「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 エドワード・D・ホックの「長い墜落」(1965)について、その面白さが長い間ピンときていませんでした。
 高層ビルの二十一階から飛び降りるところを目撃された男の死体が何故か見つからない。と思ったら、三時間四十五分後に発見される。まるで、この間、彼はずっと墜ち続けていたみたいだ……という謎が余りにも魅力的だったためでしょう。解決が肩透かしに思えてしまって、その印象ばかりがずっと残っていたのです。
 しかし、この間、再読してみて感想を改めました。「長い墜落」、とてもよくできているパズラーじゃないか。
 確かに真相それ自体は、面白みはないかもしれない。けれども、この謎を如何に成立させるか、そして解き明かすかを描いた短編ミステリとして見た時、非常に面白いのです。
 視点人物をこのキャラクターにして、この順番で情報を彼に与えないと謎も解決も成立しない。そういう風に作られていて、だからこそ、真相に関わるある誤認が明かされた時に「あっ」となる。
 しかし、僕は初読の時、クイズのように解決の面白さだけを求めて読んでしまい、微妙な印象を持ってしまいました。
 これは当時の僕が、この作品に対してホックのシリーズ探偵ものと同様の読み方をしてしまったというのが大きかったためです。
 上に書いた通り、「長い墜落」はノンシリーズだからこそ……渦中の真っただ中にいるキャラクターを視点人物に置いているからこそ面白さが際立つ作品です。対して、サム・ホーソーンやレオポルド警部のようなシリーズ探偵の登場作品は、どうしても外部にある事件について探偵役が乗り出すという形になりがちです。それと同じ読み方では「長い墜落」の面白さは分かりにくい。
 だから、と考えることがあります。
 「長い墜落」を『夜はわが友』(1992)で読んでいたのなら、僕はこの作品について全然違う印象を持ったかもしれない。
 
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 『夜はわが友』は、エドワード・D・ホックのノンシリーズ短編集です。一九九二年の刊行ですが、収録作は全て一九六〇年代の作品です。
 ホックといえばシリーズ探偵というイメージを持っている人が多いかと思いますが、実はノンシリーズの短編ミステリも人一倍書いており、本書はそうした作品の中でも選りすぐりのものを集めた一冊です。「長い墜落」も実は原書ではこちらに収録されています(日本では『サム・ホーソーンの事件簿Ⅰ』(2000)に入っているので割愛されています)。
 ホックのシリーズ作品に馴染んでいる読者にとって、固定キャラクターの出ない短編ミステリというのは、それだけで一つの驚きだと思います。しかも、本書の収録作の多くは謎解き要素すらないのです。
 それでいて、抜群に面白い。
 一編目の「黄昏の雷鳴」(1962)を読んでいただければ、それが分かってもらえるかと思います。
 戦時中に犯した上官殺しの共犯者から脅迫を受ける男を主人公にしたこの短編は、謎解き要素の一切ない、ストレートなクライム・ノヴェルです。平穏な日常が、かつて自身がした行いによって崩れていき、その決着を犯罪に委ねる……いかにもな犯罪小説の筋で、読者がホックらしいと思うようなものではない。
 しかし、本編にはホックが無理をして、そうしたものを真似ただけという感触は一切ありません。主人公の揺れ動く心理も、謎解きミステリのツイストとは違う形で読者の予想を裏切る結末も、申し分なくよくできている。読後、思わずため息がこぼれてくるような佳編です。
 『夜はわが友』は、このような「ホックはこんな作品も書けるのか」という嬉しい驚きに満ちた一冊なのです。
 「雪の遊園地」(1965)や「谷間の鷹」(1968)のような切れ味のある推理を楽しめる作品もありますが、強い印象を残すのは、一見ホックらしからぬと思ってしまうような非本格ミステリの作品たちです。
 最後の最後まで噴出することのない静かな狂気を描く「みんなでピクニック」(1963)、軽やかな筆致とキレたアイディアが味わえる小洒落た「キャシーに似た女」(1966)、善良な青年が道を誤る瞬間と皮肉なツイストが強烈な青春犯罪小説「初犯」(1968)など、いずれも唸らざるを得ない逸品ばかり。ホックはMWAのアンソロジーの編者としても知られていますが、本書は一つ一つの作品のクオリティの高さ、バラエティの豊かさともに、それらに引けを取りません。
 特に素晴らしい出来栄えなのが「陰のチャンピオン」(1968)です。
 こんな作品も書きこなすのか、という驚きの意味では、本書の中でも随一の一編です。
 
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 その夜、タイトル・マッチに勝利したジム・フィッグはボクシングのヘヴィー級世界チャンピオンとなった。
 だが、勝利の余韻に浸る間はなかった。試合直後にジムは銃で脅され、謎の大富豪の屋敷へ連れ込まれる。
 そこで持ち掛けられたのは、屋敷の主であるロデリック・ブランコとの試合だった。ブランコは世界チャンピオンが変わる度にここで試合を行い、勝利しているという。彼は陰の世界チャンピオンなのだ……
 この粗筋からも分かる通り、本作は最早、クライム・ストーリーですらありません。
 一応、ブランコがやっていることは脅迫や監禁ではありますが、それをもって犯罪小説と呼ぶのは強弁が過ぎるでしょう。
 この短編で語られるのは、陽と陰、二人のチャンピオンの人生です。
 二十七年間の人生を全てボクシングに捧げ、ようやく世界一となったところで、倒した男よりももっと強いという男に呼び出されるジム。
 さる事情で表のボクシングの世界には出られないが、代わりにチャンピオンと秘密の試合をすることで自身の強さを証明する陰のチャンピオン、ブロンコ。
 この二人の試合がリング上で行われ……その先で、二人の人生の余りにも大きな違いが浮き彫りになる決着が待つ。
 そういう構造の短編です。
 決着に意外性はあるものの、物語として作者が最も描きたかったのはブロンコがその先に選ばざるを得なかった行動の部分でしょう。読み終えたあと、原題を見て、隠されたダブルミーニングに皮肉な笑いが浮かんでくる一編です。
 ホックのベスト短編の一つだと思います。
 
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 「長い墜落」を含めた『夜はわが友』の収録作を見渡した時、気づくのはどれも、作者がノンシリーズならではの作品を描こうとしていることです。
 いずれも、主人公の人生のハイライトを切り取るような作品です。
 登場人物が歩んできた道のりの集大成といえる事件や冒険を描いて彼ら彼女らの物語をそこで終わらせる。
 「長い墜落」のような謎解きものでも、謎を解いた人物がこの先、また何か事件に出会うことがあるとは思えない、というところまでキャラクターを使い切るのです。
 こう考えていくと、ホックのシリーズ探偵ものの作り方も見えてきます。こちらでは反対に、如何にして彼ら自身の人生を使い切らないか、というところに工夫を凝らしているのです。一編一編の短編ではなく、シリーズを通してみて、ようやく名探偵の人生が見えてくるように設定を作っている。
 こうしたところに、作家としてのホックの真摯さの一端がうかがえるように感じて、つい、嬉しくなってしまいます。
 エドワード・D・ホック、やはり素晴らしい短編職人だと思います。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人四年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby