書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
今月も書評七福神がやってまいりました。東京では今年初の真夏日を記録し、うだるような暑さが到来しております。こういうときは無理な外出を避け、冷房の効いた室内で翻訳ミステリー読書といきたいですね。ではでは、始まります。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
北上次郎
『砕かれた少女』カリン・スローター/多田桃子訳
マグノリア・ブックス
先月当欄で取り上げたカリン・スローターの『サイレント』は6月刊、こちらは5月刊の翻訳だから、先にこちらを紹介するべきだった。ウィル・トレント・シリーズの弟2弾である。サラ・リントンを始めとするグラント郡シリーズの主要キャラがこちらに合流する前の作品だが、それでもこれだけ面白いのだから、カリン・スローターの作家としての力量が図抜けているということだろう。フェイスがここから登場したことを初めて知る。これでウィル・トレント・シリーズは1~4作まで翻訳されたことになるので、あとはグラント郡シリーズの翻訳が待たれる。こちらのシリーズ、弟1巻の『開かれた瞳孔』が復刊されたら(2~6が未訳)、絶対にみんな、ぶっ飛ぶ。
川出正樹
『彼女たちはみな、若くして死んだ』チャールズ・ボズウェル/山田順子訳
創元推理文庫
若い女性が犠牲者となった10の事件からなる先駆的な犯罪実話集『彼女たちはみな、若くして死んだ』を強力に推す。ヒラリー・ウォーを虜にし、『失踪当時の服装は』を書かせ、〈警察捜査小説〉確立のきっかけとなった本書は、ミステリ界にパラダイム・シフトを引き起こすきっかけとなった重要なノンフィクションだ。扇情的な書き方を廃し、犠牲者や犯人らの内面描写を一切行わず、冷徹に淡々と事実のみを綴る独特なシンプルな筆法は、逆に悲劇に見舞われた人間が抱いたであろう心情をくっきりと浮かび上がらせる。
相手を同じ人間と見なさず、歪んだ欲望と自己承認欲求に根ざした勝手な理屈で女性の命を奪う男たちによる残酷な犯罪は、今日に至るまで連綿と繰り返されている。なればこそ、 覗き見趣味がしたたる実話読み物とは一線を画すチャールズ・ボズウェルのジャーナリストとしての矜恃がはっきりとうかがえる不朽の作品集を、多くの方に読んで欲しい。
フィクションでは、ルーマニア人作家E・O・キロヴィッツによる、嘘と真のモザイクを敷きつめた〈鏡の迷路〉を歩まされているかのような企みとサスペンスに充ちたWhydunit『鏡の迷宮』(集英社文庫)と、探偵役のドライデンが、いつにも増して因縁深い事件とかかわったゆえに英国流本格ミステリと米国流私立探偵小説の融合というジム・ケリーの特長がより色濃くなった『凍った夏』(創元推理文庫)がお薦め。
千街晶之
『閉じられた棺』ソフィー・ハナ/山本博・遠藤靖子訳
クリスティー文庫
たとえ遺族公認の「名探偵ポアロ」シリーズ続篇であろうと、(前作『モノグラム殺人事件』もそうであったように)ソフィー・ハナの作品世界はアガサ・クリスティーのそれとは全く違うし、彼女が描くポアロも全然ポアロらしくない。だが、クリスティーのパスティーシュとしてどうかという観点から離れるなら、これほどよく出来た黄金期風本格ミステリを書ける現代作家もなかなかいない。大富豪の遺言状書き換えが事件を呼ぶという定番の古めかしい設定からスタートしつつ、その後の展開はなかなか予想できない。矛盾した証言、次々と明らかになる意外な事実、関係者たちの嘘を暴いてゆくポアロの鋭い洞察、そして最後に鮮やかに立ち上がってくる殺人者の人物像と、隅々まで面白くてわくわくさせられる。ソフィー・ハナのことはクリスティーの後継者として見るのではなく、全く別の個性を持つ優れた作家として評価しよう。
吉野仁
『その犬の歩むところ』ボストン・テラン/田口俊樹訳
文春文庫
ほかの作家が同じような話「犬によって救いや癒しを受けた人たちの物語」を書けば、大半はただ泣かせるパターンの寄せ集めになるかもしれないが、ボストン・テランはちがう。陳腐な人情劇とはまったく異なる骨太なドラマがここにある。心の琴線への響きが強く深いのは、文章表現が巧いからだろうか。なによりアメリカ現代史の有名な事件や災害が残した暗部について考えさせられる側面はもちろん、犬という生き物の愛おしさをあらためて思い知る。そのほか、サンドローネ・ダツィエーリ『死の天使 ギルティネ』は帯に「ジェフリー・ディーヴァー絶讃」とあるが、まさにイタリアのディーヴァーと呼びたくなるほど外連味あふれる犯罪の連続と個性豊かなキャラクターの活躍で楽しめた。このシリーズ、必読です。
