中国は新型コロナウイルス感染症の影響で1月末から映画館が閉鎖されていましたが、先日の発表で、感染予防対策をきちんと行うという前提の下、感染低リスクエリアにある映画館の営業を7月20日から再開することを決めました。この記事を書いている7月20日前では今すぐ新作を公開するという動きは見られず、主に過去の映画を再上映するという形式になるらしいのですが、中国の感染拡大対策が緩和され続ければ映画館の全面的な再開が始まるのも近いかもしれません。とはいえ、1月末に公開が予定されていた映画は春節(旧正月)向けのおめでたい内容のものもあるので、再開したからすぐに再上映できるというわけではなさそうです。もしかしたら来年の春節までお預けかも……という心配がありますが、中国の文化産業もようやく回復してきたなと少しホッとしました。

 このように半年間の映画館閉鎖を経験した中国にとって、ネットドラマがさらに勢いを増したのは自明の理であり、特に動画配信サイト「愛奇芸(AiQiYi)」で6月から配信されているミステリードラマ『十日遊戯(10日間のゲーム)』と『隠秘的角落(秘密の隅)』はネットで話題になっています。

 

■中国初の東野圭吾原作のドラマ

『十日遊戯』は東野圭吾の小説『ゲームの名は誘拐』をドラマ化したもので、ストーリーの大筋は原作と大体一緒です。

 小さなゲーム会社の社長の于海は投資者の沈輝から融資を断られて再度直談判しに行く途中、彼の家から出てくる女性を見つけて追い掛ける。沈輝の娘の路婕だという女性と意気投合した彼は、彼女と一緒に狂言誘拐を企み、沈輝から身代金をせしめようとする。しかしその後、警察は路婕と思われる死体を発見、その背後にある大きな陰謀に気付く。

 時間軸をうまく利用した見せ方で、原作や日本版映画を知っている中国の視聴者もハラハラさせる展開になっていました。実際中国で有名な東野圭吾の、しかも日本ですでに映画化されている本作をドラマ化するのは制作陣にとってプレッシャーだったでしょうが、ネットでは「成功」と評価されています。

 

路婕から家に泊めるようせがまれる于海

 中国では今後も多くの東野圭吾作品のドラマ化や映画化が予定されていて、『さまよう刃』と『回廊亭殺人事件』が現在撮影・製作中とのことです。他にも東野圭吾原作小説の映像化権が10作以上も購入されているので、「東野圭吾原作」というキャッチコピーは中国で珍しいものにならなくなるかもしれません。

 

■殺人犯を翻弄する怖いもの知らずの子どもたち

『隠秘的角落』は中国のミステリー作家・紫金陳の小説『壊小孩(悪い子)』を原作とするドラマです。

 中学生の朱朝陽の家に、孤児院から脱走してきた旧友の厳良と彼らより年下の少女岳普(普普)がやってくる。すぐに仲良くなった3人は山まで遊びに行き、塾講師の張東昇が義理の両親を殺害する様子を偶然撮影してしまう。孤児院に戻りたくない厳良と弟の手術で大金が必要な岳普ら3人は、警察に通報せず張東昇をゆする計画を思い付く。3人は子どもながら知恵を絞って張東昇と直接対峙するが、張東昇の方も知識や技術を使って彼らの居所を探り、映像データを奪おうとする。そして双方の嘘や罪がさらなる危険を招き、朱朝陽は警察から疑いをかけられるばかりか悪人から命をも狙われるようになる。

 原作の『壊小孩』は早川書房から邦訳の刊行が予定されているようです。また、紫金陳の同名小説をドラマ化した『無証之罪』(バーニング・アイス)は日本語字幕版が配信されたため、本作『隠秘的角落』もドラマの方が先に日本に来る可能性が高いです。ドラマと原作小説ではキャラ設定など異なる点が多いため、いくつかをここで挙げてみます。

 まず主要キャラが大胆に改変されています。
『壊小孩』は紫金陳の「推理之王」シリーズの2作目に当たり、前作『無証之罪』で探偵役を演じた元公安の数学教授・厳良が再登場します。実は厳良と本作の犯人・張東昇は師弟関係にあり、張東昇の妻が厳良の姪という続柄のため、厳良は事件に関係することになります。
 前作『無証之罪』で厳良は、知人で元法医学者という犯人と頭脳戦を繰り広げ、警察を出し抜けると考えていた犯人を恐怖させ、物語において存在感を放っていました。対して『壊小孩』は3人の子どもと張東昇の探り合いが主に描かれており、厳良の影は薄いです。そのためか、ドラマ化に当たって数学教授・厳良は消えてしまいました。代わりに、原作では丁浩という名前だった少年がドラマで厳良の名前を持って登場します。

