新型コロナウイルスの感染拡大が大変なことになっている昨今だが、苦難と緊張ばかりが続いた日常を離れ、年末年始の巣ごもりの中でじっくり楽しみたい4冊。

■ドロシー・L・セイヤーズ『モンタギュー・エッグ氏の事件簿』


 ドロシー・L・セイヤーズ『モンタギュー・エッグ氏の事件簿』は、編訳者・井伊順彦氏による日本オリジナル編集。本書の特徴は、セイヤーズが生み出したピーター・ウィムジー卿の名声に隠れてはいるものの、もう一人の紙上探偵モンタギュー・エッグ氏の短編集になっているところ。ただし、エッグ物は6編の紹介で、残り5編は、おそらくは邦訳があるという理由で見送られたものと思われる。どうせならエッグ氏物の集成としてほしかったところだが、一方で、本書には、ウィムジー卿1編、ノンシリーズ物6編が収録され、中には「ネブカドザル」というオールタイムベスト級の短編が収録されているのは、思わぬ余禄だった。
 冒頭の長めの短編「アリババの呪文」は、ピーター・ウィムジー卿登場の「冒険」譚。犯罪結社を舞台にした作品で謎解き物とは言い難いが、半ばで明らかにされる趣向には唖然とし、喝采を送りたくなる。
 モンタギュー・エッグ氏は、ワイン酒造会社の訪問販売員で、旅先のセールスの間に事件遭遇する。作者としては、貴族で個性豊かなウィムジー卿と対極にあるような、平凡な庶民を探偵役にしてみたかったというところだろうか。エッグの謎解きの霊感の素は、彼の所持する『販売員必携』にあるというお約束は、ブラウン神父譚のパロディでもあるかのようだ。   
 「毒入りダウ‘08年物ワイン」は、奇矯な毒殺法が暴かれるワインミステリ。「香水を追跡する」は、宿のラウンジに集う客の中からエッグ氏は潜伏している殺人犯を推理する。エッグ氏が木に登ったネコを捕獲するという冒頭をもつ「マヘル・シャラル・ハシュバズ」は、「赤髪連盟」にも似た奇譚にして猫ミステリの秀作。勤勉で有能な猫を持ち込んだ者には10シリングを支払うという奇妙な広告。生活苦で家のネコを持ち込もうとしている少女に付き添うエッグ氏の人間味も印象深いし、事件の成行きも面白い。この結末に猫好きはどう反応するだろう。「ゴールを狙い撃ち」遺体の握っていた紙片から、エッグ氏の博識を生かして犯人を特定する。「ただ同然でダート・チープ」旅先の宿での隣室の男の殺人。エッグ氏が聞いた深夜の物音が事件攪乱の基になり、解決の鍵にもなる一編。「偽りの振り玉」同じく宿の殺人事件。犯人の偽計がそれとない一言から暴かれる。
 どれも短めの短編ということもあって、ちょっとした機智や知識での謎解きが多く、やや食い足りない面があるエッグ氏物に比べ、ノンシリーズは、教養深く、書くことが天職だったセイヤーズの面目躍如たるものがある。
 特に、「ネブカドザル」は、掌編ながら知的でサスペンスフルなミステリとして、同時代の水準から抜きん出ている。ネブカドザルはジェスチャーと言葉遊びを併せたようなゲーム。ある誕生会でネブカドザルが演じられるが、主人公は鬱屈を抱え、ゲームに気乗りがしない。しかし、バカ騒ぎが進むうちに、次第に蒼ざめ始める。男の内面で意識の流れ的に飛び交う言葉の奔流、莫迦莫迦しくもシュールな即興劇、謎解きの進行とサスペンスが渾然一体となった作品。謎解きが生む悲劇というアイロニーも圧巻だ。
 「ネブカドザル」に次ぐ出来映えなのは、「牛乳瓶」「屋根を越えた矢」。前者は、自宅前に残された牛乳瓶という情景に想を得たと思しい作品で、活力あふれる筆致が楽しく、後者は、物にならないスリラー小説ばかり書いている小説家が編集者に脅迫じみた策略を仕掛け、やがて……というメタフィクショナルな要素もある犯罪譚。自称作家の女性秘書の純情には泣ける。ある殺人計画の予期せぬ破たんを描く「噴水の戯れ」、哲学的難問から話がはじまる「板ばさみ」、はやらない床屋を主人公に逃亡殺人犯との接触を描く「バッド氏の霊感」の機智も楽しい。
 ノンシリーズ作品は、一編一編、違ったテーマとナラティブを楽しみながら試しているような感覚も窺え、セイヤーズの才気と創造性には、眼を見張るばかりだ。
 近刊予告に出た『ピーター・ウィムジー卿の事件簿』も楽しみ。

■クリフォード・ウィッティング『知られたくなかった男』


 クリフォード・ウィッティングは、1937年にデビューした英国のミステリ作家で、全部で16冊の長編を遺した。我が国で紹介されているのは、同じ論創海外ミステリの『同窓会にて死す』(1950)一作のみ。州の警察本部に勤務するハリー・チャールトン警部がシリーズ探偵を務める堅実で地方色豊かな本格ミステリといったところが、その作風のようだ。本書(1939)は、その4作目。
 英国南部の小さな町もクリスマスシーズンを迎え、たまたま当地に滞在中だった語り手ラサフォードも、クリスマス・キャロルを歌いながら寄付を募るキャロリングの活動に狩り出される。ところが、夜中のこの慈善活動のさなか、一行のうち、募金箱を抱えた男ヴァヴァッソーが失踪する。不可思議な失踪事件の謎を追って、滞在客クラウド=グレットヒルとラサフォードはその行方を調べるうちに、殺害事件に行くついてしまう。
 残念ながら、『同窓会に死す』を読み損ねたままだが、この作家の特徴として、上品なユーモアが挙げられる。地の文しかり、語り手やチャールトン警部などの主要登場人物しかり。とにかく、平板な叙述にならないように、機智のフレーバーをまぶした語りには、大いに愉快にさせられる。そのことと表裏一体といえるのが、人物描写の巧みさで、口さがない慈善活動家の妻と唯々諾々と従わざるを得ない夫の描写などに、その観察眼がいきとどいている。
 本作は、本格的なクリスマスミステリでもある。キャロリングというクリスマスの風俗に材を得ているところもそうだが、小さな町でクリスマスプレゼントを求めて人がごった返す描写や、主人公が子どもたちのパーティでいやいやサンタクロースを演じさせられる場面も、クリスマス気分をかき立ててくれる。
 事件のほうは、死体の発見以降、かなり意想外の展開をみせる。被害者の抱える秘密として同種のものは、他のミステリにも見出すことができるが、その道を極めたような展開は、本作独自のものだ。
 ただ、小説の後半は、チャールトン警部と語り手が南部の各地を巡る捜査が主流となり、前半パートの素人探偵が徐々に真相に迫っていく面白さが退いてしまうのは、いささか残念。
 結末における犯人の意外性は十分。作者は冒頭にホームズの台詞「目の前にあるのに、それに気づかないだけなんだよ、ワトスン」という台詞を引いているが、犯人に結びつく「見えない手がかり」について、作者は自信満々だったことが窺われる。「あべこべ」に見ていたと警部が述懐する作者のミスリーディングもアイデア的には優れている。ただ、いかんせん本書の場合、そのもたらす効果が小粒に過ぎた感は否めない。書き方によっては、さらに意外性に富むものになった可能性もあるように思われる。
 しかし、ラストで明らかになる動機に及んで、ある場面の本当の意味が鮮明に浮かび上がり、一読忘れ難い余韻を残すのは、作者の手柄だろう。
 英国の地方色豊かな町と地域で展開される、一見地味ながら、いくつもの創意を含んだヴィレッジ・ミステリの佳品。

■キャサリン・クロウ『スーザン・ホープリー』

(http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca15/683/p-r15-s/)
(画像をクリックすると〈書肆盛林堂〉の該当ページに飛びます)