霜月蒼
『神様も知らないこと』リサ・オドネル/川野靖子訳
幼い姉妹が父親の死体を庭に埋め、父の死を受けて自殺した母親の死体を隠すところで物語ははじまる。ふたりは両親の死を誰にも告げぬまま生活をつづけようとする。聡明だが不良気味の姉と、イノセントで少し変わり者の妹、ふたりの隣人で一人で暮らす老人の一人称で物語は語られ、徐々に三人それぞれが置かれた苛酷な環境が明らかにされてゆく……。
派手な事件は何も起こらない。けれども、ガラスの上をつなわたりするような少女たちの危うい歩みと、世の偏見のために忍従を強いられる隣人の生がはらむ破滅の予兆は、読む者を捉えて離さないだろう。世界の酷薄さから眼をそらさず、死や悪をめぐる描写は手加減せず、でも少女たちが体験するささやかな幸せは鮮烈に描かれるし、最後には人間への信頼のようなものをきちんと残して物語は閉じる。
6月は他にも、好調ハーパーBOOKSの『嘘つきポールの夏休み』、ディーヴァーとイタリア流ジャーロを組み合わせたようなスリラー『死の天使ギルティネ』、テラン『その犬の歩むところ』など快作が多数の月でした。
酒井貞道
『フロスト始末』R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳
創元推理文庫
名シリーズ最後の作品である。警察署の繁忙を目まぐるしく描きつつ、重い事件と軽やかな台詞回しを両立し、おまけに人間模様を活き活きと描き出す。要はいつも通りの芸風で、いつも通り最上級に面白い。この水準を最初から最後まで維持したのは奇跡だ。少々重い要素が散見されて、作者の若干の変調を観測できる辺りは興味深いが、ここから更なる変化/発展を遂げるかを確認することは、作者の死(10年も前だ!)によって絶対に不可能となった。ならば本シリーズが無事に訳し終えられたことを喜び、感謝するのを優先したい。他にはジム・ケリー『凍った夏』も素晴らしい出来栄えであった。
杉江松恋
『書架の探偵』ジーン・ウルフ/酒井昭伸訳
新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
人口が10億人まで減少した22世紀の地球、オンデマンドで印刷される以外に紙の本が作られることはなくなった時代に、それでも実物を陳列する図書館は存在していた。そこで貸し出されるのは「作家」だ。作家の脳をスキャンし、その記憶を写した複生体(リクローン)たちが図書館の書架で生活し、貸し出しを待つ日々を送っていた。SF・ミステリー作家の複生体であるE・A・スミスもその一人だ。ある日彼は美貌の女性コレット・コールドブルックに長期で借り出される。彼女は最近になって父と兄を相次いで亡くしていた。その兄が死の直前に手渡してきたスミスの著書『火星の殺人』になんらかの秘密が隠されていると考え、作者自身であるスミスに接近してきたのだという。しかしスミスには、自分がその『火星の殺人』なる本を上梓したという記憶がなかった。
私立探偵小説のプロットを応用すると同時に、本に関する小説というビブリオ・ミステリーの性格も備えた意欲作である。ミステリーに関する造詣が深いがために自著にまつわる謎解きに主人公が駆り出されるという話の構造に自己言及の要素が含まれており、現実とその複製である虚構との関係について読者は各処で思いを馳せることになる。読み進めれば読み進めるほどに本の世界の中に引き込まれていくのである。これほどまで自然に没頭させられる小説はまたとない。素晴らしい読書体験を約束してくれる一冊だ。
今月はチャールズ・ボズウェルの里程標的犯罪ノンフィクション『彼女たちはみな、若く死んだ』が刊行されており、ヒラリー・ウォーのファンとしては読まずにいられない一冊であった。また、パトリック・ジュースキント『香水』を思わせる殺人者小説、トーマス・ラープ『静寂 ある殺人者の記録』も素晴らしいのだが、書架で貸出を待つ作家、という設定だけでもう忘れられなくなるジーン・ウルフの作品を選んだ。豊作の6月であった。
ひさしぶりの全員バラバラ月でした。それだけ票が割れるほどに傑作が目白押しだったということでしょう。翻訳ミステリー界は今年も絶好調です。2017年も下期に入りました。次はどんな傑作が刊行されるのか、期待は膨らむばかりです。(杉)