書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、ちょっと今はお休み中。再開までしばしお待ちを。最新三月の動画はこちらです。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『影を呑んだ少女』フランシス・ハーディング/児玉敦子訳

東京創元社

 またもやフランシス・ハーディングがやってくれた。ファンタジーという土台の上で主人公の闘いと成長を活き活きと描くハーディング。彼女が紡ぎ出す、知性と魂を押し込められた若者がアイデンティティを獲得すべく枷だらけの世界に抗う〈物語〉を読むたびに、自然と力が湧いてくる。翻訳一作目の『嘘の木』が精緻に作り上げられた謎解きミステリ、二作目の『カッコーの歌』がミステリの手際が随所に光る冒険譚ときて、さて三作目『影を呑んだ少女』は、なんと戦時エスピオナージュだ。

 今回の舞台は、ピューリタン革命で騒然とする十七世紀半ばのイングランド。主人公は、死者の霊を頭の中に憑依させる能力を持つメイクピース。父方の一族から“求めてもいない呪い”を受け継いだ十五歳の少女が、王党派と議会派が戦火を交え両陣営のスパイが暗躍する英国で、追っ手をかわし生き延びるべく知恵と勇気を振り絞り奔走する。謀略と裏切り、妄執と狂信。傷つき、絶望し、迷い、心折れそうになった末に覚悟したメイクピースの、「あたしはあの人たちのあやつり人形じゃないんだから。あたしはなにももっていないけど、でも、あたし自身をもってる」という決然たる啖呵に胸がすく。Must Buy!

 

千街晶之

『念入りに殺された男』エルザ・マルポ/加藤かおり訳

ハヤカワ・ミステリ

 有名作家に襲われ、はずみで相手を殺してしまった女が、作家が生きているように偽装する……という発端だけ見ると、犯罪小説としてはありがちな設定と思うかも知れない。ところが、そこから先の展開は奇想天外そのもの。作家の死を誰の仕業にすれば丸く収まるか、主人公の画策が始まるのだ。そのプロセスが醸し出す奇妙な味わいは、類書にないユニークなものである。また、殺された男は人間的には下司だが、作家としてはゴンクール賞を獲得するほどの才能があった……という、普通ならばちょっとした説明で済ませて構わないところを、著者はわざわざ作中作まで書いて読者に納得させようとするのだ。もし作中作が才気を感じさせなかったら読者が白けることを覚悟の上としか思えない趣向であり、恐るべき度胸と言うしかない。訳者あとがきで紹介されている未訳作も面白そうなものばかりなので邦訳を期待したい。

 

霜月蒼

『三体Ⅱ 黒暗森林』劉慈欣/大森望・立原透耶・上原かおり・泊功訳

早川書房

 今月は豊作だったが、フランスの怪作『念入りに殺された男』にするつもりだった。あるいは『パーキングエリア』もいいかなと思っていた。だけど読んでしまったが最後、これを挙げないわけにはいかない。話題のSF三部作の第二弾である。前作もスリラー風のプロットをもつ作品で、刊行時の「今月の七福神」でとりあげたのだが、ミステリ度は今回のほうが上。これは名作『Mrクイン』のような「登場人物が何か大きな企てを進めているのだが、その目的も策謀の全容もわからない」という謎を持つ徹夜本なのだ!

 第一作のネタバレを最小限にして言えば、「数百年後に地球を滅ぼしにやってくる異星人への反撃作戦を立てねばならない。敵は人間の行動すべてを監視しているが、脳の中は覗けないので、4人の作戦立案者(面壁者)に作戦準備を開始させるが、彼らが『実際に何をやるつもりなのか』は誰にも明かさない」というのがポイント。4人がさまざまな活動を進行させるのが主な筋となるが、敵側には「真意を見抜く」役割の「破壁者」がいる。 各「面壁者」の作戦の隠された目的を見破ったとき、「破壁者」は 「面壁者」の前にあらわれ、「あなたの作戦の本当の目的は**ですね」と「謎解き」をしてみせる――つまり本作、名探偵の謎解き場面がいくつも数珠繋ぎになった造りの小説なのだ!

