゆっくり読むべき一作。

 なお大変地味なお話ながら、『果てしなき輝きの果てに』も文芸寄りの読者におすすめしたい佳品でした。

 

吉野仁

『果てしなき輝きの果てに』リズ・ムーア/竹内要江訳

ハヤカワ・ミステリ

 この作品、女性警察官がヒロインをつとめるものの、犯人探しのサスペンスを軸にして展開する警察小説ではない。むしろ姉妹のやっかいな関係をめぐる家族小説、もしくは都会の底辺で生きる人間模様、その過去と現在を描くといった普通小説の面が強い。暗く重いが、それだけに読みごたえを感じた。そのほか、逆に痛快なのは、ライアン・ギャティス『血まみれ鉄拳ハイスクール』で、カンフーをはじめ武術や格闘技を身につけた高校生たちが死闘を繰りひろげる物語。香港の巨匠バリー・ウォン(王晶)制作監督によりすでに映画になってそうな世界ながら、「ゴッドファーザー」「仁義なき戦い」に代表されるマフィア(ヤクザ)抗争ものの学園版といったプロットをしっかり構築しているため、バカバカしさだけで終わっていない。スジャータ・マッシー『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち』は、20世紀初頭のインドにおける女性弁護士の活躍を描いたもの。ヒロインの個性だけでなく、1921年という時代、ボンベイとカルカッタという土地、ムスリムにパールシー(ゾロアスター教徒)など題材がみな興味深く、続編があるなら読みたい。

 

杉江松恋

『おれの眼を撃った男は死んだ』シャネル・ベンツ/高山真由美訳

東京創元社

 新刊予告で題名を見たときからなんだか気になる本だなあと思っていたのだが巻頭の「よくある西部の物語」を読んでがつんと心を持っていかれてしまい、もうその瞬間に5月のお薦めはこれ、これしかないだろうよと決めていた。「よくある西部の物語」はО・ヘンリー賞を獲得した短篇で、まだアメリカの法整備が未成熟だった南北戦争前に時代が設定されている。語り手は両親が死んだためにおじに引き取られた少女、ラヴィーニア。親戚とはいえどひどい扱いで、いやらしいいとこのガキは毎晩彼女のベッドに忍んでくる。虐待を受けているのだ。そこにふらりと現れたのは、家を出て無法者になった兄のジャクソンだ。一目で見て悪党とわかる風貌。しかしラヴィーニアはジャクソンと行くことを決意する。彼女を行かせまいとしていとこが邪魔をしようとするがジャクソンは妹を待たせておいて、部屋の扉を閉める。何が起きるか、もうおわかりですね。昨年の『拳銃使いの娘』に似て、もっと残酷な、切ない状況が描かれる。『拳銃使いの娘』+『ひとり旅立つ少年よ』というのはちょっと印象をミスリードしすぎなのだが、だいたい合っているから仕方ない。しかし「よくある西部の物語」は不可避の運命に向けて突き進んでいく話であり、エンターテインメント的なカタルシスとは無縁だからご用心。あとは自己責任で読んでいただきたい。シャネル・ベンツは時制の混乱や情報の遅延など、障壁を繰り出して読者のページをめくる手を止め、その停滞する時間に自分の頭を使って考えさせるように心を掴む場面を挿入してくる。女性があたりまえのように虐げられた時代の物語が多いことには意味があるし、クソ男はいつの時代でも同じようにクソだよねと納得させられる人物配置になっていることにも意味がある。残酷な結末にももちろん意味がある。ベストオブ胸糞は人種差別と男様の傲慢を同時に描くという偉業を達成した「オリンダ・トマスの人生における非凡な出来事の奇妙な記録」だな。あと「おれの眼を撃った男は死んだ」という題名の短篇は収録されていなくて「死を悼む人々」に登場する娼館経営のクソ親父の台詞なのだが、この短篇もぜひ読むべきだ。というか一篇でも読んだら全篇絶対に読みたくなるはずだし、そうならないとしたらちょっと驚きである。年間を通じてベストになる可能性の高い短篇集であり、よほど他に読むべき本がたまっていない限りはこれを手に取るべきだ。とにかく私は心を持ってかれた。持ってかれてもらいたい。

刊行時期の混乱もあって、新旧の本が入り混じった五月でした。コロナウイルス流行がはやく一段落して、心穏やかに本が読めるようになることを祈ります。来月、またお会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