田口俊樹

 ちょっとまえのことですけど、初めて行った薬局でのこと。今飲んでいる薬を訊かれました。私、高血圧なので降圧剤と答えました。すると、そのお薬の名前はわかりますか? とさらに訊かれました。なんとかペジン? なんとかピジン? それともジピン? すぐには思い出せませんでした。で、そのとおり答えると、マニュアルにきっと書いてあるにちがいない老人向け口調で慰めるように言われました、そうですよね、カタカナは覚えにくいですよね、と。私、むっとして心の中で叫びました――バカヤロー、こっちは日本一の翻訳家だぞ(あくまで個人の感想です)カタカナがわからなくて仕事が務まるか! カタカナだけじゃないの、全部覚えられなくなってるの!
 突然ですが、『日々翻訳ざんげ――エンタメ翻訳この四十年』絶賛発売中です。よろしく!

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀)

 


白石朗

 スターチャンネルが放映したHBO製作のドラマ《ペリー・メイスン》のファーストシーズン全8回。初回と二回めの半分まで見たところで一回脱落していたのですね。だってほら、白熱の法廷劇を期待したら……1930年代のロサンジェルスの底辺をうろうろして映画スターの情事の現場写真なんか撮っている冴えない風貌の私立探偵のドラマだったんだもん。でも、全話録画完了を好機として完走したところ……おやおや、バットマン前史としての《ゴッサム》みたいなドラマで、原作シリーズをかつて愛読した者としてはたいへん満足でした。シーズン2も楽しみ。
 おなじくHBO製作&スターチャンネル放映のドラマ《アウトサイダー》の原作、スティーヴン・キング『アウトサイダー』が今月下旬に刊行されます。酸鼻をきわめた少年凌辱殺害事件が発生、警察は絶対確実な物的証拠をもとに容疑者を逮捕しますが、この容疑者にはまた反証不可能な鉄壁のアリバイがあったのです。しかもこの事件は痛ましさのきわみのような悲劇の連鎖を引き起こし……というキング流儀のノンストップ・ミステリー。どうぞお楽しみに。

(しらいしろう:老眼翻訳者。最近の訳書はスティーヴン・キング&オーウェン・キング『眠れる美女たち』。〈ホッジズ三部作〉最終巻『任務の終わり』の文春文庫版につづいて不可能犯罪ものの長篇『アウトサイダー』も近刊予定。ツイッターアカウントは @R_SRIS)

 


東野さやか

 本は電子書籍でがんがん買うくせに、音楽はサブスク配信どころか、ダウンロードすらめったにしないCD派です。今年最初に買ったのはバリー・ギブの “Greenfields”。ビージーズのバリー・ギブがカントリー系のミュージシャンを集め、ビージーズの名曲をカバーするというコラボアルバムです。大好きなキース・アーバンとジェイソン・イズベルが参加しているというだけの理由で買ったのですが、いやあ、これ、いいですね。ビージーズの曲は時代によってフォークロックだったりディスコだったりと、バラエティに富んでいますが、そのどれもが心地いいポップカントリー調に仕上がっています。お気に入りはジェイソン・イズベルと歌う「ワーズ・オブ・ア・フール」ですが、オリヴィア・ニュートン=ジョンとの「レスト・ユア・ラブ・オン・ミー」にもぐっときました。1978年の「失われた愛の世界」のB面(もう、若い人にはなんのことやらですよね。カップリングでも通じないでしょうか)だったそうですが、バリー・ギブの末弟で、1988年に30歳の若さで亡くなったアンディ・ギブとオリヴィアがデュエットしていたことのほうをよく覚えています。もう40年も前のことなのか、としみじみしてしまいました。

(ひがしのさやか:最近のおもな訳書はクレイヴン『ストーンサークルの殺人』、フェスパーマン『隠れ家の女』。その他、ジョン・ハート、ウィリアム・ランデイ、ニック・ピゾラット、ローラ・チャイルズなどを翻訳。ツイッターアカウント@andrea2121)

 


加賀山卓朗

 過日、書評七福神でも推されていましたが、『ホテル・ネヴァーシンク』(アダム・オファロン・プライス著、青木純子訳)、とても気に入りました。あまり「ゴシック」な感じはしなかったけれど、登場人物ひとりずつの視点で書かれた各章がときに独立した短篇小説のようで。とくに、オーナーの奥さんのレイチェルの章がよかった。親父さんの本棚にあったル・カレやカラマーゾフを読んでいたりして、ちょっとスパイめいた行動もとる。私と趣味が同じじゃないですかっ! 

