「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 ホレス・マッコイについて書こうと決めたとき、まず思い出したのは「ハリウッドに死す」(1933)という短編でした。
 日本では《EQ》の1978年5月号に訳出されたもので、マッコイについて評論を書いていることでも知られるトーマス・スチュラックが発掘した未発表作なのですが、ちょっと記憶に残る一作です。
 作品自体は、正直、特筆するような出来だとは思いません。同じ年代に書かれた他のマッコイの短編と同じで、いかにも《ブラック・マスク》風のタフガイ私立探偵小説です。面白いのは、マッコイが本来、削除しようとしていた文章をカッコ書きで、そのまま載せている点です。
 読んでみると、確かにハードボイルド小説としては不要な文章です。飛ばしてしまった方が引き締まる。
 けれど、訳者である小鷹信光氏(名義は名和立行)も書いている通り、むしろ、それらの不要な文章にこそマッコイの真骨頂が感じられて、忘れがたいものがあるのです。ハリウッドという街や、その中にいる夢破れた人々の姿を拾い上げる描写の先に、マッコイが繰り返し書いてきた「夢」と「現実」というテーマが見えてくる。
 彼の書く小説の登場人物は大抵、アメリカン・ドリームそのままの夢を抱いています。
 とにかく大物になりたいという「夢」や「野望」と、登場人物がいる「現実」の苦しさが作品の中心に据えられている。
 今回紹介する『明日に別れの接吻を』(1948)も、やはり、成り上がりたいとただただ願う男の物語です。

   *

 ラルフ・コッターは刑務作業を行いながら、合図のホーンが鳴るのを待っていた。
 協力者のおかげで手に入れることができた拳銃を隠し持ちながら、今か今かと聞き耳を立てている。
 やがて、その時がやってきた。ラルフは行動に移る。看守の一人と、いけ好かなかった同房の男をぶち殺し、相棒と一緒に外へ向けて駆け出した。
 相棒は死んでしまったが、ラルフは無事逃げきって、自由の身となる。
 そうなったら、やることは決まっている。
 大きなヤマをガンガンこなして、金を稼いで、大物になるのだ……
 非常にストレートな、クライム・ノヴェルらしい始まり方をする物語です。
 その後もいかにもノワールちっくな話の運び方をします。美女と共に破滅の気配を感じながら罪を重ねていく男、と道具立ても展開も、ある種の類型といっていいくらいです。
 第一長編『彼らは廃馬を撃つ』(1935)と比べるとその差は歴然です。
 冒頭で主人公が殺人を犯していることは示されるものの、あとは延々とマラソン・ダンスをしているだけという異色作『彼らは廃馬を撃つ』と、最初から最後まで典型的なクライム・ノヴェルそのままな筋立ての『明日に別れの接吻を』……対照的と言っても良いくらいです。
 しかし、この二作はある一点で結びついています。
 ラルフの造形です。
 彼は、異常なまでの上昇志向に突き動かされている人物として描かれます。
 上で書いた、脱獄直後にすぐに大きなヤマのことを考えるということからしてそうなのですが、彼の中にあるのは、とにかく大物になりたい、ありとあらゆる人間に自分のことを認めさせたいという思いだけなのです。
 誰にも負けたくない。舐められたくない……ラルフの行動原理はそれだけです。
 ノワールでは犯罪者の主人公のことを、そう生きるしかなかった、誰かのためにそうせざるを得なかったといった形で描くことが多いように思いますが、彼の場合、それがない。
 作中で彼自身が言います。俺は、生まれも別に悪くはないし、大学も出ている。環境が俺をこの世界に引き込んだわけでは全くなく、自分から好んでこの世界に入ったのだ、と。
 そして、ラルフのこの意志をはっきりさせたあと、物語は次のステップに入ります。
 では、彼は成り上がって、何になりたいのか?

   *

 結論から言ってしまうと、それが、ラルフ自身にも分からないのです。
 成り上がりたいという気持ちは強いが、そこに中身はない。
 強いて言えば、成り上がるための手段にはこだわりがある。自分自身の手で、世の中に知らしめるような形ででかいことをやりたい。せせっこましいことで大金を得ることができるチャンスがあっても飛びつかない。誰かの指示で働けといわれても応じない。ラルフ自身が用意した、あるいは、彼のために用意されたものしか掴みたくない。だが、掴んだ先のヴィジョンはない。
 彼のゴールになり得るものは、作中随所で現れます。
 たとえば脱獄時から付き合っているグラマーな美女ホリデイとの愛の生活、たとえば警察に追われることのない平穏な生活、たとえば大富豪の娘マーガレットとの優雅な生活……いずれも一犯罪者が夢見るには十分すぎる魅力を持っているように見えます。しかしラルフは満足しない。自分からそれを蹴り飛ばし、貪欲にまだ、別のものを求めてしまうのです。世界のどこにも、彼が求めるものがない。
 本書は、全編に渡って「夢」のために「夢」を見ているような空虚さに包まれています。
 ラルフの外に答えが見えないわけですから、物語は必然的に彼の中へ、中へ、と進んでいくことになります。
 空っぽの上昇志向を抱えている彼が、真に求めているものは何なのか。それはどうすれば手に入るのか。
 その答えは、ここをゴールにしていいかとラルフが思えるものを見つけた瞬間に立ち現れます。
 とびっきり残酷な回答です。ラルフの目的が見えなかったのは仕方ない。何故なら、彼はある意味では既に目的は達成しているし、別の意味ではその目的は永遠に達成できない。そういう類のものなのです。
 どう足掻いても虚しさしかない物語は、そのまま何も残さずに終わります。
 しかし、この結末はラルフにとっては、救いなのです。たとえ虚無だとしても、そこは彼が待ち望んだゴールだから。

   *

 訳出されているマッコイの短編のほとんどは、「ハリウッドに死す」と同様のタフガイを主役にしたハードボイルド小説なのですが、一つだけ、毛色が異なる作品があります。
 「グランドスタンド・コンプレックス」(1935)です。
 最初に訳されたのは1973年10月の《ミステリマガジン》ですが、2020年5月に同誌で新訳されていますので、マッコイの短編としては最も手軽に読むことができる一編かと思います。
 オートバイレースの世界を題材にした物語です。
 トップクラスのレーサーの男二人が、命を捨てるような危険な賭けをするという筋なのですが、この賭けを持ちかけた方の男のキャラクターに異様さがあります。
 とにかく、トップに立ちたい。それで、観客を沸かせたいという思いが異常に強いのです。タイトルになっているグランドスタンド・コンプレックスというのは、この男が抱えている強迫観念を指した作者の造語です。
 このグランドスタンド・コンプレックスをマッコイの書く物語の主人公たちは皆抱えているのではないでしょうか。
 自分の命も損得も捨てるほどの名誉欲に突き動かされ、成り上がろうとする人間たちを描き、その欲望の虚しさを突きつけるような結末を用意する。
 読者が同じコンプレックスを抱えていても、いなくても、心に刺さらざるを得ない作品を書く作家だと思います。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人四年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby