中国では8月、ある中国人SF小説家が微博(マイクロブログ)で日本の新本格ミステリー小説の作品を挙げてココがおかしいと指摘し、これを受けて中国人ミステリー小説家やミステリー読者が反論したり自省したりする事態になりました。その指摘の内容というのが、「この館の建築だと消防局の許可が下りない」とか「登場人物の言動がワンパターン」とか、よく聞く内容で新鮮味はありませんでした。しかし「SF小説が非現実的な要素を注意深く取り扱ったんだから、ミステリー小説もこの辺りに注意するべきだ」というこのSF小説家の意見の一つは、中国のSF小説の歩みを表しているような気がしました。
この小説家自身、建築関係の専門知識を持っているからこそ、新本格ミステリーに登場する、どうやって建築できたのか分からない館の存在が気になるのかも知れません。そして彼は別にイチャモンをつけているわけではなく、改善すればミステリー小説の読者がもっと増えるとアドバイスをしているわけです。
中国ではSF小説とは別に、「科学普及本」という正しい科学を読者に教える本が出版されていて、彼が言っていることはフィクションでも現実に即した内容のミステリーにしろという、いわば「推理普及本」をつくれということなのかもしれません。とはいえ、じゃあその非現実的な問題を克服したらミステリー小説の読者はもっと増えるのかというのは疑問です。
また現在の微博上でのやり取りを見る限り、彼とミステリー小説家が交わる点が見当たらず、あまり建設的な議論に発展しなさそうです。まぁこの話題は全然面白くないので興味がある方は自分で調べてみてください。個人的には、彼の批判の矛先が日本の作品から中国ミステリーになってからが本番だと思います。
続いては中国ミステリーの明るい話題。以前からこのコラムで何度か取り上げていた「QED長編推理小説賞」の入賞作品5作が9月7日にようやく発表されました。この賞は現代の中国ミステリー界隈に存在する課題を克服するために、「99読書人」という出版社と作家たちが中心となって設立したものです。
その課題とは以下の三つ。
一つ、中国には真の長編推理小説新人賞が不足している。現在、「島田荘司推理小説賞」があるが、これは台湾で設立されたものであり、島田荘司先生は言葉の関係上、概要を通してでしか作品を評価できない。これは伏線、文章力、登場人物設定を得意としている作家にとって不公平である(この賞は中国語の作品が対象で、島田荘司は全文を日本語に訳したものを読んで評価するわけではない)。それにこの賞は新人賞ではなく、すでにデビューしている作家も参加できるので、これも新人作家にとってハードルの一つである。
二つ、作品の影響をより大勢に与え、中国ミステリーの発展に利するのは、長編の力こそ大きい。中国の編集者・書評家の華斯比が個人名義で「華斯比推理短編賞」を主催し、予想より多くの作品が投稿され、熱心なミステリー小説の書き手が多いということが分かったが、これらは短編に限られている。
三つ、まだ見つかっていない面白いミステリー作品がたくさんあるはず。従来の現場でのイベントやオンライン形式の質疑応答で、ミステリーの執筆に関する質問を受けることが多く、長編小説を書き終わったがどのように出版するのかも出版できるかどうかも知らない人がいる。中国のミステリー小説は市場では多くなく、もともと少量の作品が画一的であるという問題もはびこっている。
これらは昨年の同賞の開始を告知するページに書かれていた内容であり、三つとも確かに現在の中国ミステリーにおける比較的大きな問題です。島田荘司は長年「華文ミステリー」の発展に貢献していて、中国人に大変馴染みのある作家ではありますが、「中国語を読めない人が中国語の作品を評価する」ことに対して疑問を持つ人が出るのも無理ないことでしょう。ただ、島田荘司推理小説賞は島田荘司一人で決めているわけではなく、中国語やミステリーに造詣の深い審査員がきちんと評価した上で、最終的に島田荘司が受賞作を選ぶというシステムです。
だからQED長編推理小説賞の登場は、島田荘司推理小説賞とは異なる基準で作品を評価しようという動きであり、これは中国ミステリーの脱「島田流本格」宣言と見るべきなのかもしれません。この辺りは今後、同賞の審査員に話を伺えたらなと思っています。
現時点では入賞作品の名前と作者、そして各作品に対する審査員のコメントのみしか公表されていませんが、5作品は叙述トリック、本格密室、短編連作集、特殊設定、社会派とそれぞれ異なる内容だそうです。中でも気になるのが久也という作家が書いた『紅泥島事件』という作品。審査員コメントによれば、「本格ミステリー」の理念が徹頭徹尾貫かれている傑作で、トリックはシンプルでありながら新しさに溢れ、舞台となった「紅泥島」の設定とも完璧にマッチしている、とのこと。入賞作品のうち実際に書籍化されるのは優勝作品だけなのですが、ここまで言われるとこの作品の受賞を祈るしかありません。
さて、同賞主催側の「99読書人」傘下には「黒猫文庫」というミステリー小説レーベルがあって、そこから今年すでに5冊の中国ミステリーが出版されています。それぞれ、日常ミステリー『春日之書』(著:陸燁華)、密室がテーマの『密室小醜』(著:時晨)、SFっぽい『扮演者遊戯』(著:趙婧怡)、日常ミステリー『写字楼的奇想日志』(著:孫沁文)、特殊設定ミステリー『溯洄』(著:青稞)です。
正直、まだこのレーベルの特色を掴みきれていないのですが、館ものばかり書いていた青稞が特殊設定ミステリーを書いていて、すでにデビューした作家が新たなジャンルに挑戦する場所でもあるのかなという気がします。今後はここにQED長編推理小説賞の受賞作家が入るのでしょうが、新人作家の発掘が読者の増加につながるのかが気になるところです。中国にはミステリーを「書きたい人」が少なく、彼らを鼓舞するために新人賞などを設立することは非常に重要なことではありますが、それが新規読者の増加につながるかは分かりません。QED長編推理小説賞の授賞式などを行うのであれば、より多くの人が興味を引くつくりにして、決して既存のミステリー界隈だけで消化することがないようにしてほしいものです。
阿井幸作(あい こうさく) |
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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。 ・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
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