中国の書評家/編集者の華斯比が毎年編さんする、中国の短編ミステリー小説を収録した年刊『中国懸疑小説精選』の2020年版をもらったので、今回はこれをレビューします。
年々若手の収録作品が目立つようになった本シリーズ、今回はほとんどの作家が90後や00後(1990年代生まれ、2000年代生まれを表す)で、その平均年齢の低さにも驚きましたが、それらの作品の投稿先に起きた変化も考える価値がありそうです。
※( )内の日本語タイトルは全て仮訳です。また著者プロフィールは本書からの抜粋です。
1「你一生的魔術」(人生のマジック)
著:許言……90後のミステリー作家、翻訳者。かつて中国のミステリー専門誌『推理世界』に短編を投稿。カレン・M・マクマナスの『誰かが嘘をついている』、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』などの長編ミステリー小説を翻訳する他、多くの短編SF小説も翻訳。
古典ミステリーの大作家だった父・高元とは対象的に、ミステリーと「泣ける」要素を組み合わせて毎回ベストセラーを叩き出す売れっ子作家の高従遠は、父親のファンだったというマジシャンに出会う。古典ミステリーなんか古臭いと吐き捨てる高従遠に対し、マジシャンは高元の遺稿と手紙の入った金庫を使って勝負をしようと提案。2人は高元が所有していた、金庫を保管しているマンションへ行く。そして、高従遠が金庫の暗証番号を変え、マジシャンがその金庫を開けて中から遺稿を取り出して部屋に隠し、高従遠がそれを見つけたら勝ち、見つけられなければ負けという宝探し勝負をする。普通に考えれば、金庫の暗証番号を当てること自体不可能なのに、マジシャンはそれをたやすく開ける。しかも部屋のどこを探しても遺稿が見つからない。マジシャンが使った古典的なトリックとは?
大の男2人が部屋で宝探しごっこをするという、一見平和ですがミステリー作家とマジシャンのプライドがかかった戦いの真剣さは、殺人事件にも匹敵。マンションの構造や金庫のことも知っていて、事前にタネを用意できたマジシャンの方が一枚も二枚も上手。諸々の入れ替えトリックは大胆で、ミステリー作家なのにどうして気付かないんだよという疑問が浮かびますが、古典ミステリーをバカにするとこうなるぞ、という作者からのメッセージかもしれません。
2「牽糸戯,傀儡劇」(人形芝居、傀儡劇)
著:永晴……90後の現役院生。ミステリー関係のアニメや映画の製作にも携わる。
サーカス団の虎が調教師を噛み殺すという事件が起きた。その場に居合わせた小盧から話を聞くと、彼はネットで知り合った雪児という女性の「自分を見つければ付き合う」という誘いに乗り、指示に従ってやって来た現場で、不審な人影を目撃したと言う。捜査線上には、被害者のかつての恋人で同じサーカス団に所属する施凝淼という女性が上がるが、彼女には事件当時恋人といたというアリバイがあり、また短期間で人を殺すように虎を飼いならすことも不可能だった。だが彼女は複数の顔を持ち、現恋人や小盧ら男を操って自身のアリバイをつくっていた。
だいたいにおいて女性が被害者になるリベンジポルノを扱った一作。容疑者の施凝淼には逃げおおせてほしかったですが、例え自分が別の事件の被害者だとしても、それは他人を傷つけていい理由にはならないということでしょうか。作中で指摘されているとおり、施凝淼のトリックもアリバイ工作も全体的に破綻しており、復讐のために冷静な思考ができなくなって、自分の犯行を完全犯罪だと信じ込んだ復讐鬼の滑稽な様子を書いたシニカルな作品でもあります。
3「死者,AI」
著:青稞……90後の本格ミステリーマニア。香港の大学で博士課程を履修中。『巴別塔之夢』(バベルの夢)が第5回島田荘司推理小説賞入選。他に『鐘塔殺人事件』『日月星殺人事件』などの長編作品がある。
ハイスペックな仮想マシンの登場により、ユーザーは現実と変わらないクオリティのゲームを楽しめるだけではなく、そこでNPCの死も体験できるようになった。「名探偵」として知られる邱河は、ゲームのNPCが「殺害」された事件の捜査を頼まれる。依頼人の鄒泰によると、NPCの「小環」を巡って喧嘩した劉坤がその腹いせに小環を殺したということだが、事件当時、劉坤はゲームにログインしていなかった。あくまでもゲームの中の事件であり警察も動けないため、邱河が自らゲームの中に入って捜査すると、小環を知る蔡暁という男と出会う。だが時を同じくして現実世界で殺人事件が起き、容疑者の名前に上がったのがなんと蔡暁。警察は、NPCの殺害と現実の殺人事件はつながっていて、これは手の込んだ交換殺人ではないかと疑う。
