—— 進化を続けるマイクル・コナリーの「代表作」を探せ

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

 

加藤:いろいろあった2020年もいよいよ今日がオーラス。皆様、今年もお世話になりました。
 コロナ一色の一年でしたが、外へ出られなかった代わりに、たくさんの面白い本に出合えたし、オンラインでむしろ今まで以上に同好の士たちと触れ合えた気もします。
 2021年はポストコロナの新しい文化、オンラインとオフラインを良いトコ取りした世界が幕を開ける復興の年となることでしょう。災い転じて河豚と茄子。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」の第81回。当代を代表するスリラー作家、マイクル・コナリーの登場です。お題は『わが心臓の痛み』、1998年の作品です。いってみよう!

 FBI捜査官として連続殺人犯を追ってきたテリー・マッケイレブは、心筋症を発症して心臓移植を受けた。無事退院したものの、しばらくは心身ともに安静に過ごすことが求められていた。そんなある日、ひとりの女性が訪ねてくる。マッケイレブに移植された心臓は、殺された自分の妹のもので、犯人は今も捕まっていないというのだ。すでにFBIを退職し、探偵免許もなく、車の運転すら禁じられているマッケイレブだったが、周囲の反対を押し切って事件の渦中へと身を投じてゆく——

 マイクル・コナリーは1956年生まれのアメリカ人作家。フロリダ大学在学中にレイモンド・チャンドラーに心酔し、卒業後は地元新聞社に記者として入社。いくつかの新聞社を移りながら実績を重ね、ついにはピューリッツァー賞候補となるほどの力をつけ、メジャー紙・ロサンジェルス・タイムズに迎えられました。そして1992年、36歳のコナリーがロサンジェルス・タイムズ在職中に書いたのが『ナイトホークス』。今も続くハリー・ボッシュ・シリーズの第一作です。その年のMWA最優秀新人賞を受賞作しました。

『ナイトホークス』で登場した頃のボッシュは、ベトナム帰りの閉所恐怖症で一匹狼のLA市警刑事という「いかにも」な造形。ぼくにとってコナリーは完全に「こっち側」の作家という認識でした。しかし、新作を出すごとに少しずつ様相が変わってきました。
 1996年に書かれた初のノンシリーズ『ザ・ポエット』は新聞記者ジャック・マカヴォイが主人公。複雑なプロットと伏線を回収しまくる筆さばきに「まさか」と疑い、翌年の『トランク・ミュージック』(ボッシュ・シリーズ5作目)でボッシュがチームを組んだときには「よもやよもやだ」となって、さらに翌年、この『わが心臓の痛み』で確信に変わりました。キャラクターをドーンと出し、雰囲気とレトリックで煙に巻く伝統的チャンドラー系ハードボイルドという枠に収まるつもりがないことが明らかになったのです。(<いろいろ語弊ありすぎだろ)
 見損なったぞコナリー。卑しい街の路地裏が俺の棲み処だって言ったじゃないか。ニッチでサッチで陽の当らない道を一緒に歩こうと誓ったじゃないか。(<たぶん言っていないし誓ってもいない)
 そしてコナリーは一気にベストセラー作家へと駆け上がっていったのでした。

 そんなわけでコナリーの岐路的な作品ともいえる『わが心臓の痛み』は、アンソニー賞とマカヴィティ賞の受賞作。ちなみにこの作品が書かれた1998年は、いわゆる松坂世代がドラフト会議を賑わせた年でした。そして流行語大賞は「だっちゅーの」。懐かしいですねえ。ピンと来ない若い方も、お母さんは絶対に知っているので、あとでやってみてもらってください。

 閑話休題、いつかは番台。
『わが心臓の痛み』が日本で翻訳刊行された2002年にはクリント・イーストウッド監督・主演の映画が公開されました。畠山さんはコナリー読んでたっけ?

 

畠山:予想外(?)に加藤さんが饒舌。なぜオンラインイベントの時にその調子でル・カレを勧められなかったんだろう?
 あ、お礼が遅れました。先日はYouTubeライブ第4弾「世話人たちの今年のイチオシはこれだ!」をご視聴いただき、ありがとうございました。加藤さんと私は要らぬグッズを多用して、プレゼン内容に自信がないことを露呈してしまいました。事前に相談をしていないのに二人で同じことをするとは……解せぬ。そんなこんなではありますが、少しでも読みたい本を増やすお手伝いができていれば幸いです。ちなみに加藤さんのル・カレ推しは、☞こちらの16分00秒くらいからどうぞ。

