書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、ちょっと今はお休み中。再開までしばしお待ちを。最新三月の動画はこちらです。
というわけで今月も書評七福神始まります。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
北上次郎
『暗殺者の悔恨』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳
ハヤカワ文庫NV
このシリーズのターニング・ポイントとなる作品だ。一人称で書かれているため、コート・ジェントリーの感情が露わになっていることに留意。この男が無敵のスーパーヒーローではなく、それなりの弱さを抱えていることが露呈しているのだ。
そのために物語に緊迫感が漲っている。救出に行っても相手が逃げないと言うのだ。
どうするんだジェントリー。救援を頼んだら、来たのがロートル軍団。ヘリのパイロットが75歳だぜ。大丈夫か。こんな展開をこのシリーズで読むとは思ってもいなかった。
これからますます面白くなると予言しておく。
川出正樹
『ファントム 亡霊の罠』ジョー・ネスボ/戸田裕之訳
集英社文庫
嗚呼、ついにここまで来てしまったか。星の数ほどいる名探偵の中でもハリー・ホーレほど痛ましい目に会い続けるヒーローもいないだろう。毎回毎回命の危険にさらされ心身ともに大ダメージを被り、打ちのめされてずたぼろになりながら、それでもなお真実を探求し続け悪と対決する。しかもこの状況はシリーズが進むにつれてどんどん苛烈になっていくのだ。
『スノーマン』で最愛の人ラケルと彼女の息子オレグを事件に巻き込んでしまい慚愧の念に堪えず二人の前から去ったハリー。けれども今回、『ファントム 亡霊の罠』で、ドラッグの売人殺しの容疑で拘束されたオレグを救うべく再度姿を現すことに。だが肝心のオレグは、なぜかハリーの救いの手を拒絶する。
天性の猟犬の地獄巡り、ここに極まれり。ネスボ作品で繰り返し取り組まれるテーマ――父子の愛憎、贖罪と救済、麻薬禍――に対する深慮、有罪が確実視される被疑者を救うという難攻不落な謎を解き明かし意外かつ衝撃的な真相を提示する見事な手際。そして〈名探偵の存在意義〉を問うラスト。シリーズ中でも屈指の完成度といっていい。
必携、必読。
酒井貞道
『地の告発』アン・クリーヴス/玉木亨訳
創元推理文庫
シェトランド諸島を舞台としたシリーズの新作である。
正直なところ、もうこれだけでファンには十分通じるはずなので、これで紹介を終えたいところだ。ただしさすがにそれは問題であろうから付言すると、今回はいつにも増して推理と伏線の精度が高い。ミステリ・ファン、特に謎解きファンは気に入ってくれるんじゃないかな。そして、いつもながら丁寧な事件と謎の仕込みによって、人間関係や人生模様の奥襞にまで、小説は分け入っていく。静かに、深く進んでいく物語。都会を舞台にするとこの雰囲気にはならないんじゃないかな、と思わせる要素は今回も多くて嬉しい。じっくり味わいたい素晴らしい小説だと思う。
吉野仁
『ナイト・エージェント』マシュー・クワーク/堤朝子訳
ハーパーBOOKS
ホワイトハウスの危機管理室で緊急電話を取り次ぐ深夜番を担当していたFBI職員が、ある晩、若い女性から受けた電話をきっかけに国家レベルの陰謀に巻き込まれていく……。正直なところ、まったく期待せずに手にとった。この手のサスペンスは舞台やスケールが大きければ大きいほど読んでがっかりする例が多かったからだ。しかし見事それを裏切ってくれた。登場する大統領はトランプではない架空の人物ながら「ロシア疑惑」を思わせる事件を絡ませており、謎にせまる展開やホワイトハウス内部のディテールや興味深いエピソードなど、しっかりと描いているのだ。ひさびさに堪能したスパイスリラーである。そのほか11月刊はシリーズの新作が多く、グリーニー、ネスボ、クリーヴスなどベテラン作家のものはみな読み応えあり。また今年のエドガー賞最優秀新人賞に輝いたアンジー・キム『ミラクル・クリーク』は法廷ミステリ。韓国人移民一家をめぐる話なので、ミン・ジン・リー『パチンコ』を読んだ方なら、なお興味深いかも。そうしたドラマの部分が読まされたのだ。もう一冊、2019年のエドガー賞YA部門受賞のコートニー・サマーズ『ローンガール・ハードボイルド』は、妹を殺した男を追う少女セイディの物語。吃音の女の子のキャラは印象的で、ラジオ局がその話をポッドキャスト化したとの展開が凝っているが、YA向けなので仕方ないにせよ個人的には全編にわたり少女の視点で描ききってほしかった。
千街晶之
『ファントム 亡霊の罠』ジョー・ネスボ/戸田裕之訳
集英社文庫