 もう一つ大きく異なる点が子ども3人の性格です。
 ドラマだと厳良と普普は手術費欲しさに、他人のために恐喝を企みますが、原作だとけっこう自分勝手な理由で動きます。
 また原作では朱朝陽が書いていた日記の真意を厳良が発見し、たかだか中学生の朱朝陽の「悪い」というレベルではない恐ろしさや冷酷さをまざまざと感じさせる内容になっています。しかしドラマではまだ人間(子ども)の優しさや良心などを信じさせてくれます。

 他にも、ドラマでは張東昇が家のない厳良と岳普を家に泊めたり、3人と一緒に食事をしたりするなど、義理の両親と妻を殺害した人間とは思えないいい人そうなシーンが多々あります(確か原作ではこういうシーンはなかったような……)。要するに、自分の犯行の証拠を押さえている子どもたちに万が一がないように対応しているだけなのですが、義理の両親には離婚を勧められ、妻には浮気され、子どもたちには恐喝されて借金まですることになる張東昇を見ていると(さらに彼の体には他人に隠している秘密がある)、もうそろそろ解放してやってくれないかと可哀想な気持ちになってきます。しかしふとした瞬間に、自分に都合の悪い人間を殺せる冷酷な殺人鬼の顔が見え隠れするので、やっぱり同情の余地はないなと気付かせてくれます。

4人で一緒にハンバーガーを食べる殺人犯と恐喝犯

 

■中国ミステリードラマの未来は明るい?

 愛奇芸の「迷霧劇場」シリーズは、この2作の他に4作品のミステリードラマの配信を予定しています。紫金陳の小説『長夜難明』を原作とする『沈黙的真相』、20年前の未解決事件と似た事件が20年後に再び起こる『非常目撃』、簡単な仕事をするだけで願いを叶えてくれるスマホアプリに翻弄される人々を描く『致命愿望』、娘を亡くした事故と連続殺人事件が奇妙に結び付くSFサスペンス『在劫難逃』です。これらは年内の配信が予定されていますが、具体的な日付はまだ決まっていません。

 実は今回の『隠秘的角落』の大ヒットの影でこのような噂がネットに流れました。「迷霧劇場」シリーズ第3弾となる『非常目撃』は6月30日からの配信が決まっていたのですが、『隠秘的角落』に注目が集まりすぎたため、「迷霧劇場」シリーズに対する審査がさらに厳しくなって配信予定日に間に合わなかったというものです。これが本当だとしたら、作品の大ヒットも業界全体で考えるとうれしいことばかりではない、と言ったところでしょうか。

『壊小孩』はドラマの評判を受けて、2014年の出版当時とは打って変わってベストセラーになり、一時はネット通販サイトの売り上げランキングで東野圭吾の小説を超えたそうです。

 今回この記事を書くために本棚から『壊小孩』を出してみたのですが、2014年初版本の帯に「ネットドラマが間もなく配信!」と書かれていたのには驚きました。中国は映像化に当たり版権購入から公開するまでが長いと聞きますが、まさか6年前にもうネットドラマ化の計画が進んでいたとは。

『壊小孩』は現在新装版が出ている(これは2014年当時の)

 小説が映像化してヒットすれば知名度が上がり、原作小説はますます売れ、何より作家の懐に原作使用料が入ります。しかしあまりに時間がかかり、版権が売れても撮影できるとは限らず、撮影できても配信できるとは限らず、配信できてもヒットするとは限らないので、知り合いの作家は「版権が売れてくれればそれでいい」とも言っています。小説の原稿料以上のお金が入ってくれば、それで数年食っていけるからです。

 中国産ミステリードラマがヒットすること自体に異論はないのですが、映像化された小説(家)とされていない小説(家)の知名度や立場のギャップを見ると、これによって両者の差がますますいびつになっていくようにも感じてなりません。権威的なミステリー賞がほとんどない中国で「映像化が一つのゴール」になっていいのか、作家を支えるのは出版業界ではなく映像業界なのかと考えてしまいます。

 ちなみに紫金陳は作品の映像化の権利を全て売り払い、中には損をする売り方をした作品もあったようですが、100万元(1億5千万円)近い価格で売れた作品もあり、他に株もやっていてだいぶ儲かっているそうです。ただ本人は、株は副業で本業は執筆だと言っています。


阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

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