 
 ヒラヤマ探偵文庫09、キャサリン・クロウ『スーザン・ホープリー』は、「モルグ街の殺人」と同年の1841年に出版された世界初の女性アマチュア探偵が登場するという長編。小さな活字で二段組480ページ、原作は3巻本というから、時代はずっと後になるが、ウィルキー・コリンズ『白衣の女』『月長石』級の巨編である。
 ストーリーは曲折に富み、登場人物は多数にのぼり、しかもそのうちの数人は変名で何役かを務めるなど、読了に時間をかけすぎると、物語の外に置いてきぼりになりそうなくらい。
 プロットの中核にあるのは、英国南東部に住むワイン商殺し。犯人は、その従僕と彼の愛人のメイドと目されるのだが、二人は杳として行方が知れない。スーザン・ホープリーは、犯人と疑われている従僕の姉でワイン商の召使い、殺人犯の姉という汚名を嫌い、恋人とも別れ、一文無しでロンドンに出て女中の仕事を得るが、そこでも事件に遭遇してしまう。
 ストーリーの中央にいるのは、スーザンだが、物語は、フランスに渡った女性の玉の輿話、
ロンドンで知りあった女性の両親の話、ワイン商の親族で遺産相続が許されなかった少年の冒険行と様々に分岐し、スーザン自身も身辺に起きる事件への対応に精一杯で、ワイン商殺しの真相にいっこうに近づく気配がない。かといってつまらないわけではなく、さすがに当時数多く版を重ねたというだけの先を読ませる力がある。作者はストーリーテラーというだけでなく、フランスに渡った女性の玉の輿話では、会話に喜劇的センスも感じさせるなど、硬軟の使い分けもうまい。
 スーザンが世界最初のアマチュア女性探偵とすることには、いささか疑義がある。彼女は、聡明で勇敢な女性であることは認めるが、自身の弟が犯人と目される事件の探偵役を務めるわけでもなければ、解決にほぼ寄与しない。彼女が解決に寄与したのは、女主人が布地の窃盗犯と間違われる事件だが、これも探偵を務めるわけではなく、この解決は彼女の偶然の目撃によるものだ。探偵としての主体性と行動・推理に欠けるし、本書を全体としてみれば、むしろスーザンは運命に翻弄される側にいる。
 「メイドの地位を善用して探偵の役割を同時に果たしていく」「いともたやすく犯罪を解決してしまう」(ルーシー・ワースリー『イギリス風殺人事件の愉しみ方』)、「スーザンは、多くのさまざまな謎を解き明かす」(サラ・パレツキー)といった評価には首をかしげざを得ない。むしろ、「ジュリアの両親の話」という挿話で、愛する人の無実を証明するため、男装して犯罪者の巣窟に乗り込む娘ジュリーの方に探偵としての主体性と行動があるのではなどと思ってしまう。
 と、女性アマチュア探偵という部分には辛口になってしまったが、本書がいくつもの犯罪を中心に組み立てたセンセーション・ノベルにして、探偵小説の原型を提供している一作である点に疑いはない。
 ワイン商殺しの真犯人は、今日ではすぐに見当がつくにしても、娘たちは救出されるのか、夫人は魔の手を逃れるのかというサスペンスをもって、フランスに舞台を移し、続々と関係者が彼の地に集結、法廷ですべての謎に決着がつけるという構成は、かなりの力技で、なかなかのもの。一見脇筋と思われた部分も、そこまでやるかというぐらいに回収し、画竜点睛がつけられる。探偵小説的には、事件が起きた家に関する関係者の妙なこだわりも、今日でも時折みられるような重要な伏線になっている辺りも見逃せない。

