書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、ちょっと今はお休み中。まだちょっと再開は難しいのですが、近日中に2020年度ベストテンは公開予定です。そちらをぜひご覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『ホテル・ネヴァーシンク』アダム・オファロン・プライス/青木純子訳

ハヤカワ・ミステリ

 今や廃墟となった巨大リゾート・ホテル〈ネヴァーシンク〉。この〈不沈艦〉の上で、二十世紀初頭に始まり約一世紀にわたる創業者一族四代の栄華と零落を縦糸に、ホテルと関わった人々の織りなす悲喜劇を横糸に織り上げられたアダム・オファロン・プライスの『ホテル・ネヴァーシンク』は、よくある設定と思いきやなんとも不思議な幻想感と郷愁漂う読み心地のミステリだ。

 過去に遡り数年おきにエピソードを連ねていくオムニバス映画を見続けているようとでも言いましょうか。豪奢絢爛たるタペストリーが、時の潮にさらされて綻び、破れ、褪色するにつれ、密かに織り込まれていた黒い縦糸が段々と露わになっていく。ホテル周辺で繰り返し起きる子供の失踪事件の真相を、編年体とグランド・ホテル形式の掛け合わせで、原則一回のみ起用される十人を超える視点からプロッティングして綴りあげていく手法が新鮮。最後に語られる真相も見方によっては藪の中だ。

 イーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」の歌詞にあるように、ホテルに魅せられ自らの意思で囚われてしまった人々の人生を時に猥雑に、時に哀感を持って描き出した読後あとを引く逸品。ちょっと、ケイト・アトキンソンの『世界が終わるわけではなく』(東京創元社)に通ずる味わいが感じられるのは、翻訳者がどちらも青木純子氏だからというだけじゃないと思う。

 

千街晶之

『ミラクル・クリーク』アンジー・キム/服部京子訳

ハヤカワ・ミステリ

 十一月刊行の作品だが、先月の書評七福神更新時点では読めていなかったので今回紹介することに。賛否両論の医療が行われている施設で放火事件が起き、焼死した少年の母親が犯人として逮捕された。その裁判の過程で、次々と暴かれてゆく関係者たちの秘密。ひとりひとりのあやまちはささやかなものでも、それが積み重なれば途轍もない悲劇を生むという非情なメカニズム。登場人物の誰が最大の罪人だったのか、誰かが欠けていればこの悲劇は起きなかったのか、読者に問いを鋭く突きつけるようなミステリだ。また日本人読者の立場から本書を、韓国人のアメリカ社会に対する違和感を描いた小説として読むと、同じアジア系としての民族性の共通点が浮かび上がってくるのが興味深い。

 

酒井貞道

『文学少女対数学少女』陸秋槎/稲村文吾訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 
 本格ミステリにおける謎解きは読者を惹きつけて止まない。だが、その論理が数学同等の厳密性を保持しているかというと……。『文学少女対数学少女』は、推理小説のロジックが数学的精度のツッコミを受けて見事に破綻する短篇により構成されている。しかし、皮肉な韜晦で笑いを取って終わりとするのではなく――身も蓋もない結論を出しはするけれど――ちゃんとその先を示してくれる。またそれが、青春模様の活写に実によく馴染むんですよねえ……。推理という行為の屋台骨が揺らぎながらも、あまり深刻にならず絶望もなく、前向きで希望があり未来志向なのが素晴らしいと思います。

 

北上次郎

『ホテル・ネヴァーシンク』アダム・オファロン・プライス/青木純子訳

ハヤカワ・ミステリ

 リゾートホテルを舞台にした連作集で、半世紀にわたる歳月が背景に静かに流れ、その前面で展開する人々のドラマが妙に胸に沁みる。普通小説の味わいに近いが、今月はこういう小説を読みたい気分なのである。

 

 

霜月蒼

『マイ・シスター、シリアル・キラー』オインカン・ブレイスウェイト/粟飯原文子訳

ハヤカワ・ミステリ

実をいうとカリン・スローターの『ざわめく傷痕』にぶっとんだのである。デビュー作『開かれた瞳孔』に続く検視官サラのシリーズ第2作だから、原著の刊行は2002年だが、すでにスローターの美質が開花している。例によって暗澹たる悪意と加害がプロットの中心におかれ、犯罪被害の傷の深さと、そこからの回復の苦闘が真摯に(≒容赦なく)描かれている。主人公サラも、一種の敵対関係にある刑事レナも、犯罪被害の傷を抱えた人物であることが本作で明確になり、ことに近作では読者の共感を拒むような人物として描かれるレナの内面は(すでに読者の共感を遮断するようなバイアスをスローターは意図的にかけているが)読んでいて痛ましい。『砕かれた少女』などの傑作に比肩する出来栄えであり、20年近くのブランクを置いて紹介が再開された初期シリーズも、やはり必読だと確信した。

 とはいえ新作が出るたびスローター推しは芸がないので、軽妙さと病みが絶妙にブレンドされたナイジェリアの犯罪サスペンスである本書を挙げたい。著者はナイジェリアのラゴス生まれ、ラゴス在住だが教育はイギリスで受けていて、本書は英語で書かれている(ブッカー賞候補にもなった)。

