書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
さてさて書評七福神である。いきなり脇道に逸れる宣伝で恐縮なのだが、本のサイトbookaholicにおいて二分の七福神である川出正樹氏と杉江松恋が、その月に読んで最もおもしろかった翻訳小説(ミステリー以外の場合もあり)を三作ずつ紹介するという対談をしており、その模様をpodcastで配信しているのである(最新版はこちら)。通学・通勤のお供にダウンロードをして聴いていただければ幸い。こちらの連載との被りなども予想していただければおもしろいと思います。
というわけで本題だ。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
霜月蒼
『悪魔の星』ジョー・ネスボ/戸田裕之訳
集英社文庫
ネスボがマイクル・コナリーに肩を並べた!と思わせる力作。ゲームっぽい挑戦をしてよこすサイコキラーの話は死ぬほどあっても、本作のように「ゲーム」がちゃんとゲームとして機能して、手がかりの誤読やミスディレクションがきちんと仕込まれているのは他にディーヴァーやコナリーくらいでしょう。コナリー作品同様、本作後半の捜査はミステリ的な驚きの連続によって進展してゆくのである。
主人公の刑事ハリー・ホーレのキャラ造型は明らかにコナリーのハリー・ボッシュへのオマージュであるのだが、本作でのホーレの荒れ具合はボッシュを超える凄絶さであり、そのノワール的なデスペレーションが終盤3分の1の孤軍奮闘のスリルを増幅している。敵役の悪徳刑事にダドリー・スミスや『パーソン・オブ・インタレスト』の「HR」の親玉を思わせる貫禄があるあたりも、ノワール的な重たさになっていてイイ。
ということで個人的には既訳のネスボ作品でベスト。とくにマイクル・コナリー・ファンは前作『ネメシス』と合わせて必読でしょう。
吉野仁
『青鉛筆の女』ゴードン・マカルパイン/古賀弥生訳
創元推理文庫
昨年、L・P・デイヴィス『虚構の男』、フェデリコ・アシャット『ラスト・ウェイ・アウト』など、読み手を迷宮へと誘い込んだのち、はるか異次元へといざなう奇想ミステリが話題となった。ならば今年はこれだ。大戦中に日系アメリカ人作家が便箋に書いた探偵小説、その担当編集者の手紙、そして超人スパイが活躍するパルプスリラー『オーキッドと秘密工作員』。この三つが順番に紹介されていくことで、トランプ大統領が就任したアメリカの現在にも通じる深い深いテーマが浮かび上がってくる。架空の小説のなかで敵味方、善悪などが入れ替わったり、メタファーが小説のなかでリアルなものとなったりすることで、物語には書かれていない外側の状況や強い現実が立ち上がってくるのだ。いずれの話も難解ではないのに幻惑されっぱなし。いや、なにはともあれ、お読みあれ。
北上次郎
『処刑の丘』ティモ・サンドベリ/古市真由美訳
東京創元社
世界史に無知な私は、1917年にフィンランドで内戦が勃発したことを本書で初めて知った。それは「ヨーロッパでもっとも悲惨な内戦」と言われているんだそうだ。本書は、その爪痕が残る1920年のフィンランド南部の都市ラハティを舞台にした警察小説である。内戦の勝者はドイツの軍事力を後ろ楯にした勢力で、その一派が絶対的な権力を握る社会で、あくまでも公正な警察官であろうとする刑事オッツォ・ケッキの地道な捜査を静かに描いていく。うまい。
酒井貞道
『青鉛筆の女』ゴードン・マカルパイン/古賀弥生訳
創元推理文庫
トランプ政権が誕生した年に、第二次世界大戦中のアメリカにおける日系人強制収容を題材にした作品を読むのは、なかなかに味わい深いものがあるが、それを度外視しても、本書は非常に野心的なメタ・フィクションである。編集者の指示、それに不承不承(?)従った修正稿、そして修正によって物語から弾き出された登場人物たちの不可思議な体験。前二者は、書き手(編集者と作家志望の若者)の本音が明記されておらず、行間を読む能力が必要だが、ミステリ読者はそういうのが得意に違いなく、ミステリとして本書を発表したのは成功だと思う。そして、消された登場人物たちのパートは、当時隔離された日系人たち(および、虐げられる全ての人々)の暗喩のように働いて、これまた面白く読める。メタ・フィクションの新たな地平を開く逸品であろう。
川出正樹
『処刑の丘』ティモ・サンドベリ/古市真由美訳
東京創元社
ミステリ史上類を見ない手がかりから犯人を指摘する本格ミステリとして、連続殺人犯を追い詰める警察捜査小説として抜群に面白いジョー・ネスボ『悪魔の星』(集英社文庫)も、第二次世界大戦開戦中という時代設定と、書籍と原稿と手紙の三重構成が必然性を持って融合した超絶技巧のゴードン・マカルパイン『青鉛筆の女』(創元推理文庫)もお薦めですが、今回の一押しは〈推理の糸口賞〉を受賞したティモ・サンドベリの『処刑の丘』。