十一月の翻訳ミステリは、相変わらず堅実な謎解きが楽しめるアン・クリーヴス『地の告発』、主人公のうちひとりが直接は登場せずラジオの音声だけで紹介されるという実験的な語りのコートニー・サマーズ『ローンガール・ハードボイルド』も良かったけれども、ネスボの新作の衝撃がそれらを上回った。元刑事ハリー・ホーレの元恋人の息子に殺人の嫌疑がかけられ、ハリーは事件の背後にある麻薬組織の謎の黒幕に戦いを挑む。幾度も命を狙われる血みどろの地獄巡りの果てに、ハリーが辿りついた事件の真相には思わず絶句した。下巻の帯には「衝撃的な結末!」と記されているが、この惹句がこれほど相応しいミステリもなかなか見つからないだろう。
霜月蒼
『石を放つとき』ローレンス・ブロック/田口俊樹訳
二見書房
「ハードボイルド」とか「私立探偵小説」と呼ばれるミステリーがほとんど書かれなくなって、その理解もずいぶん後退してしまったような気がする。いま当たれる作例はチャンドラーとロス・マクドナルド、若竹七海に原リョウ(編集部注:『リョウ』は作字。『僚』のつくり部分)くらいだろうから仕方ないことではあるのだけれど。そこに刊行されたのが本書である。
ニューヨークの私立探偵スカダーを主人公とする作品集で、表題となった中編とスカダー物の全短編が収録されている。荒廃した街と共振するように絶望感を抱えたスカダーが、人の死と犯罪の中を巡礼するような初期短編に始まり、少しずつ彼も街も変わってゆく。最新作である表題作で、それが現在にたどり着く。いわゆるミステリー的なサプライズは希薄だが、短編の名手でもあるブロックの短編たちは、犯罪にまつわる、都市にまつわる素晴らしい作品ばかりだ。「バッグ・レディの死」「夜明けの光の中に」などはアメリカ・ミステリー史に名を残す名編です。都会小説の変種としての私立探偵小説の一つの到達点でもあるから、そちらの読者にも楽しめるだろう。例えばこの小説とオースターの『幽霊たち』は異母兄弟のようなものだ。都市の酷薄さと、都市の安らぎの両方が、犯罪を通じて描かれている。
そのほか、『暗殺者の悔恨』『ローンガール・ハードボイルド』も楽しみました。
杉江松恋
『ファントム 亡霊の罠』ジョー・ネスボ/戸田裕之訳
集英社文庫
11月最大の驚きはローレンス・ブロック『石を放つとき』が出たことだった。事前情報では中篇の長さゆえ本にするのが難しいと聞いていたのだけど、これまでのスカダーもの短篇を全部いれて一冊にするという手があったわけである。なるほど、そうくるか。嬉しい驚きだったので私立探偵小説ファンはぜひ。この他、心理描写が抜群に素晴らしいアン・クリーヴス『地の告発』もお薦め。古典探偵小説ではロバート・バー『ヴァルモンの功績』を読んで驚いた。原書の衒学趣味を活かして、明治の探偵小説的な訳文になっているのだ。一人称は「吾輩」である。賛否両論あるところとは思うが、訳者の苦労は讃えたい。
というわけで今月のお薦めなのだが、やはりネスボを措いて他にはないと思う。猟犬としての自分に嫌気がさした男が異国で隠遁生活を送っている。だが、愛する人の息子が殺人容疑で逮捕されたとの報を聴き、再び祖国に戻って来るのである。だから今回はハリー・ホーレ自身の事件である。状況は絶望的なのに横車を押し通して真相を探る。しかも無頼生活のつけでホーレは深刻な病を患っており、肝腎なところで倒れてしまったりもするのだ。この危機的状況を作り上げた上で、犯人探しの趣向でぐいぐいと読者を引っ張っていく。下巻に入ったところで呈示されたある仮説を読んだときには、うわっと声が出るほどに驚いて興奮した。よくもまあ、容疑者を見つけてくるよね。ちょっと変わった叙述形式で書かれているのだが、その理由がわかった瞬間にもかなりびっくりする。ハリー・ホーレ・サーガこれにて完結、みたいな感じの話なのだが、ぜひこれからもネスボを出し続けてもらいたいものである。この話から読んで全然問題ないので、興味を持ってくださった方はぜひ。おもしろかったら以前の巻も。ちなみに、この文庫解説は私が担当していることは先月もお伝えしたとおり。さすがにこれで年内の翻訳文庫解説はおしまいかと思ったら、このあとにもう一本入って、しかもまた北欧ミステリーの上下巻だったのでとてもびっくりしたのである。もう毎月北欧ミステリーの解説を書いてくれと言われても驚かないぞ。来月はそれをベストに選ぶかもしれないし選ばないかもしれない。なぜかというと刊行月をちゃんと確認しなかったからだ。十二月だったっけ、違ったっけ。
シリーズものの最新刊に人気が集まった十一月でした。単発作品ももちろん楽しみです。以前と違って年末にも力作が出るようになっているので、十二月ももちろん気が抜けません。さあ、次回はもう2021年です。とんでもない年になってしまいましたが、来年はいいことがありますように。みなさん、よいお年を。(杉)
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