(かがやまたくろう:デニス・ルヘイン、ロバート・B・パーカー、ディケンズなどを翻訳。昨年末は、ジョン・ル・カレの訃報が胸にこたえました)

 


上條ひろみ

 ロバート・クレイス『危険な男』(高橋恭美子訳/創元推理文庫)は、わたしにとって文句なしのごはん三杯案件。だって、あの寡黙でめちゃ強いヒーロー、ジョー・パイクをたっぷり堪能できますのよ。『天使の護衛』からは十年ぶりの主演作。圧倒的な包容力と安心感がたません。つらいときやピンチのとき「もうだいじょうぶだ。いま助けだす」と心のなかのパイクにささやいてほしい。
 シリーズ十五作目となるM・C・ビートンの『アガサ・レーズンの探偵事務所』(羽田詩津子訳/コージーブックス)は、おもしろさMAXで、読みはじめたら止まらない。ヘンなキャラが目白押しで、アガサが普通に思えるほどだし、謎解きもバッチリ。ちなみに現在、「みんなでアガサ・レーズン応援企画」として、「わたしが好きなアガサ・レーズン三冊」のツイートを募集中だそうです(詳しくは訳者あとがきをごらんください)。どれもおもしろいから、選ぶのはなかなかむずかしそう。

(かみじょうひろみ:英米文学翻訳者。おもな訳書はジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、ジュリア・バックレイ『そのお鍋、押収します』、カレン・マキナニー『ママ、探偵はじめます』など。最新訳書はハンナシリーズ第21巻『ラズベリー・デニッシュはざわめく』)

 


高山真由美

 先月は仕事以外の部分でくたびれることが多かったんですが、ストレスマックスのタイミングで手に取ってつかのま現実を忘れさせてくれたのが『ある一生』(ローベルト・ゼーターラー/浅井晶子、新潮クレストブックス)でした。
 オーストリア山中の厳しい自然のなか、山の斜面にへばりつくような家で暮らす男の一生が淡々と語られていくだけなのに面白い。自然の描写と主人公の内面が絶妙にマッチしているところがちょっと『ザリガニの鳴くところ』を思いださせる(お話そのものはまったくちがいますけども)。文章を目で追ってるだけで幸せな本で、新刊と呼ばれる時期は外してしまったけれど、いいタイミングで読んだなあと思ったことではありました。

(たかやままゆみ:最近の訳書はサマーズ『ローンガール・ハードボイルド』、ブラウン『シカゴ・ブルース(新訳版)』、ベンツ『おれの眼を撃った男は死んだ』など。おうち筋トレはじめました。ツイッターアカウントは@mayu_tak)

 


武藤陽生

 今年はゲーム翻訳で100万ワード超のチェック、小説2冊の翻訳が決まっていて、始まったばかりなのにもう死にそうです。『指輪物語』が57万ワードと言われていますから、その2倍の量をチェックしなければならず… さらに小説2冊で20万ワードの翻訳… こうなると自分が来年生きているかどうかもわかりませんが、こういう無茶をするのは今年で最後にしたいなと思います。
 年末年始はマイクロソフトの『フライトシミュレーター2020』をプレイして遊んでいたのですが、アップデートが入り、イギリスとアイルランドのシーナリー(建物や風景のデータ)が詳細になったというので、久々にプレイしてみました。飛ぶ地点はもちろん、ショーン・ダフィ・シリーズ次作『レイン・ドッグズ』で密室の舞台となるキャリックファーガス城です!

キャリックファーガス上空。飛行機の下に見えている沿岸道路が、ショーンがよくBMWを走らせているA2です。



そしてこちらの画面下部に写っている建物がキャリックファーガス城!……いや、再現性低いですね……こんなところにも北アイルランドの悲哀を見た気がします。

(むとうようせい:エイドリアン・マッキンティの刑事ショーン・ダフィ・シリーズを手がける。出版、ゲーム翻訳者。年末にハイスペックのノートPCを買って『サイバーパンク2077』や『マイクロソフト フライトシミュレーター』で遊んでいました)

 


鈴木 恵

 ヴォドピヤーノフ『北極飛行』(米川正夫訳/岩波新書)は、1937年に行われた旧ソ連の北極探検飛行のルポルタージュ。著者の経歴はつまびらかにされていないが、この計画を主導したベテラン・パイロットで、やはりパイロットだったサン=テグジュペリ(1900-1944)と同年輩だと思われる。サン=テグジュペリのような深い思索には欠けるものの、飛行機や無線という最先端の機械を相手にしながら、そこにまだまだ人間が介在できた時代ならではのローテクなトラブル解決法が、なんとも味わいぶかい。後半は一気読み。幸せな読書でした。岩波新書旧赤版(1939年)の限定復刊。

(すずきめぐみ:働きものの翻訳者・馬券散財家。映画好き。最近のおもな訳書は『ザ・チェーン』『拳銃使いの娘』『その雪と血を』など。ツイッターアカウントは @FukigenM)