1917年にロシア革命の混乱に乗じて独立したものの血みどろの内戦状態に陥ったフィンランド。かつて赤衛隊と白衛隊が激戦を繰りひろげたラハティにある〈黒が丘〉(ムスタマキ)と呼ばれる虐殺の地で、1923年7月の深夜、一人の青年が処刑された。
酒の密売絡みの内輪もめとして処理する白衛隊支持者が支配的な警察にあって、赤・白いずれにも与しない異端者・ケッキ巡査は、公正な捜査を行うべく孤軍奮闘する。
「世界が大きなサウナだったらいいのに」「そこでは誰もが地位や身分を示すものを脱ぎ捨て、みんな平等になる」と述懐する公共サウナのマッサージ師ヒルダを始め、孤独を愛する思索家と社会的な道化という二面性を持つ陽気な汚物汲み取り業者の男、理想的な社会の実現を夢みる工場労者の若者、革命ロシアから逃れてきた薄幸の美女など、内線終結後の苛酷な社会にあって、たくましく生きる普通の人々の言動は、時代を超えて読むものの心に一つ一つしみてくる。よい本を読んだとしみじみ思う。そして読後、サウナに入りたくなりました。
千街晶之
『青鉛筆の女』ゴードン・マカルパイン/古賀弥生訳
創元推理文庫
ジョー・ネスボにD・M・ディヴァインにジャック・ルーボーと、二月もいろいろと豊作であったが、最も好みに合ったのは本書。日系人青年によって書かれた不思議な小説、一九四五年に発表されたパルプ・スリラー、そして編集者からの手紙という三種類のテキストが交互に読者の前に現れる。背景となっているのは太平洋戦争だが、これらのテキストの行間から読み取れるのは、苛酷な時代において、自分の望む通りの小説を書こうとした者とそれをねじ曲げようとする者とのもうひとつの「戦争」に他ならない。そして結末に至って、この二つの戦争に運命を狂わされ、しかし必死で抗ったひとりの人間の誇り高くも哀しい肖像が浮かび上がるようになっているのだ。トリッキーな技巧と哀感溢れる余韻の融合という点で、ビル・S・バリンジャーの名作『歯と爪』を連想した。
杉江松恋
『凍てつく街角』ミケール・カッツ・クレフェルト/長谷川圭訳
ハヤカワ・ミステリ
本邦初訳のデンマーク作家である。この本に興味を惹かれたきっかけはエピグラフで、ダリル・ホールの歌から採られているのだ。なにゆえダリル・ホールなのか、と訝しみながら読んでいたら序盤で、主人公の刑事がバーのジュークボックスに彼の曲を延々掛け続けることに激怒した他の客と大喧嘩になる場面があって納得した。主人公にとってはダリル・ホールが悲しい記憶の引き金になるのである。まあ、それでもなぜダリル・ホールなのか、という疑問自体は残るわけなのだが。
こうやって書くとコミック・ノヴェルっぽく見えると思うので急いで訂正する。『凍てつく街角』は少しもコミカルな展開がない小説で、個々のパーツを見ると凄惨としか言いようがない。女性を拉致しては剥製にして捨てる殺人鬼、ボーイフレンドに売り飛ばされて売春を強制されるリトアニア出身の女性、妻を強盗に殺されて以来酒浸りの生活から抜けられなくなっている刑事と、これだけ厭な部品を良くも揃えた、と言いたくなるような三つの柱で本作は構成されているのである。だが、すこぶる読みやすい。主人公が個人的な依頼としてリトアニア女性の捜索を請け負って行方を追い始める話が物語を牽引し、殺人鬼と女性の手記とが同時進行で進んでいく。その要素の掛け合わせ方に芸があるのだ。万人受けするような内容ではないし、特に女性読者には辛い記述も多い。だが、スリラーとしては非常に出来がいいのである。作者の腕を認めざるを得ない。
今月は北欧月間というべきで、ノルウェーからジョー・ネスボ『悪魔の星』、フィンランドからティモ・サンドベリ『処刑の丘』が紹介され、かつスウェーデンを代表する犯罪小説作家チームであったアンデシュ・ルースルンド&ベルエ・ヘルストレム『制裁』が復刊されるなど話題も豊富だった(ちなみに『制裁』は、ランダムハウス講談社文庫版に加筆修正のある別バージョンらしいのでご注意を)。これでアイスランド作品が出てたらえらいことになっていた。おまけの話題として付け加えると、懐かしやドイツ系スイス作家『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』が刊行されている。ジャンル小説ではないが、ミステリー好きの人が読むと絶対に楽しめる逸品である。こちらもお忘れなく。
予想通り北欧勢の名前が挙がることが多かった二月だった。寒いからかしらん。次はどんな作品が紹介されることか。三月の書評七福神にもご期待ください。(杉)