書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」、ちょっと今はお休み中。まだちょっと再開は難しいのですが、2020年度ベストテンをこちらで公開しております。よかったらご覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『オクトーバー・リスト』ジェフリー・ディーヴァー/土屋晃訳

文春文庫

 三月の翻訳ミステリでは、奇天烈としか形容しようのないラストが強烈に印象に残るサラ・ピンバラ『瞳の奥に』も捨て難いけれども、やはり『オクトーバー・リスト』は外せない。結末から始まって発端へと遡る時間逆行サスペンス小説で、どんでん返しの帝王ディーヴァーならではの超絶技巧の波状攻撃を堪能できる。実験精神と職人気質の理想的な融合例と言える一冊だ。のみならず、クレイジーな担当編集者とクレイジーな解説者のおかげで、原書よりも趣向がエスカレートしているあたりが実に楽しい。

 

川出正樹

『オクトーバー・リスト』ジェフリー・ディーヴァー/土屋晃訳

文春文庫

 これぞはなれわざ、これぞ超絶技巧。巻末に置かれた著者まえがきで《現金に体を張れ》ゃ《メメント》を挙げて「時系列を破壊するというコンセプトを愛する者である」と語るディーヴァーが、持てる技巧を120%駆使して組み上げた『オクトーバー・リスト』は、“ドンデン返しの魔術師”の面目躍如たる、恐ろしく完成度の高い時間逆行型サスペンスだ。超常現象や特殊設定を一切使わず、意外性と整合性を両立させた上で分刻みにカウントダウンしていく手際に舌を巻く。カードの切り方が抜群に巧いのだ。

 娘を返して欲しければ〈オクトーバー・リスト〉を引き渡せ、と要求されたガブリエラ。傷を負い協力者とともに隠れ家に籠もっていた彼女のもとに、一人の男が現れた。なんとそれは銃を構えた誘拐犯だった!

 本書の内容で紹介できるのは、巻頭〈第三十六章〉のここまで。一体何がどうなっているのか一切不明な緊迫したクライマックス・シーンから、すべての真相が明かされる巻末の〈第一章〉に向けて、章ごとに視点を切り替え、読者を驚かす手際のなんと見事なことか。「結果」で“?”を呼び起こし、「原因」で“!”を引き起こす。読み終えた瞬間、巻頭へと読み返し、徹底したフェアプレイぶりに改めて感嘆する。これは、年間ベスト級の傑作だ。

 今月はもう一冊、ヨルン・リーエル・ホルスト『警部ヴィスティング 鍵穴』(中谷友紀子訳/小学館文庫)もお勧め。この動機は、長く心に残る。前作『カタリーナ・コード』に続く《未解決事件四部作(コールドケース・カルテット)》の第二弾で、もちろん単独で読んでまったく問題ありません。

 

北上次郎

『マハラジャの葬列』アビール・ムガシー/田村義進訳

ハヤカワ・ミステリ

 100年前のインドを舞台にした作品で、スペイン風邪で妻を亡くした英国人刑事ウィンダムを主人公にした長編だが、この男、カルカッタの阿片窟でうっとりするのだ。大丈夫かお前。急いで前作を探したが、見つからないので購入して読んだら、その前作『カルカッタの殺人』も面白い。おお、どうして読んでいなかったんだ。これからはこのシリーズ、全部読むぞと決めたのである。

 

霜月蒼

『漂泊者』ジム・トンプスン/土屋晃訳

文遊社

 ディーヴァーの時間遡行サスペンス『オクトーバー・リスト』で鉄板であろうし、『警部ヴィスティング 鍵穴』(ヨルン・リーエル・ホルスト)は、前作『カタリーナ・コード』よりサスペンス度を増した快作だったが、いずれも複数人が挙げそうだ。どちらも必読であると念押しさせていただいたうえで、私が推したいのはジム・トンプスンの初期長編『漂泊者』である。

『バッドボーイ』を引き継ぐ自伝的小説なので、ミステリーかといわれると微妙である。しかし本書には、トンプスンの犯罪小説から病的なねじれを引いたような楽しさがある。前作は少年時代の話なので、解説にあるようにソーヤー/ハックルベリー的な物語だったが、本書は20代はじめの頃に始まるので、語りも挿話もふてぶてしさを増している。前作にも登場したような奇怪な大人たちは、本書ではトンプスンの同僚や友人として対等の位置にいる。本書でのトンプスンは、トンプスン的な怪人たちの共犯者なのだ。当然まっとうなキャンパス・ライフなど書かれない。さまざまな職を転々としつつ、そこで出会った奇人変人(密造ビールを死体用冷蔵庫で冷やす飲ん兵衛とか)のエピソードや、文筆で身を立てようとする奮闘が描かれてゆく。面白さとしては古風な「ピカレスク・ロマン」に近い。

