みなさま、こんにちは。

 翻訳ミステリー読者賞の投票がはじまりました。もう春ですね。

 翻訳者のみなさまは、もちろん翻訳ミステリー大賞の本投票のほうもお忘れなく〜。

 では、あっというまに過ぎ去ってしまった(個人の感想です)二月の読書日記です。

■2月×日

 殺し屋たちが血で血を洗う痛快アクション・スリラー、クリス・ホルムの『殺し屋を殺せ』を読む。アンソニー賞最優秀長編賞を受賞してるのに、まったくのノーマークでした。正直こんなにおもしろいとは思わなかった。田口師匠、ごめんなさい!

 元特殊部隊員のマイクル・ヘンドリクスは、殺し屋専門の殺し屋。その殺し屋がターゲットとする人物に接触し、大金の報酬と交換にその人物をねらう殺し屋を殺す。請負ではなく、自分から持ちかけることがポイントで、相手がなかなか信用してくれずに難儀することもあるが、殺しの腕は一流。しかも、あやしまれないように、どの殺しもまったくちがう手口で行うという、殺しのスペシャリスト、いやむしろアーティストだ。

 殺し屋を殺す殺し屋。

 その殺し屋を殺すために雇われる殺し屋。

 期待度MAX、これでもうつかみはOK。彼が殺し屋をねらうのは、「神と国の名において手を汚してきた行為をとことん嫌悪し」、「自分の手で奪ってきた命より多い命を救うこと」を願っているから。そのあたりの心理がすごく共感できる。彼がやっていることはいわゆる世直しで、かつては軍人として人を殺すことをなりわいとしていたこともあり、まさに必殺仕事人なのだ。

 ヘンドリクスをねらうフリーの殺し屋アレグザンダー・エンゲルマン、ヘンドリクスの存在に気づき、「ゴースト」と名付けてその謎の行動を追うFBI特別捜査官シャーロット(チャーリー)・トンプソン、ヘンドリクスの片腕ともいうべき最愛の相棒レスター・マイヤーズら、それぞれに個性的なキャラクターの活躍からも目が離せない。

 原題にもなっている「キリング・カインド」、生まれながらの人殺し族として自分を認識するヘンドリクスが、その罪滅ぼしのように悪を抹殺しようとするのはすごく納得できるし、すがすがしいとさえ思う。冷血な殺し屋なのにびっくりするくらいナイーブで、そのギャップがまたいいんだよね。殺しの技術に対する絶対の自信を持ち、敵にしたら怖いけど、味方になってくれるならこれほどの安心はないというスーパー・ヒーロー。なんかちょっとリー・チャイルドのジャック・リーチャーみたい。盛大にハラハラさせられるけど、読み終わったあとはこれまた盛大にスカッとする作品だ。シリーズものだというのも超うれしい。

■2月×日

 読書をしながらリアルな恐怖体験をしたいなら、ブライアン・エヴンソンの『ウインドアイ』がお勧めだ。『遁走状態』につづく最新短編集で、知覚や認識の喪失や混乱をテーマにした25の短編を収録している。

 前作もなかなかだったが、『ウインドアイ』はさらに不穏で、滑稽さを楽しむどころか、不気味さよりも恐怖が先行して、脳がフリーズするという珍しい体験をした。普通の怖さではなく、病気や災害によって恐慌に陥った当事者の立場で描かれているため、自分もそうなる可能性があるのだという切実な恐怖に襲われ、恐怖や痛みや混乱や孤独や絶望をものすごくリアルに感じてしまうのだ。よっぽど途中で読むのをやめようかと思った。肉体的・精神的に余裕のあるときなら大丈夫だと思うけど……

 謝辞を読むと、実際、エヴンソンが描いている「知覚の喪失と変容」は、彼自身が「病気相手にくり広げていた闘いを反映している」のだということがわかる。だからこんなに真に迫っているのだ。

 文章の独特さ、「すわりの悪さ」には、訳者の柴田元幸氏も苦労されたようだ。エヴンソンの作品の魅力は「世界の認識の仕方が周りと微妙に——あるいは大いに——ずれていたり、そもそも世界をどう認識するのかをめぐって危機的な状況に陥っていたりする人間を内側から描き、その状況と人間両方の薄気味悪さ、見事にぶれた文章を通してほとんど肉体的に読者にも体験させる力強さ」であると訳者あとがきに書かれている。そうか、これだ。肉体的に体験させられてしまったから、こんなに脳に負荷がかかるのだ。納得。やっぱり文章の力ってすごいなあ。もちろん、柴田さんの訳文も。

■2月×日

 なぜか読むまで北欧ミステリだと思いこんでいた、ベルナール・ミニエの『氷結』。実はフランスミステリなのね。雪深いピレネー山麓の町で事件が起こるので、たしかに北欧ばりに寒そうだけど。

 ピレネー山中の水力発電所で発見された首なし死体。現場に急行したフランス司法警察のマルタン・セルヴァズ警部は、死体が実は馬だと知らされて、拍子抜けする。だが、それは発電所所有者で大富豪のエリック・ロンバールの愛馬だった。怨恨が原因かもしれないと考え、女性憲兵隊大尉イレーヌ・ジーグラーと組んで捜査に取りかかるセルヴァズ。やがて、現場で現在収監中の猟奇殺人鬼のDNAが採取され、さらなる猟奇的殺人事件が起こる。

