書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は5月23日発売予定です。
というわけで今月も書評七福神始まります。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
北上次郎
『ブート・バザールの少年探偵』ディーパ・アーナパーラ/坂本あおい訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
インドのスラムを舞台にした小説は、『シャンタラム』『ぼくと1ルピーの神様』など、傑作が多いが、そこにまた一作、傑作が加わることになった。話題になる作品であろうから、私が紹介するまでもなく、他の作品にしようかなと思ったが、今月は他に作品がない。インドの現実を背景にしているので、その過酷さが少々辛いが、読み応えは十分だ。
川出正樹
『血の葬送曲』ベン クリード/村山美雪訳
角川文庫
冷戦期の共産主義国家を舞台にした警察捜査小説に妙に心惹かれるのは、主人公の立ち位置が常に脅威にさらされているからだ。マーティン・クルーズ・スミスの『ゴーリキー・パーク』しかり、トロ・ロブ・スミスの『チャイルド44』しかり。身分や生活はおろか、自由も、そして生命すら保証されない世界。そんな独裁者による恐怖政治の下で、犯罪者を追い、体制が納得する結果を出さなければならないという緊張感が全編を覆うサスペンス溢れるミステリに魅了されてしまう。
故に、ベン・クリード『血の葬送曲』を夢中になって読んでしまった。舞台は、スターリンによる大粛正の嵐が吹き荒れる1951年のレニングラード。百万人近くが死んだ包囲戦が解かれて8年、〈命の道〉開通十周年と大祖国戦争におけるソヴィエト人民の勝利を称える新作オペラが上演される記念式典を控えたこの街で、猟奇的な殺人事件が起きた。あたり一面雪に覆われた郊外の線路の上に、等間隔で並べられた五つの死体。顔を削がれ歯と指を損壊され、一体ずつ異なる奇妙な衣装を着せられた彼らは一体何者なのか。
権謀術数と巧緻な犯罪とが複雑に連環し、謎解きの興趣と、個人を圧殺する体制で生き延びるべく抗う主人公の奮闘を描いたミステリ。共同住宅(コムナルカ)での猥雑で臭い立つ生活を通して、五〇年代初頭のソ連邦を活写した小説としても面白い。
千街晶之
『血の葬送曲』ベン・クリード/村山美雪訳
角川文庫
今回は自分が解説を書いたアレックス・パヴェージ『第八の探偵』以外から選んだ。一九五一年のソヴィエト連邦で、猟奇的な殺され方をした五つの死体が見つかる。そのうち一体がスターリンの恐怖政治を支える国家保安省の帽子をかぶっていたことが、主人公をはじめとする警察官たちの運命を狂わせてゆく。トム・ロブ・スミスの『チャイルド44』を想起させる設定の警察小説で、市民も警察官も、誰もが選択をひとつ間違えただけで粛清されてしまう独裁国家の闇が読み進めるほどに深まってゆき、比類ない恐怖を体験できる。実在の政治家や音楽家を本筋と絡める、日本で言えば山田風太郎の明治ものみたいなテクニックも興味深い。
酒井貞道
『第八の探偵』アレックス・パーヴェジ/鈴木恵訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
クラシック音楽のファンなので、ショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》が鍵の一端を握る、1951年を舞台としたベン・クリード『血の葬送曲』は刺さりました。特に、ドイツ軍がレニングラードを攻囲中に同曲の現地初演を指揮したが大指揮者とは結局みなされていないエリアスベルク(実在)が、ショスタコーヴィチ演奏の権威にして巨匠指揮者ムラヴィンスキー(実在。なおレニングラード攻囲戦時はノヴォシビルスクに疎開)へのルサンチマンをぶちまけるシーンなどは、涙なくして読めない。ただ、この感興はあまりにも個人的であることに加え、犯人の性格・動機・実績がこれなら、被害者たちよりも重要な標的が他にいたはずです。それが無視されているのは気になる。