 セクシーダイナマイトな妹を持つ地味な姉が主人公のこちら、問題は妹が彼氏をやたらと(物理的に)殺してしまうことである。主人公は毎度その死体を処理してきたのだが、彼女が恋心を抱く医師が妹に一目で恋に落ちてしまい、好きな人はとられるわ好きな人が妹に殺されるかもしれないわでどうすればいいんだ私!……というお話。詩人でもある著者の語り口はイキがよく、大層クールである。ブラック犯罪コメディとして一級品で、ミステリーにも新鮮なvoiceが欲しいと思っているひとは必読です。ちなみにアフリカを舞台にしたミステリーは過去にもあるが、植民地小説の匂いのしないものは思い浮かばず、その意味でも本書は新しいのではないかと思う。

 

吉野仁

『ホテル・ネヴァーシンク』アダム・オファロン・プライス/青木純子訳

ハヤカワ・ミステリ

 山あいにそびえる〈ホテル・ネヴァーシンク〉を舞台に、そこで起きた子供たちの行方不明事件を軸とした物語が一九五〇年から二〇一二年まで展開し、ホテルの創業一家の面々のみならず、従業員や関係者などが、章ごとに語り手を変えてつとめる連作形式のゴシック・ミステリだ。どこか歪んだ人間性をもてあます登場人物たちの魅力や交錯していく話の妙などがあいまって、頁をめくればめくるほど怪奇の迷宮に入り込んでしまう。これはもう傑作です。そのほか、娘を救おうとする父親の物語、ハーラン・コーベン『ランナウェイ』は、冒頭シーンからたちまち主人公の父親に感情移入してしまい、胸がはりさけそうな気持ちで読みはじめた。しかも、そこへ奇妙な殺し屋コンビがたびたび登場し、謎の殺人を重ねるなど、全体の構成が凝っているばかりか、当然、とんでもない結末が用意されているのだから、もう勘弁してくれコーベンさん、としょうもないダジャレを言わざるをえないではないか。また、カリン・スローター『ざわめく傷痕』は、復刊されたデビュー作『開かれた瞳孔』につづく〈グランド郡〉シリーズ第二作。もしスローター作品に興味がありながら未読のままで、これからなにか読んでみようと思うのであれば、この二作を順に読むよう薦めたい。本作が発表された当時は女性検死官が登場するサイコ・サスペンスの側面が強調されていたのかもしれないが、現在の眼からみると、物語に横溢しているのは極限までの絶望にむきあいながらも闘うヒロインたちの凄みだと気づく。

 

杉江松恋

『ホテル・ネヴァーシンク』アダム・オファロン・プライス/青木純子訳

ハヤカワ・ミステリ

 ページをめくり始めて数分もたたないうちに、あ、これが月のベストだ、と確信した。ハヤカワ・ミステリを読んでいてこういう気分になったのはいつ以来かな。ニック・ダイベック『フリント船長がまだいいひとだったころ』以来じゃないだろうか。感情の中の、普段はそれほど外から影響を受けることがない芯のような部分に物語がすうっと沁み込んできて、自分が小説と一体になてしまうような感覚。ほどよいお出汁で煮込まれている稲庭うどんになった気分だ。

 もともと断章小説が好きだということもあるのだが、これもそう。キャッツキル山地にそびえる老舗のリゾート・ホテルが舞台で、経営者一族や使用人など、そこにさまざまなかかわり方をしている人々が入れ代わり立ち代わり視点人物を努めて、自らの身の上話をしながらホテル・ネヴァーシンクの衰亡史に係わるピースをちょっとだけそこに織り交ぜていく。発端は少年がホテルの敷地内で行方不明になるという事件なのだが、それ以前に創業者の男が食うに困って身体に障害を持った我が子を捨てるという恥ずべき過去が語られる。それがおおもとなのだとしたら、まるで怪談の因縁話ではないか、などと思いながらさまざまな語りを読んでいる間の快楽よ。物語が行き着く先がどこであろうと関係なく、ただただ心地よい流れに身を任せることができた。

 そういえば先月ここでいつになるかわからないと言った北欧ミステリーだが、無事に刊行されていたのでご報告したい。ラーシュ・ケプレル『つけ狙う者』だ。『砂男』に続くヨーナ・リンナ・シリーズの第五作である。正直言ってこの連作、ハヤカワ・ミステリ文庫で出ていたときは厚さの割に内容は今一つで、それほど感心はしていなかったのだが、『砂男』で完全に変わった。謎解きの趣向とスリラーの手法が融合して、この作者にしかないという圧巻の読み心地を提供してくれるのである。詳しくは解説に書いちゃったので、そっちを読んでください。まあ、ちょっと凄いですよ。

 

 お気づきの方はお気づきかと思いますが、ちょっと変わった顔ぶれになりました。こういうこともあるのね。緊急事態宣言が一部の都府県で発令され、外出もままならない時節です。どうぞご自宅で翻訳ミステリー読書をお楽しみください。また来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