SFの世界にミステリーのお約束の「交換殺人」を持ってきた結果、現実と仮想が重なり、人間とAIが混じり合った世界の多重構造の殺人事件が描かれます。一人がゲームのNPCを殺す代わりにもう一人が現実世界の人間を殺すのは、釣り合いが取れていません。しかしNPCを人間以上の存在だと考えている人物にとってそれは公平……と、本作はここまで話が及ぶと急に、「実はこの世界は……」という作者の「種明かし」のフェーズに入ってしまう。仮想世界という無限の空間とAIの特性を利用した交換殺人のアイディア自体は面白かったので、最後まで小説として話をまとめてほしかったです。
4「零的奇跡与二分魔法」(ゼロの奇跡と2分の魔法)
著:会厭……90後、元上海交通大学推理協会幹部および上海交通大学医学院推理協会会長。
幼馴染の少女・陳夢瑶が交通事故で死んだことが、彼女の父親・夏君澤から発表される。だが王諾は、医者である夏君澤が娘の死を偽装して、陳夢瑶がどこかで生きているのではないかと疑う。彼の予想は当たり、陳夢瑶は四肢を失い、もともと病気だった心臓を移植手術した状態で生きていた。しかし心臓の臓器提供者がそう簡単に見つかるはずがない。陳夢瑶と同じタイミングで病院に運ばれた江覚文という男はいったい何者なのか。
冒頭で作者から読者へのメッセージがあり、本編には双子を使ったトリックと叙述トリックが含まれると宣言しています。作者が医学を専攻しているだけあって、手術などのシーンは現実に即したものであるでしょうし、四肢を失った少女や結合双生児などを出す悪趣味さは『新青年』を思い起こさせ、嫌いではありません。しかしこのレトロなグロテスク表現と正確な現代医学知識はあまりかみ合わせが良くなかったと思います。
5「鯁」(喉に刺さった小骨)
著:軼秋……90後、四川大学大学院の修士。2014年からミステリー小説の執筆を始める。バンドではキーボードを担当。
かつて世界を席巻させた有名バンド・The Waste Land。メンバーのロデリック、ウェル、ポール、カートの4人は世界ツアーの途中、ある事件に巻き込まれ、活動停止を余儀なくされた。4人が朝食を取っている際、ボーカルのウェルがヨードフォア入りのコーヒーを飲み、口の中をやけどして、それから歌が歌えなくなったのだ。しかしそのコーヒーはもともとウェルの兄・ロデリックのもので、ピーナッツアレルギーを持っていたウェルはピーナッツ入りのケーキを食べたからそれをゆすぐためにコーヒーを飲んだのだが、実はその前にロデリックがケーキをすり替えていて……当時大ニュースになり、未だ真相が明らかにされていない事件を探偵たちが再び推理する。
このThe Waste Landのモデルはオアシスだそうです。事件直前の各人の行動を洗うと、4人共みな怪しいのですが、そもそもなぜウェルはわざわざロデリックのコーヒーを飲んだのかという疑問に焦点を当て、意外な人物が犯人だという説を推していきます。これも一種の日常ミステリーなんでしょうかね。
6「変道」(路線変更)
著:塩糖……90後? 短編『他殺』と本作はそれぞれ第1回・第2回華斯比推理小説賞に入選。
2003年のある雨の日、バスから途中で下りた女性が車に撥ねられ子どもと共に亡くなるという事故が起きた。それからしばらくして、その路線バスの別の運転手がバスの中で絞め殺されるという事件が起きる。2018年の今もそれらの事件の謎を追う警察官が関係者から話を集めた結果、乗客を途中下車させた運転手があやしいと睨む。実はその運転手は、バスの運転の他に違法な小遣い稼ぎをしており、途中下車もその「バイト」が関係していた。
渋滞を利用した絞殺トリック。渋滞でゆっくり進むバス同士がすれ違い、運転手同士が窓を隔てて接近する瞬間を利用したトリックは面白かったです。運転手としてのアイデンティティや、違法な仕事であるにもかかわらずそれを誇りに思っているといった歪んだ労働観が、うまく表現できていたと思います。
7「子彦」
著:伏羲、嘉航、煙雨痴纏……それぞれ00後、00後、大学卒業生(つまり00後)で、本作はこの3人によるリレー小説。