従って、ここでは『第八の探偵』を推します。本格でもサスペンスでもない、「変なミステリ」と呼ぶ他ない作品です。作中作を七本も実際に用意して何がしたいのかと訝しみつつ読んでいると、予想もしない方向に行かれた。真相を読者が事前に推理するにはデータが不足気味ですが、作者もそこまで《真実》を確定しようとはしていない気配があり、その割り切れなさが良い味を出していると思います。読書中も読後もぞわぞわした感覚をもたらしてくれる本書、私は好きだな。
霜月蒼
『続・用心棒』デイヴィッド・ゴードン 青木千鶴訳
ハヤカワ・ミステリ
『二流小説家』のゴードンは、斜に構えた作家という印象があった。語弊をおそれずに言えば、どこか主流文学へのコンプレックスとエンタメへの愛をないまぜにしてこじらせているような屈託を感じていた。そんな屈託を突如脱ぎ捨てたのが『用心棒』で、これはB級エンタメ(それこそ『二流小説家』の作中作のような)の定番の楽しさを、手抜きせずに現代式に仕立てた快作だった。やっぱこういうの好きなんじゃないかゴードン君!と思わされた。本作はその続編で、前作以上に充実した楽しい犯罪サスペンスになっている。
ある理由のためにお宝を手に入れねばならず、その計画を練って、実行し、その後始末をするという強奪小説の定型に沿いつつ、そのまわりに立ちすぎたキャラをたくさん配置し、メインの策謀の裏をかいたり逆手にとったりする別の謀議も進行させる。リチャード・スタークもウェストレイクもロジャー・ホッブズも亡き今、これほど充実した強奪サスペンスは望めないのではなかろうか。ゴードンの書きぶりも楽しそうだから読むほうも昂揚するし、皮肉な語り口がどっしり充実しているのはゴードンの非エンタメ方面での研鑽の賜物だろう。ついでにいうと邦題とカバーデザインは日本版ならではで、最高だと思います。
なおギリギリまで迷ったのは、現代インドの貧民街を舞台に、次々に子供が失踪する事件を追う少年少女の物語『ブート・バザールの少年探偵』。ミステリ色が薄すぎるかなと思って『続・用心棒』にベストの座を譲ったが、こちらも忘れがたい風景とひとびとを活写した(そして真摯に現代の問題にとりくんだ)クライム・フィクションとして推しておきたい。
吉野仁
『ブート・バザールの少年探偵』ディーパ・アーナパーラ/坂本あおい訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
まさか『ブート・バザールの少年探偵』が2021年度エドガー賞最優秀長篇賞を受賞するとは。これはインドのスラム街を舞台に、九歳の主人公ジャイが探偵団を結成し、行方不明のクラスメイトを捜していく物語。子供の視点による物語なので、けっして重厚なミステリという手応えはなく、気軽に読める一作ながら、どこまでも痛快で軽妙な探偵小説かといえば、それも違う。子供が見たり思い描いたりする世界の向こうに横たわる闇の存在をまざまざと感じさせる作品となっており、ここにアメリカをふくめた〈いま〉の世界における苛酷な現実の姿が描かれていることを思わずにおれない。そのほか、アレックス・パヴェージ『第八の探偵』は、七つの作中作および結末のいずれにしてもフェアプレイに関して「もやる」部分が残るものの、本格好き探偵小説ファンのあいだでダントツ今年一番の問題作となるのは間違いない。ステフ・チャ『復讐の家』は、昨年刊のアンジー・キム『ミラクル・クリーク』と同様に韓国系アメリカ人の家族をめぐる物語だが、そこに〈ブラック・ライヴズ・マター〉の問題も絡み、現代アメリカのエッジに位置する社会派小説となっている。