■ヴァルター・ハンゼン『脱獄王ヴィドックの華麗なる転身』


 本書『脱獄王ヴィドックの華麗なる転身』は、2018年(元本1980年)の著書の翻訳であり、18-19世紀フランスの犯罪者にして後に警察の捜査官や私立探偵に転じた実在の人物フランソワ・ヴィドックの伝記小説。論創海外ミステリのいつものラインナップとは大違いだが、あとがきによればドイツ文学者である訳者の持込企画のようだ。クラシックミステリというわけではないが、バルザックの小説に登場するヴォートランや、ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンのモデルであり、デュパンやホームズの造型にまで影響を及ぼした人物の伝記小説にも、少し触れておこう。
 ヴィドックには、自伝(『ヴィドック回想録』)があるが、それは出版者が著者に無断でゴーストライターに加筆を依頼したもので、分量が水増しされ、原型をとどめないほど歪められてしまったことを著者も訳者も力説する。また、ヴィドックは巷間いわれるような大犯罪者であったわけではなく、同房の囚人のための釈放命令の偽造という本人には身に覚えのない無実の罪で投獄され、脱獄を繰り返したことが本書で示されている。
 25度もの脱獄を繰り返し、警察のお尋ね者だったヴィドックが「犯罪捜査の父」に転ずる――その生涯が波乱万丈でなかったはずがないが、客観的な文献によってのみ再現され、捏造は何一つしていないと著者が胸を張る本書にしても、その生涯の振幅の激しさには驚きを禁じ得ない。
 北フランスのパン屋の子に生まれ、どん底の生活が逃れるべく、読書き算術、外国語の習得とフェンシングに打ち込んだ少年時代、家出してサーカスの一座で猿人を演じた流浪時代、フランス革命の戦火の中での軍隊修行、そして投獄と初の脱獄。暗黒街に身を隠すしかないヴィドックは、投獄と脱獄を繰り返すが、中でも牢獄ビセートルでガレー船奴隷の焼印を押される場面は強烈だ。そうした中でもヴィドックは証拠に基づき犯人を絞り込む手法やトリックにより犯人を割り出す方法を自らの力で開発していく。
 ヴィドックが「追う側」に転じたのは、公文書偽造でヴィドックに濡れ衣を着せた男を有罪とした警察や司法当局への感謝の念だったという。1809年獄中にあったヴィドックは、警視総監に上申書を書く。自らは犯罪と名のつくものは何一つ犯していない、逃亡生活を通じて暗黒社会について奥深い知識を習得している、と。パリの犯罪撲滅政策で何一つ実を挙げていなかった警視総監アンリは、仕事上の成果を確約するヴィドックの上申書に惹かれ、厳重な警戒の中ヴィドックと会うことを決断する。
 ここで、ヴィドックが警視総監に語った内容が本書のハイライトの一つ。
 ヴィドックは、植物学者リンネの植物の分類体系を持ち出す。それと同様に犯罪者の世界も分類が可能なのだと。殺し屋、強盗、盗人、性犯罪者、詐欺師などの大きな集団があり、盗人はまた多くのグループに区分けできる。彼らは一味特有の一定の犯行しか実行しない。それが暗黒街の掟である。犯罪者にはスタイルがあり、そのスタイルを知れば、犯人の絞り込みは容易である。そして、警察もまた、暗黒社会の犯罪体系に合わせて、殺人事件解明には殺人担当部署、強盗襲撃事件には強盗・強奪専門部署というように改組されなければならない-。
 このヴィドックの提言が現代の警察組織の編成にも及んでいることには感銘を受けずにはいられない。ヴィドックのアイデアを警視総監はフーシェ警察大臣に伝える。フーシェによりヴィドックは密かに釈放され、「犯罪捜査局シュルテ」を率い、輝かしい成果を挙げる。手掛かりの系統だった調査、分析・評価、証拠としての採用を全警察官に義務付けたことなども、ヴィドックの功績である。
 57歳になったヴィドックは、1832年シュルテの職を辞し、世界初の私立探偵事務所を開設する。事務所開設後の活躍がほぼ省略されているのは残念だが、本書は、コンパクトにヴィドックの生涯を知るには格好の読み物だろう。
 ヴィドックなかりせば、ミステリの歴史もまた大きく変わっていたかもしれない。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita






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