 数百年のタイムスパンをもつ、全人類の運命を賭けた名探偵と名犯人の頭脳戦。上下巻だが一気読みである。

 

北上次郎

『発火点』C・J・ボックス/野口百合子訳

創元推理文庫

 猟区管理官ジョー・ピケットを主人公とするシリーズの第13作だが、今作から版元が変更。シリーズの途中で、翻訳が打ち切りになるケースが多いことを考えれば、続刊されるとは喜ばしい。家族小説でありながら、ヒーロー小説でもあるという稀有なシリーズで、もちろんミステリーだけど、当分読めそうで安心だ。今回も高いレベルで安定している。

 翻訳ミステリーのシリーズでは、ベスト3の一つと言っていい。

 あとの二つはもちろん、ウィル・トレントと、グレイマンだ。

 

吉野仁

『パーキングエリア』テイラー・アダムス/東野さやか訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 猛吹雪のなか、パーキングエリアで待避していたヒロインに襲いかかる出口なしの危機。そこにゾンビでも押し寄せれば、たちまち低予算のB級ホラーが出来上がるというような設定で、しかも冒頭からしばらくは、ややかったるい場面が続くため、あまり期待をしないで頁を進めていくと、いい意味で裏切られた。夢中になって一気読みした。これでもかとダメ押しするラストにしびれた。どこかジャンクな活劇にこれほど餓えていたのか、それとも「じっと大人しくしてないと命はない」と脅され続けたコロナ生活への反発心が物語と共振したのか分からないけど、とにかく興奮がとまらないサスペンスなのだ。あ、ゾンビは出てこない。これを読む前は、エルザ・マルポ『念入りに殺された男』略して「ねんころ」を挙げようかと思っていた。著名な作家を殺してしまった女がとった意外な行動をめぐる物語。自分が罪に問われないよう、いちど殺した人物をふたたび永遠の眠りにつかせるためのあれやこれやが面白い。「ねんねんころり、ねんころり」。いささか都合がよすぎる部分があるものの、いかにもフランスミステリらしい奇抜で独創的でおかしなアイデアが光る一作だ。

 

酒井貞道

『博士を殺した数式』ノヴァ・ジェイコブズ/高里ひろ訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 感電死した数学者の孫娘が、数学者の残した謎のメッセージの謎を解く。簡単にまとめたら単に「それだけ」になってしまう。また、もし仮にここでネタバレをしても、物語の中で起きること自体は、派手といえば派手だが、そこまで読者を惹きつけるかというと疑問符が付く。しかし、登場人物――特に、数学者の孫娘(書店員)と兄(警察官)、そして彼らの伯父(素粒子物理学者)――の人生模様とその断面、心象風景が、しっとりした筆致で丁寧に綴られる様は、とても胸に沁みる。背後に陰謀が渦巻いていること、複数の登場人物が秘密を抱えていることなども仄めかされる。手に汗握る感覚は薄いけれど、読者に話の先行きを気にさせるには十分な舞台道具をバックにして、主要人物三名は、存分に人生を踊り、味わい、浸る。

 しっとりと読ませる、良い小説だと思います。

 

杉江松恋

『念入りに殺された男』エルザ・マルポ/加藤かおり訳

ハヤカワ・ミステリ

 いろいろ考えた結果、やっぱりこれかなあ、と。上でどなたかが紹介していると思うのだが、作家小説であり、小説の小説なのである。ペンション経営者の女性が泊り客になった小説家に暴行されそうになって殺してしまう。そこで自首すればいいのだが家族のある身として逡巡し、罪を免れるための偽装工作に出る、というのが発端だ。その工作というのが、実際よりも後で作家が死んだように見せかけるためのものだから「念入りに殺された男」となる。あとはまあ説明しないのだが、犠牲者の肖像を掘り下げて書いていくタイプの小説となるために話が進むにつれて殺された作家がどんな人物だったかという肉付けがされていくわけである。そうした場合、普通の小説だと人間関係だとか行動の記録が入っていくところに、作家が書いた小説や、その登場人物がはめ込まれていく。フィクションを作ることが即ち人生だった男だから、生涯を構成するピースもフィクションなのだ。ここがおもしろい。あまり見たことがない設定だな、と感じ入った次第。また、殺してしまう女性を作家の卵にした点もよくて、自分を暴行しようとした最低の男に愛憎半ばする感情を抱くようになる。ああ、設定を書くだけだと簡単だが、実際に物語にするのは難しいですよ。結構な技巧のはずなのにさらっと書かれていて胃にもたれない。いや、濃厚だけどのど越しがいいのでするするいけてしまう、と言った方がいいかな。こんなひとつながりになった文章をふむふむと読んでしまうようなあなたはたぶん小説についての小説が大好きだと思うので、そういう人ならきっとくどいと感じずに読んじゃうと思うのだ。ラーメン二郎のスープ全部飲んじゃうみたいな。ちょっと違うか。結論としては『念入りに殺された男』はラーメン二郎。なんだそれは。

大河SFあり、ファンタジーあり、フランス・ミステリあり、冒険小説に謎解き小説、密室状況下のスリラーと作風もばらけた六月でした。さて、来月はどうなりますか。またお会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