また、お国の特殊性+奇抜で異様な猟奇殺人+個性派刑事の活躍でいえば、スペイン・マドリードが舞台で、頭に蛆を埋める殺しを過去あり女刑事が捜査するカルメン・モラ『花嫁殺し』、1951年のレニングラードが舞台で元ヴァイオリン奏者でやはり過去ありの男性刑事が線路上に並ぶ五つ死体の事件を捜査するベン・クリード『血の葬送曲』、冴えない中年刑事が異様な犯人に翻弄されまくるスウェーデンの警察小説ホーカン・ネッセル『殺人者の手記』など、いずれも読ませる。あと、どこまでも派手派手なハリウッド映画式活劇が繰りひろげられるデイヴィッド・ゴードン『続・用心棒』も痛快だった。
杉江松恋
『血の葬送曲』ベン・クリード/村山美雪訳
角川文庫
『血の葬送曲』と『第八の探偵』、『ブート・バザールの少年探偵』。このいずれかだろうと考えて選に臨んだ。とか書くと偉い文学賞の選考委員みたいですね。すみません。『ブート・バザール』は大好きな教養小説要素のある物語だし、『第八の探偵』はなんといってもそのヘンテコリンさがいい。そう思って考えていたらヘンテコリンさで言えばこの『血の葬送曲』だって捨てたもんじゃありやせんぜ、と言いながら角川文庫がぬっと前に出てきたので、おお、そうか、という気持ちになった。これ、実は失敗した青春小説でもあって、捜査官が事件を通じて自分の過去と向き合う話にもなっているんだよね。なのでアイデア量豊富な『血の葬送曲』を一押しにする次第。自分が解説を書いていて気が引けるんだけど、まだ誰もそんなことは言ってくれてないけど、年間ベスト級の作品であるとは思うのである。
『血の葬送曲』のいいところは、先がまったく読めないことだ。冒頭に珍妙な死体群が出てきて、なんだなんだと驚いていると旧ソ連の秘密警察が絡んだキナ臭い話になる。主人公が捜査に参加したがりな警官を試しに聞き込みに当たらせたりすると、秘密警察に捕まったのか、あっという間に行方不明になってしまうのだ。彼女に対するフォローがあまりきちんとしていなくて、人権が非常に軽い感じになっているのが非常にリアリティがあって恐ろしい。そもそも主人公のチームが捜査に当たることになったのも、死体が発見された所轄署の警察官たちが一人を残してみんな秘密警察にとっ捕まってしまったので現場に行けなくなってしまったからなのだ。なんだよそれ。まるでバカ田大学刑事学部出身者なのかと思うような不条理さだが、これが警察国家というものなのだろう。これだけで十分おもしろいのだが、物語はさらに様相を変えていって、主人公の過去が事件と並行して語られる展開になるし、彼と叩き上げ刑事の確執なんかも見えてきて、警察小説に必要なもの全部入り、みたいなことになる。冒頭から漂っている秘密警察の脅威はやがて実体化するのだが、そこから緊迫感は盛り上がっていき、驚いたことには相棒小説っぽい雰囲気まで醸し出してしまうのである。なんだよこれは、盛り沢山じゃないか、山田うどんのセットメニューみたいにうどんも丼もハーフじゃなくてフルサイズだ、と驚いている頭上から、最後に意外な真相がコントの金盥みたいに落ちてくるわけである。ドリフの舞台みたいに作りこみが凄いなあ。本書は作者のデビュー作でもある。デビュー作なのですべてを詰め込みました、でももう出がらしです、燃え尽きました、という感じでもなくて、まだまだ余裕がありそうに見えるのがちょっと末恐ろしく頼もしい。ちなみにコンビ作家で、一人は音楽学校出身というからルースルンド&ヘルストレムみたいなチームなのかもしれない。どんどん書いてくれ。
インドあり旧ソ連あり日本の新本格のような探偵小説ありハリウッド風大活劇あり、と毛色の違う作品が揃った4月でした。さあ、来月はどうなりますことか。またお会いしましょう。(杉)
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