 さてマイクル・コナリーです。『わが心臓の痛み』……タイトルからさぞかし心の痛むお話なんだろうと思ったら、主人公マッケイレブが心臓移植を受けたのが大きな前提条件ということで、比喩もあるけど、物理的にも痛かったのね、と変に納得。
 それにしても、「あなたは殺された妹の心臓を移植されたのだから、犯人を見つけて」とは、また大胆なムチャぶり。自分の命はドナーの死の上に成り立っているという複雑な感情と、犯罪者を捕らえるための一級品のノウハウを持っている自負が混ざり合って、マッケイレブは療養中の身を押して捜査に乗り出します。依頼人が美人だったから? という邪推は脇に置いときましょ。

 すでに警察が捜査した内容を、角度を変えて検証しなおす。FBIを退職し、今はなんの資格も権限も持たないマッケイレブがそんなことをするのですから、当然あちこちから疎まれるわけです。なかなか突破口が見えなくてジリジリしまくりの上巻から一転、下巻では「えーーっ!? まさかソッチ??」という驚きの展開になり、あとはラストまで一気読み。いろいろと溜まっていたフラストレーションも気持ちよく解消されて、文句なしに面白かったです。

 そういえば加藤さんがコナリーの『スケアクロウ』を推している記事(コナリー・ワールドの新たな入口——『スケアクロウ』)を発見しました。とにかく読め! という気持ちはわかるけど、水戸黄門のギャグは微妙すぎ。ピンとくるのに4秒半かかったわ!

 

加藤:懐かしい、もう8年近くも前の記事。たしかにいろいろ稚拙だし、オチが「フライングゲット」だもんな。思えば僕も随分と成長したものです。ん? ナニか言いたいことでも?
 あと、「世話人イチオシ」をご視聴いただいた皆様、ありがとうございました。終わった後で越前先生に職員室に呼び出され、1/17の追試を言い渡されたことを報告しておきます。☞こちらです。見るなよ、 絶対に見るなよ!

 そんなわけで、久しぶりに読んだ『わが心臓の痛み』でしたが、そのオリジナル性は色褪せないというか、今なお新鮮ですらありました。
 元FBI捜査官のマッケイレブが未解決事件を丹念に見直し、再構築しながら真相に迫ってゆく。その過程は地味ながら実にスリリング。これ自体めっちゃイイんだけど、最後に明らかになる犯人像とその動機に度肝を抜かれるんですよね。再読してみると、エサはさんざんばら撒かれていたことにも驚かされました。「上手い!」と「なんじゃコリャ!」が一緒に来る、まさに超一級のサプライズ。是非ご堪能ください。

 そして今回、『わが心臓の痛み』の面白さに改めて驚くとともに、「僕ならマストリードにコナリー作品のどれを選ぶだろう」と考えてしまいましたね。『ザ・ポエット』もいいし、『わが心臓の痛み』はもちろん、『リンカーン弁護士』ミッキー・ハラー登場のインパクトも凄かった。でも、やはりコナリーの看板はボッシュ・シリーズ。それ以外から選ぶのは「あそこのうどん屋は、まかないのカレーライスが絶品でね」みたいな話で、ちょっと申し訳ない気がしちゃうんですよね。

 思えば、ボッシュが流浪の警官人生を送っている間にときどき書かかれるノンシリーズがどれも面白く、それがメインストリームのボッシュ・シリーズに刺激を与え、またそれを取り込んでスケールを増し、ますます面白くなってゆくのがコナリーワールド。まるで夢の永久機関です。
 コンスタントに毎年新作が出て、そのうえ平均点が異様に高いコナリー。こんなに「代表作」を選ぶのに悩む作家って、おらんくない?
  そして、今年2020年にはなんとコナリーは3作も翻訳刊行され、新キャラクターもデビューしました。コナリーワールドはまだしばらく安泰のようですな。

 

畠山:マッケイレブには「正式な肩書がない」弱みに加えて、移植後の体調管理という厄介な制約があります。思いつくままにどこでも行けるわけではないし、微熱が出ただけでも拒絶反応かもしれないとヒヤヒヤもの。車の運転も禁止だから、隣人のロックリッジにお抱え運転手をお願いしなくてはなりません。
 それでもこの事件から手を引こうとしないマッケイレブは、究極のお人よし? いや、犯罪者を捕らえる使命を負って生まれた人なのでしょう。

 防犯カメラの映像の細部、被害者の持ち物の突き合わせなど、めっちゃ細かい作業ではありますが、小さな手掛かりが見つかるたびに武者震いがします。目撃者に催眠術を施す場面は特に面白かったですね。首尾よくいけば一気に犯人に迫れるけれど、新しい情報が得られなければ裁判の証人を失う(催眠術で記憶を新たにされた人は、法廷で証言できない)というイチかバチかの賭け。喉元まで心臓がせり上がりそうでした。1970年代までは催眠術を警察が普通に用いていたんですって。これにもビックリ。
 この、「やれることはみんなやる!」というマッケイレブの執念により、単純なコンビニ強盗殺人が次第に別の顔を見せ始めます。最後にお話が見事に繋がった時の感嘆たるや!
 絶対身バレの証拠を残さない周到な犯人の、唯一本人確認ができる“アレ”が示された時は、マジで「ああっ!」って声が出ましたよ。家で読んでてよかったー。

 マイクル・コナリー、ちゃんと読もうと思っていたけど、気づいたら既刊本がわんさか。しかも主要人物がクロスオーバーしてるとなると、もはやどこから手を付けていいのかもわからず、ちょっと手が遠のいてしまったという方、いらっしゃいませんか? 私はまさしくそのパターンです。

 加藤さんはうどん屋のカレーがどうのこうのと言ってますが、訳者の古沢嘉通さんは、本サイトの記事『初心者のためのマイクル・コナリー入門』で、コナリーワールドの入り口に『リンカーン弁護士』『わが心臓の痛み』を挙げていらっしゃいます。この機会に思い切って入門しましょう!
 ちなみに『リンカーン弁護士』は札幌読書会でも課題書にしたことがあります。ミッキー・ハラーの人物像に注目する方が多かったですね。映画も高評価でした。当時の板書を見てみると、「BGMを情熱大陸のテーマにすると読めた」と。よろしければお試しください(笑)

 さて! ただいま第十二回翻訳ミステリー大賞・予備投票を受け付けております。この予備投票は一般読者のア・ナ・タ!も参加することができます。詳しくはコチラ1月7日が締め切りです。お正月休みの間にぜひぜひ投票をお願いいたします。
 また年明けには読者賞のご案内もあろうかと思います。我々翻訳ミステリーファンのお祭りです! コロナで出歩けないと腐っている場合ではありません。読みましょう! そして投票するのです! みんなで面白い本を紹介しあいましょうね!

 というわけで、今年も大変お世話になりました。来年は、行きたいところに行き、会いたい人に会える、そんな日々が戻ってくるといいですね。あともう少し、頑張りましょう。どうぞよいお年をお迎えください。皆様の安全と健康を心よりお祈り申し上げます。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 本文にもありますが、マイクル・コナリー以前にはいわゆるハードボイルドものとそれ以外というように、キャラクターを重視する内容の犯罪小説については漠然とした認識がありました。ヒエロニムス(ハリー)・ボッシュものの第一作『ナイトホークス』は原書が刊行された1992年に日本でも翻訳が出ています。ボッシュ・シリーズは、小鷹信光定義によるいわゆる〈ネオ・ハードボイルド〉の遅れてきた真打である、というような受容のされ方をしていたのです。初期作品ではそれが続き、コナリー=ハードボイルドという認識がごく一般的でした。

 しかし、コナリーは古典的なハードボイルドの枠に自らを押し込めることはせず、作風の拡大を図っていきます。ボッシュの立場が変遷したこと、彼以外の主人公が登場するシリーズや単発作品が次々に書かれたことはコナリーが柔軟な姿勢で創作に臨んでいたことを示しています。2000年代の後半に入ると、ミステリー作家で評論家でもある法月綸太郎のように、コナリー作品に秀逸な謎解き小説の性格が備わっていることを指摘する人も出てきます。潮目が変わったと感じたのは2009年から2010年にかけてで、ミッキー・ハラーものの第一作『リンカーン弁護士』、ボッシュものの『エコー・パーク』『死角 オーバールック』といった作品が注目されてボッシュがハードボイルド・ファン以外に再発見されていきます。本格ミステリ作家クラブは2000年から2009年の十年間に書かれた優れた謎解き小説を顕彰する海外優秀本格ミステリ顕彰を2010年に行っていますが、このときにコナリーの『わが心臓の痛み』が最終候補作に選ばれています。ちなみにベストに選出されたのはジャック・カーリー『デス・コレクターズ』でした。

『わが心臓の痛み』をノンシリーズながらマストリードに選んだのは、以上のような経緯があったからです。コナリーの30年間は、アメリカ・ミステリーの変遷そのものでもあります。彼の作品を読んでいけば、このジャンルに対する需要がどのように変わっていったかが一目でわかるでしょう。逆に、そうした外部の声に対して作家が抵抗し、自分の作品世界を確立していく過程も見えてきます。ジャンルが先行するのではなくて、作品が第一である。その当たり前のことをコナリーからは改めて教わったような気がします。

さて、次回はデニス・レヘイン『愛しき者はすべて去りゆく』ですね。こちらも期待しております。加藤さん、畠山さん、そしてみなさん。どうぞよいお年を。

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N