 一方、スイスからピレネーの人里離れたヴァルニエ精神医療研究所にやってきた心理学者のディアーヌは、研究所の職員たちのあやしい行動に気づく。そこは「入院して治療するには暴力的すぎる、あるいは症状が重く刑務所では治療が見込めない受刑者、裁判で責任能力がないと判断された殺人犯」らを収容する施設だった。

 セルヴァズとディアーヌ、それぞれの視点で交互に物語が展開していき、ふたりがいずれ出会うのはわかっているのだが、なかなか出会わないのがスリリング。前半の遅々とした捜査とは対照的に、後半は怒涛の追い上げ(?)。すごい勢いで意外な展開になるので油断するな! 次々とピースがはまっていくおもしろさは一級品だ。

 セルヴァズのキャラもなかなか渋くていい。もうすぐ四十歳のバツイチ独身で、前妻のもとに十七歳の娘がひとり。クラシック音楽を好みラテン語がつい出てしまう、というとえらくスノッブな感じだけど、現場主義のたたき上げで、若い部下から慕われている。高所恐怖症や馬恐怖症など、けっこう弱点も多いし、相棒、娘、部下の妻など、女性に翻弄されがちだけど、そこがまた人間的。

 本書は著者が五十一歳のときに書いたというデビュー作。発売と同時にベストセラーとなり、コニャック・ミステリ大賞はじめ数々の賞を受賞、ドラマ化もされているという。セルヴァズを主人公にした作品はこのあとも書かれており、また楽しみなシリーズが増えた。気になる謎も残されているし。

■2月×日

 ジュリー・ベリーの『聖エセルドレダ女学院の殺人』の舞台は、一八九〇年のイギリス東部の町、ケンブリッジシャー州イーリー。イーリーといえば、ジム・ケリーの〈新聞記者ドライデン〉シリーズ(『水時計』『火焔の鎖』『逆さの骨』)の舞台じゃないですか! そういえばイーリー大聖堂とか、沼沢地についてもちょこっと出てきます。

 著者あとがきによると、アメリカ人のジュリー・ベリーは、ヨーロッパ旅行中に訪れたイーリーの町に惚れこみ、イーリー大聖堂が崇める乙女の守護聖人が聖エセルドレダということもあって、「利発で友情に厚くスキャンダラスな姉妹のような少女たちの一団についてのストーリー」が誕生したんだとか。

 十代の少女七人が学ぶ寄宿学校、聖エセルドレダ女学院(以下「エセ女」にしようかと思ったけど、なんかちがう意味にとれそうなので却下)で、女性校長とその弟が夕食中に死亡する。たいへん、わたしたち、親元に帰されちゃうんじゃないの? そんなの超困るんですけど! 姉妹のような友人たちと離れ離れになるなんていや! ていうか、これ殺人だよね? きゃー、だれか来た! とりあえず、早く死体隠して!

 という具合にはじまるんだけど、お嬢さんがた、超ピンチのわりに意外に冷静。そう、この作品の魅力は、この七人の少女たちのキャラが立っていることなのだ。

 人呼んで、機転のキティ。奔放すぎるメリー・ジェーン。愛すべきロバータ。ぼんやりマーサ。たくましいアリス。陰気なエリナ。あばたのルイーズ。キャッチフレースとしてはちょっとかわいそうなものもあるけど、大矢博子氏の解説にあるように、まさに戦隊ヒーローもののよう(女子なのでセーラームーン的な?)。リーダー格のキティは作戦を立て、メリー・ジェーンは殿方を籠絡して情報収集、アリスはエリナのメイクで校長に化けて周囲の眼をごまかす。それぞれに得意分野があって、活躍の場が与えられているのがいい感じ。最年少の十二歳で探偵役のルイーズは、急ごしらえの科学実験室で毒物を検出したりして、なんとなくアラン・ブラッドリーの少女探偵フレーヴィアを思わせます。

 ところで、聖エセルドレダ女学院は、実は花嫁学校らしい。リース・ボウエンの〈英国王妃の事件ファイル〉シリーズのヒロイン、貧乏お嬢さまジョージーも、たしかスイスの花嫁学校出身だったと思うけど、あちらは貴族や上流階級の子女が社交界デビューまえに貴婦人になるためのレッスンの仕上げをする場所という感じで、セレブな印象。一方、聖エセルドレダ女学院は生徒がたったの七人、女性校長ひとりがすべての教科を教えているようで、かなり小規模、かつ、花嫁学校というよりは「ちょっとワケありなお嬢さんを預かる寄宿学校」っぽい。だって、「〜すぎる」お嬢さんが多いんだもん。でも、彼女たちの結束の堅さには、読んでいて胸が熱くなる。やっぱり女子ミスっていいな。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)

英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。もうすぐバックレイの〈秘密のお料理代行〉シリーズ第二弾『真冬のマカロニチーズは大問題!』が出ます。よろしく!

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