日本の本を買う時は完全にアマゾンのKindleオンリーなのですが、中国ではもっぱら紙の本を買っています。タオバオなどのネットショッピングサイトで購入する場合は、定価の3〜4割引ぐらいになりますし、購入当日に届くから便利です。それでも書店じゃないと見つけられない本もあるので、北京の書店をぶらつくことも少なくありませんが、買いたい本があるときは確実にネットを利用します。今までトラブルなんてほとんど起きたことないのですが、最近ある新刊をちゃんとした本屋で注文したところ、発売日を過ぎても全然発送されないので、どうなってんだよと微博(中国のマイクロブログ)で愚痴ったところ、その本の作者から「本送るから住所教えろ」とDMをもらいました。今回紹介するのはそんな推理小説です。

『完美嫌疑人』(著:陳研一)

 

 脳神経外科医の廖伯岩は、これから一人の子どもをこの世から完璧に消失させるための決意を固めていた。そして彼は電話で看護師長に、1時間後に病院で手術することを伝える。
 
星港市の児童公園で10歳の少女が行方不明になった。事件当時の防犯カメラには何も映っておらず、現場に残された手掛かりは馬型のスプリング遊具に真っ赤なスプレーで書かれた「4」という数字だけ。実は同市では3年前から子どもの誘拐事件が起きており、今回で4件目だった。一連の事件には子どもたちの性別、年齢、更には家庭環境まで、まったく関連性が見いだせず、全員が赤い服を着ていた日に失踪したことしか分からない。この重大事件を担当することになった刑事隊長の張一鳴は、以前の上司で現在は弁護士をしている鐘寧に助言を請う。鐘寧に言われた通り防犯カメラの映像を事件当時から更に巻き戻すと、事件の約1時間前に公園に来ていた廖伯岩の姿があった。しかし廖伯岩には、事件当時に病院で手術をしていたという完璧なアリバイがあった。
 
最初は捜査に乗り気ではなかった鐘寧は、過去に義理の娘の命を助けてくれて、今は警察に疑惑をかけられて迷惑しているだろう廖伯岩の無実を証明するために行動する。だが、捜査の裏をかく犯行の数々を明らかにするほど、鐘寧は完璧なアリバイを持つ廖伯岩が犯人だと確信するようになる。

 

ご丁寧にサインまで

 

■アリバイも人柄も完璧な容疑者

 タイトルの「完美」とは「完璧、パーフェクト」、「嫌疑人」とは「容疑者」を表します。鉄壁のアリバイを持つ容疑者の廖伯岩を鐘寧ら警察側が追い詰めるというのが大まかなストーリーです。本書の冒頭で犯行が廖伯岩によるものだと書かれていますし、彼が真犯人をかばっているということもありません。だから彼のアリバイを崩すことが焦点になるのですが、これが困難を極める作業で、廖伯岩は3年前の最初の事件から今に至るまで警察に何の手掛かりも掴ませていないどころか、今回だって鐘寧に事件の解決を依頼したのは他ならぬ廖伯岩であるので、犯行に対して並々ならぬ自信を持っていることが分かります。

 本作の重要な基礎を築いているのが、鐘寧と廖伯岩の関係性。彼らは友人同士でもなければ、持ちつ持たれつの関係でもなく、鐘寧が一方的に廖伯岩を尊敬していて、それは彼が警察を辞めた原因と深く関わっています。
 鐘寧はもともと星港市きっての優秀な刑事隊長で、これまでに数々の難事件を解決してきたのですが、難病の娘に保険金を残すために他殺に見せかけて自殺した母親の事件を担当し、全ての事情を察して母親が本当に誰かに殺されたかのようにデータを偽造してしまい、結局保険会社にバレて警察をクビになった過去を持っています。そして今はその娘を引き取り、弁護士として活動しているという、正義感があって優しいんですけど、公権力側にいることを諦めた人物。そして当時、娘の手術をしたのが廖伯岩なわけで、娘の命の恩人が容疑者扱いされていることは鐘寧にとっては見過ごせない問題なのです。

