「街」が主なキャラクターのひとつになっているミステリは応援したくなる。チェーン店は安心するけれど、どこに行っても同じ顔ぶれはちょっとつまらない。その場所ならではの風景が見たい、ストーリーを知りたい。そんな気持ちにこたえてくれるグラスゴーを舞台とした “Edge of the Grave”(2021)をご紹介します。

 1932年のグラスゴーはストリートギャングが跋扈して荒れに荒れていた。グレグホーン警部と相棒のマクデイド部長刑事は、通報を受け、そんなギャングのひとりの自宅にやってきた。戦争帰りの強者のふたりでも言葉をなくす現場だ。深酒で理性をなくしたギャングは妻を瀕死の目にあわせ、6歳の自分の息子を鉄製の調理ストーブに繰り返し叩きつけて殺害し、逃亡していた。ギャング関連の事件では目撃者たちは報復をおそれて口をつぐむものだが、妻の友人という同じアパートの住民は怒りを露わにして話してくれた。かつて妻が実の兄と関係を持っていたという噂があり、その噂を同じ〈ビリー・ボーイズ〉ギャング団の者が教え、お前の息子も本当はその兄の子じゃないかと根も葉もないことを吹きこんで疑念を抱かせたのだと。
 グラスゴーは貧しかった。かつて一大帝国を築いた造船業も、化学産業も織物業も鋼鉄業も世界のライバルたちの登場で翳りを見せ、先の大戦の影を引きずっていた。失業率も高く、住宅事情は劣悪で、子供たちが男女の区別なくいつまでも同じベッドで休んで噂が立つこともあった。とどめはこの世界恐慌で、イギリスのなかでも人口の多いこの街はまともに煽りをくらっている。プロテスタントvsカトリックという大きな構図があり、それぞれが多数のギャング団を擁し、しかも縄張りが道を一本渡ればプロテスタント、次の一本を渡ればカトリックと入り乱れて安心して街を歩けない。〈ビリー・ボーイズ〉はプロテスタントの最大勢力で、そのトップはビリー・ハンター。グレグホーン警部は彼の弟と同級生で、弟にはナイフを突きつけられ女子たちの前で漏らして笑いものにされる屈辱を味わったことがある。その弟はグレグホーン警部と同じく少年兵としてソンムの戦いに送られ、同じ戦闘壕のなかで爆死した。
 元造船業勤務でボクサーめざして訓練したこともあるグレグホーン警部は、グラスゴー警察でカトリックとして初の警部となった。同僚たちからの風当たりはきつい。腐った街を立て直すために、シェフィールド警察から引き抜かれた「よそ者」のイングランド人、シリトー警察本部長は、特別機動隊を組織し、署内の腕に覚えのある者たちを集めた。小柄なグレグホーンとパートナーを組ませたのは、スカイ島出身で1924年のパリ・オリンピックのレスリングで銅メダルを獲っている署内一の大男のマクデイド部長刑事だ。このコンビはギャングたちから疎まれる存在となり、マスコミは特別機動隊を「タータン・アンタッチャブル」と表現した。
 グレグホーン警部は息子殺しの容疑者の隠れ場所をギャング団トップのジミー・ハンターから聞きだそうとして、意外な交換条件を持ちだされる。そんなとき、クライド川から有力者の身内の遺体があがった。グレグホーン警部のかつての恋人アイラの夫だ。

 デビュー作と書いてあるけれど、ひきつける物語を書くのがめちゃくちゃ上手くない?!と調べてみると、著者はコミックとグラフィック・ノベルの原作者として20年のキャリアを持つ人でした。わたしはそもそも北の音楽の中心地としてグラスゴーに関心があるのですが、そこをさっぴいても、これは読み物としておもしろいと思う。
 政治、産業、大事件、大事故、スポーツ、もちろん戦争と多方面から語られるグラスゴーはまぎれもなく主役のひとり。ストーリー面でも、定番の駒で安定感を出した上に、街と時代の特色が新鮮なスパイスになっています。ようやく女性参政権が認められた後で、警察内でも、女性警官は逮捕をしてはならない、基本は署内の事務にあたり、外に出るのは市民の気持ちのケアが必要なときだけ、という時代で、そこを変えようとがんばる女性警官がいて、グレグホーンは彼女を見込んで引き立てている描写も。古めかしい捜査方法や連絡手段の描写もおもしろい。
 登場人物もちょっとした細部がうまいの。悪を許せない心と、それゆえにやり過ぎて暴力的になることもある矛盾を抱えたひとり者のグレグホーン警部は、毎週日曜は実家のお母さんと公園を散歩する習慣あり。相棒で腕っ節の強いマクデイド部長刑事は面倒なことは拳ひとつで解決すればいいっしょ、というスタンスですが、家族持ちの人情家で泣き虫。本書は1932年の現代に、過去(1910年代)のエピソードがところどころ入って物語に深みを出す形式なんですが、恥をかかされてむくれるグレグホーン少年にボクシングを勧めたジョーおじさんという人物がいいんですよ。それから、やり手で理想論を持ちだすのがうまいシリトー警察本部長は実在で、のちにMI5長官となる人物。
 主人公コンビの減らず口のやりとりや、女性警官が茶目っ気を見せる部分、ロマンスがクッションになっているのだけれど、戦争が人をどう変えるか、なにを引きだしてしまうのかといった主題のひとつを軸に、狂気とダークと不憫につぐ不憫という展開で、2回目の大戦が近づいていることを知っているから余計に、今後の街がどうなるのか目が離せない。本書はブラッディ・スコットランドのスコットランド人クライム・デビュー賞受賞、英国推理作家協会ヒストリカル・ダガー賞候補、英国歴史作家協会デビュー・クラウン賞ロングリスト入りしています。今年、シリーズ2作目 “Cast a Cold Eye” が刊行されたので、そちらも読んでみます。

三角和代(みすみ かずよ)
訳書にカー『幽霊屋敷』、グレアム『罪の壁』、ブラウン『シナモンとガンパウダー』、タートン『名探偵と海の悪魔』、リングランド『赤の大地と失われた花』他。ツィッターとスレッズのアカウントは@kzyfizzy。

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