旧校舎に伝わる13階段の謎を解き明かしに行く陸子彦・子エイ兄妹。だがその校舎にはなぜか自分たちの父親の名前が書かれた紙が落ちていた。陸子彦は廃校を探索しながら父親の秘密にたどり着く。
3人のうち嘉航は中国ミステリーが好きらしく、中国の社会派ミステリー作家・呼延雲の作品をネタにしたり、その作品タイトルを小見出しに使ったり、ボカしていますが雷鈞の『見鬼的愛情』(妖異と恋情)に書かれている幽霊の科学的根拠を引用したりしています。中国ミステリーで日本や欧米ミステリーネタに走る作品は少なくありませんが、ここまで中国ミステリー寄りな作品は珍しい。
短編小説1本をリレー形式で書いたという小説はほとんど読んだことないのですが、前の書き手が「○○が死んでいた!」という終わり方をして、次の書き手が「実は死んでいなかった!」とつなげるのは有りなんでしょうか。
8「埋下硬幣之後」(硬貨を埋めた後)
著:無塩城……北京大学数学科学大学院在籍。元北京大学推理協会会長。本作は2020年度第17回全国大学BBS探偵推理大会で「最優秀ミステリーテーマ賞」受賞。
大学に進学した同級生たちが母校を訪れる。この高校には大学受験前に校内のある場所に1元硬貨を埋めると願いが叶うという言い伝えがあった。校内をあらかたまわった6人が休憩所に腰を下ろすと、そこにはオレンジの入った袋が。しかし誰も自分が買ったと名乗り出ない。一体誰がオレンジを買ったのか。そしてオレンジを買った時間、彼らはそれぞれ何をやっていたのだろうか。
オレンジを買った人を当てる、探偵役が見ていないところで彼らが何をやっていたのかを推理する、という物騒さのかけらもない日常ミステリー。図書館で借りた日本の小説の内容を知っているか否かがアリバイ崩しに使われるという、作者の読書家な様子を伺わせる内容でした。
■感想
8作品中、雑誌掲載作品が1作、単行本収録作品が1作、スマホアプリ掲載作品が1作、Wechat(Lineのようなチャットアプリで、公式アカウントから文章などを発表できる)公式アカウント掲載作品が2作、推理協会の機関誌掲載作品が3作です。ミス研機関誌から作品を持ってくる商業短編集ってなかなかないんじゃないでしょうか。
作家はほとんど90後か00後、すなわち30代~20代という若年層が占めてますが、これは決して中国ミステリー作家に世代交代が起きたということではなく、いま中堅以上のミステリー作家の大半が短編を書かないからでしょう。一部の作家は自身のSNS公式アカウントで有料で発表するなどしてますが、短編を発表する場所がこのままなくなり続けば、次の『中国懸疑小説精選』は機関誌からの収録がさらに増えそうです。いま中国では短編・中篇・長編のミステリー小説を対象にした賞を開催しており、『中国懸疑小説精選』の編者・華斯比も短編小説向けの賞を設立しましたが、2020年は開かれなかったため、本書ではその入選作品は当然ながら一作も収録されてません。
本書の内容は決して、20~30代の若手作家や学生作家の積極的な活躍を示したものではありませんが、一方では希望も見え、雑誌など従来の投稿のプラットフォームがなくなった代わりに、SNSで有料販売するというルートが定着すれば、中堅作家が戻ってくるかもしれません。ただそのためにはさらなる短編小説集の出版が必要であり、昨今あらゆる本が出版しづらくなっている中国の現状を考えると、ミステリー作品だけで短編集を出すのは難しそうです。ここで紹介されたミス研出身者たちが今も執筆を続けているなら、次回作はいったいどこに掲載されるのでしょうか。
阿井幸作(あい こうさく) |
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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。 ・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
●現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)
●現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)
●現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)