 対する廖伯岩は医者としても人間としても非の打ち所がない人物で、周囲からの評判も良いので、彼が誘拐犯だと見抜ける人物は皆無です。だから読者としては、なんでこんな高潔な人物が子どもを狙った犯罪なんかしているのかという動機が気になるわけです。話が進むと廖伯岩の過去が明らかになり、彼が子どもを使って何をしているのかが徐々に推測でき、聖人君子どころかもう狂ってしまっているような描写がされます。

 鐘寧と廖伯岩の対決は基本的に鐘寧を含む警察側が後手に回ります。過去の事件まで洗い直して、防犯カメラからの身の隠し方や子どもの誘拐方法などが鐘寧によって明らかになるにつれ、犯人の病的なまでの用意周到さが分かり、警察と廖伯岩のレベルの違いを見せつけられるという展開。しかし、廖伯岩の手口はどれも巧妙であるものの、もし3年前の事件から鐘寧が関わっていたら片付いていたんじゃないかという程度です。最初に鐘寧が張一鳴に防犯カメラの映像をもう少し巻き戻せと指示されてから廖伯岩にたどり着いたように、細かい捜査をしなかった警察の不備や怠慢が事件を迷宮入り化したのではと思うような犯行が多かったです。ですが、警察がどれだけ捜査して証拠を固めたところで、廖伯岩はそのさらに上を行っていることが最後明らかになります。

 

■ラスト30ページの真相

 廖伯岩が、天才であるがゆえに他者の命を軽んじるマッドサイエンティストというキャラに分類されそうになるまさに最終章「神か悪魔か」で、廖伯岩という人物像、ひいては作品のテーマに大逆転が起きます。
 確かに本書は児童誘拐を扱った社会派ミステリーと読めます。しかし、子どもを失って悲しみ怒る親も出てくる一方で、鐘寧はそれぞれの家庭で違和感を覚えており、被害者家族が何か隠している素振りを感じ取るのですが、その違和感の正体は最終章になるまで判明しません。そしてこのラスト30ページで、作者が本当に訴えたかった社会問題が分かるのです。この結末はまた、考え抜かれた子どもの誘拐方法や入念な防犯カメラの回避方法、さらには誰にも解けなかった完璧なアリバイすらも、この最終章で読者を驚愕させるためだけに用意した布石に過ぎなかったことも明らかにしています。最終章によって一連の誘拐事件の見え方が一変し、読者(そして鐘寧)の心に去来するのは、「廖伯岩よ、お前はここまでパーフェクトなのか」という称賛だけ。

 

■中国ミステリーから生まれた中国ミステリー              

  本書を読んでいて気になったのが、作者の陳研一が中国の人気社会派ミステリー小説家の紫金陳を意識しているのではないかという点です。本作の、探偵役と犯人役の関係、犯人の追い詰め方、犯人が使った身代わりの方法、そして張一鳴という登場人物など、これは自分が翻訳を担当した紫金陳の『知能犯之罠』(中国語タイトルは『設局』)のオマージュではないかと思いました。これについて批判するつもりはなく、むしろ中国ミステリー業界の新たな動向が見えて嬉しくなりました。というのも、『知能犯之罠』が東野圭吾作品のオマージュのように、今までの中国ミステリー小説が海外作品から影響を受けたのが多かったのと比べて、『完美嫌疑人』は国内の作品からより強い影響を受けた中国ミステリーなんじゃないかと思ったからです。実際に陳研一に確認したわけではないので真相は不明ですが、『完美嫌疑人』に紫金陳らしい文脈が使われていることは、中国国内にも中国ミステリーが十分に浸透した証拠なのではないでしょうか。

 作者が最初に本作に付けたタイトルは『不可能犯罪』だったそうです。ネットでは、こんなタイトル、80年代にもねぇよって言われていますし、これを『完美嫌疑人』に変えた編集者はいい仕事をしたと思いますが、ここまでストレートなタイトルは作者の自信の現れだったのでしょう。ちなみに「不可能犯罪」はシリーズ名として残っています。
 本シリーズは年末に2作目の出版が予定されています。今はまだマイナーですが、陳研一の名前は今後の中国ミステリーで無視できなくなるでしょう。

 

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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