 のちのトンプスン流ノワールに登場する煤けた仕事の数々の原点がここにあるという点でファンには発見も多いが、そういう読者はどうせ本書を読むだろうから、むしろ私としては、古き良きアメリカ小説の豪放磊落を愛する人にすすめたい。こんなに素直に、「ああおれはアメリカの小説を読んでいるんだなあ」という嬉しさをおぼえた小説は久しぶりだった。ややお高い本だが、ブルーノートをオマージュしたカバーデザインから、ざらっとした手触りの紙選びまで、こういう小説にふさわしく行き届いたフィジカル本なので、満足度は高いと思います。

 

吉野仁

『オクトーバー・リスト』ジェフリー・ディーヴァー/土屋晃訳

文春文庫

 ディーヴァーの新作は、最終章からはじまり、第一章でおわる、驚異の逆行ミステリだ。どんでん返しが仕組まれていることは分かっていながら、真相を知ると「ああっ」と声が出るだろう。ネタが分かったあと、ただしく第一章から順に読みかえしていくと、いくつも敷かれた伏線の巧妙さに気づき、さらに興奮するのだった。そのほか、夫婦円満の秘訣はふたりで殺人を重ねていくこと、というサマンサ・ダウニング『殺人記念日』は、夫がバーで獲物を狙う場面から、子供たちと過ごす家族の日常まで、ユーモラスなサイコものかと読み進めると、次第に思わぬ方向へ向かう展開が素晴らしい。先月刊のアリスン・モントクレア『ロンドン謎解き結婚相談所』は戦後すぐの大都会で個性の違うふたりの女性が探偵をおこなう物語だったが、スティーヴン・スポッツウッド『幸運は死者に味方する』もまた同じく戦後まもないニューヨークを舞台に正反対なタイプの女性コンビが活躍する軽妙な探偵小説。助手ウィルが〈ブラックマスク〉誌を愛読しているという点でこちらをひいきにしたいけど、英米の違いがいろいろあらわれており、あわせて読むとなお面白いかも。キング『アウトサイダー』は、前半アリバイ崩しミステリかと思いきや怪物の存在が浮かびあがるという大作ホラーで一気読み。あいかわらず地味地味だけど読ませるホルスト『警部ヴィスティン 鍵穴』と、多様多彩な作品を味わう三月だった。

 

 

 

酒井貞道

『殺人記念日』サマンサ・ダウニング/唐木田みゆき訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 どうということもない日常生活に、不穏が蠢く。そのようなサスペンス/スリラーはたくさんあるが、『殺人記念日』では、その不穏が一人称の主人公に内在化されている。彼の妻がシリアルキラーだからだ。彼自身もまた共犯者(それも立派な共同正犯)だからだ。そして、妻の方がおかしいと言わんばかりの書きぶりなのに、冷静になってよくよく読むと彼自身もまたとんでもなくおかしいからだ。「シリアルキラーの日常」という、なさそうで実はよくある構図の中、読者は、ごくごく自然に、妻の方がシリアル度(造語)が高いんだなと刷り込まれる。だが本当にそうなのか? そしてこの刷り込みは、主人公の故意にやっているのか、それとも無自覚なのか。ということで、本書は実はたいへん高品質な《信頼できない語り手》ものなのだ。私の嗜好にベストマッチでした。

 

杉江松恋

『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』トーベ・ヤンソン/久山葉子訳

フィルムアート社

 トーヴェ・ヤンソンの新訳が読めるなんて、と刊行情報を聴いて欣喜雀躍した本である。『メッセージ』は2001年に亡くなったヤンソンが1998年に上梓した作品集で、1971年から91年にかけて発表した短編の中から自身で選んだ23作に、新たに書き下ろした8作を加えて成立させた、生涯のベスト版ともいうべき1冊だ。言うまでもなくヤンソンはミステリー専業ではない。作家とししては「行間を読ませる」書き方をした人で、物語として成立していることよりも、文章の連なりが描き出したイメージの美しさを愛した。本書にも「リス」「夏の子ども」など、自然描写が強く印象に残る作品が収録されている。また、その作品にはヤンソンの個人史が色濃く反映されており、初訳の「コニコヴァへの手紙」のように実際に書いた私信を抜粋して構成したものもある。日本人のファンからもらった手紙を元に書かれたと思われる「文通」は、私の最も好きな短篇の一つだ。元版短編集の掉尾を飾り、今回の邦訳版でも最後に収められている「表題作」は実に不穏で、これ1作だけならミステリー短篇として紹介してもいい作品である。これ大好き。ここからいくらでも膨らませる要素はあるのに、あえて書簡のみで一篇にしているところがヤンソンらしいのである。読むと非常に落ち着かない気持ちになる。

 まったくミステリー作家ではないのだが、ヤンソンの短篇に横溢するサスペンスはどれも素晴らしいものがある。書き記すことと語らずに止めておくことのバランスがいいのだろう。心をざわざわさせられたい人に向けて本書を紹介する。夜の向こう側を透かし見たり、水平線の彼方から迫りくるものに思いを馳せたりするのが好きだった子供時代を送った読者なら楽しんでもらえるはずである。

 ジェフリー・ディーヴァー月間と呼ぶべき3月でした。4月にはどのような作品が邦訳されたのでしょうか。ここのところ一強状態が続いているので、そろそろ全員がばらばらの月が来るかも。来月をお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