シリーズ6作目 “One of Our Thursday is Missing” がこれまでの5作と大きく異なる点は、何と言っても語り手が本物のサーズデイではなくて「書かれた」サーズデイであるところ。これまでの登場人物たちもずいぶんと姿を見せるのですが、「実はあれは本の中の役名で、本名は……」とか、「あれは『書かれた』僕で本当の僕じゃない」とか「こっちは代役、本物はわたし」とか、もう、気をつけて読んでいないとなにがなにやら誰が誰やら。

 「書かれた」サーズデイ(サーズデイ5)は、「本物」のサーズデイからサーズデイ・シリーズの管理を任されています。乱暴で不道徳なサーズデイ1〜4のイメージをなくし、セックスと暴力に依存する路線からの転換を図るように言われているのですが、実はそんなサーズデイだったからこそ人気があったわけで、いまや絶版に。時空を超えてやってきたサーズデイ父(こちらもあくまでも「シリーズでサーズデイの父親を演じている人」)にまで文句を言われる始末です。

 シリーズ本管理のかたわら、文学内務保安機関(ジュリスフィクション)の事故捜査部門で働いているサーズデイ5は、空を行き来する本たちから断片が落ちてくるという事象について調査していました。本作の冒頭でブックワールドの再編成が行われ、世界は球体の「内側」に張り付いたような形になっていて、人や本の行き来が頭上で行われるようになっているのです。サーズデイ5はブックワールドにおける実質ナンバー2の権力者レッド・へリング(本作には修辞法用語がたくさん出てきます)から呼び出され、路面電車でジャンル超えをしながら彼の元に向かいます。ブックワールドでは再編成のおかげで登場人物たちのジャンル間移動が容易になる分、秩序も乱れがちなため、「チェックの服を着た男」たちが監視活動を行なっており、サーズデイ5の隣に座っていた赤い髪の紳士(「犯罪」ジャンルから来た人物)も彼らに連れ去られてしまいます。その紳士がサーズデイ5に告げたのは「本物のサーズデイが行方不明だ」ということと、「自分以外信じるな」ということ。そしていつのまにかサーズデイ5のポケットに、本物のサーズデイの証となる文学内務保安機関保安員証を滑り込ませていったのです。

 その後、不要だからと石投げの標的にされるところだったゼンマイ仕掛けのロボット執事、スプロケットを助けたサーズデイ5は、この忠実な執事の手を借りて、本物のサーズデイの行方を探し始めます。再編成後のブックワールドではジャンル間の対立が激化し、その和平協議の席に本物のサーズデイが着かなければ事態の好転が見込めないからです。本物のサーズデイの証となる保安員証を手に、本物のサーズデイのふりをしながら調べを進めていくうちに、サーズデイ5は大きな陰謀の存在と、本物のサーズデイがそれに巻き込まれてしまったらしいことに気づくのです……。

 今回は語り手が「書かれた」サーズデイということで、舞台は基本的にブックワールドとなっています。物語とはブックワールドの人々が登場人物を「演じて」いて、読者が本を読む間だけ、読んでいるページの出来事を演じているものなのです。たとえばあの憎っくきアシュロン・ヘイディーズは、実は切手集めが趣味のへっぽこ詩人だったりするのです(一方バーサ・ロチェスターはあっちの世界でもこっちの世界でも本当に頭がおかしく、アシュロンの妹エイオーニスはやっぱり極悪人だったりします)。人気のない本はジャンルから追われ、登場人物たちは新たな役を探してオーディションを受けます。その一方で、ブックワールドでの生活が忙しければ代役も立てます。たとえばサーズデイ5が本物のサーズデイを探して忙しくしているあいだ、人気のない本の登場人物であるカーマインがサーズデイ5の代役を務めます。

 ブックワールドの住人は、生きるべき人生があらかじめ決まってしまっています。サーズデイ5はサーズデイですから、ランデンを愛し、子どもたちを愛しています。でもランデンも子どもたちも決して自分のものにはなりません。本物のサーズデイのものだからです。それでもブックワールドで恋人を作ろうとすると、ランデンに対して後ろめたさを感じてしまいます。サーズデイ5は、前作で本物のサーズデイの期待に応えられなかったという自責の念もあり、自身が本物のサーズデイに好かれていないという思いを抱えています。だからこそ本物のサーズデイに言われたとおり、シリーズのイメージ改善にも必死に取り組むのですが、ほかの登場人物たちは勝手ばかりで、しまいには登場人物全員でサーズデイ5を囲み、お前はリーダーを辞めろ、代役のカーマインの方がよっぽどうまくシリーズを運営している、と攻め立てます。事件の捜査にあたっても、相手によっては自分が「書かれた」サーズデイであることを明かすのですが、その途端に相手の態度が変わって(がっかりされる、軽く扱われる)しまいます。このサーズデイ5の立ち位置が本当に切ない。わたしは個人的にはおとなしい理性的なサーズデイ5がほかのどのサーズデイよりも好きなので、胸がいっぱいになってしまいました。

 そんなサーズデイ5を助けるのがゼンマイ執事スプロケット。彼の感情を表すしくみは右眉の動きだけなのですが、それでもたくさんの想いをサーズデイ5と分かちあい、前進していきます。いつもの疾風怒濤的展開のなかにも、これまでの作品とはちょっと違うほろ苦い味わいを堪能できる作品です。

 個人的に嬉しかったのは、イギリスの桂冠詩人テニソンの詩 “The Lady of Shalott”(シャロットの女)の章があったこと。学生時代に暗唱させられたおかげでン十年後のいまも忘れず、地の文がいつのまにか「シャロットの女」にすり替わっていく、文学パロディー本ならではの妙味を味わうことができました。この詩では、女(姫)は直接窓の外を見ると死ぬという呪いをかけられていて、鏡越しの世界しか見ることができないのですが、本作中ではこの鏡さえあればどこでもなんでも見られるという設定になっていて、サーズデイ5はこの鏡を借りて本物のサーズデイの自宅の様子を探ります。そして目に涙を浮かべるランデンの姿に、本物のサーズデイが和平協議を前に失踪してしまったことを確信するのでした。

 それにしてもありとあらゆる登場人物(ドードーなど動物含む)の本物と偽物が入り乱れての400数ページ、頭が疲れましたー! ああ、心から日本語で読みたい!

遠藤裕子 (えんどうゆうこ)

多摩地区で柴犬2匹とのんびり暮らす翻訳者。好きなものは珈琲、絵画鑑賞、幻想・怪奇文学、ヒストリカル(19世紀末あたりが舞台だとなおよし)ミステリー、サイレント時代の映画、昭和歌謡、古い洋楽、ハワイのダカイン・ミュージック。最新訳書は『世界シネマ大事典』(三省堂)。

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