「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 人間は杓子定規なやり方じゃ扱えない。
 ヘンリイ・セシルの小説に通底しているのは、この哲学です。
 作者自身が弁護士や判事といった法職に就いていた故に作中で裁判や法の抜け穴が扱われる……という評し方がよくされるように思いますが、彼が重きを置いているのは、どちらかというと法的な物事そのものよりも、法の場にいる人間たちをどう描くかだと感じます。
 人間は一人一人、考えることもやることも違うから、何かをする時に万人に通用する万能な方法などない。
 なのに裁判所では法律を絶対的なやり方として適用しようとする。すると綻びが出る。善人が割を食い、悪人が得をするなんてままある話。
 そうして生まれる「なんでそうなっちゃうんだよ」という食い違いを拾い上げ、ユーモアたっぷりのお話に仕立て上げる。
 セシル作品は、こうした作法で作られているように思います。
 杓子定規の最たるものである法律で人間を扱おうとした時に生まれる悲喜劇にこそ、物語の焦点があるのです。
 そこが他の法廷ミステリとはちょっと違う。
 裁判という仕組み、法律というルール、全てをからかいながら語られる。どの作品も破天荒で、軽やかで、何よりも楽しい。
 特に一九五〇年代の中期以降に書かれた『サーズビイ君奮闘す』(1955)『ペテン師まかり通る』(1957)『法廷外裁判』(1959)の三作品が素晴らしいのです。
 『サーズビイ君奮闘す』は新米弁護士サーズビイを主人公にしたお話で今でいう〈お仕事もの〉小説です。これまで勉強してきた法律の知識では太刀打ちできない、現実の裁判に触れて主人公が成長していく話なのですが……一筋縄ではいかない。
 作中の法律家の論理はそれこそ「なんでそうなっちゃうんだよ」の連続です。誰もが勝訴するだろうと思う裁判で言い負かされたり、どう考えても有罪の男が無罪になったりする。まさしくセシル流のユーモアが存分に発揮された快作です。
 『ペテン師まかり通る』は『サーズビイ君奮闘す』とはちょっと対照的です。あちらが裁判所の中の論理の話なら、こちらは裁判所の外の論理を法廷に持ち込むミステリなのです。
 明白なはずの保険金詐欺裁判が、あの手この手の干渉によってひたすら妙な方向へ転がっていく。特に中盤、ある出来事が裁判所の外で起きてからは訳が分からぬ面白さで、まさしくペテンがまかり通ってしまうラストまで一気に読まされてしまう逸品です。
 セシルといえば日本ではデビュー作の『メルトン先生の犯罪学演習』(1948)が最も有名かと思います。確かに抜群に面白い作品ではあるのですが、作者の本領発揮という意味では五〇年代後半のこれらの作品に軍配が上がると感じます。
 法律や法廷といった題材へのシニカルな目線、魅力的な登場人物たち、ツイストの効いたストーリー、全てを笑い飛ばす明るいユーモア、どこをとっても円熟の手つきで申し分がない。
 中でも最高作といえば、やはり『法廷外裁判』でしょう。
 法廷の中と外、両方の論理を書きこなしたセシルはこの作品でついに裁判所を飛び出します。
 ……そしてそのまま、裁判所の外で裁判を始めるのです。

   *

 ロンズデイル・ウォルシは嘘が大嫌いだった。
 というより、嘘アレルギーなのだ。
 誰かが嘘を吐いているのを耳にすると、文字通りに顔が真っ赤になる。正直でないことが我慢ならない。
 殺人の容疑で終身刑の判決がくだされた時、ロンズデイルの顔はやはり真っ赤だった。証人がみんな嘘を吐いている! 彼が殺したとされる男バーンウェルの未亡人が連中に金を渡して偽証させたのだ。
 刑務所の中で彼は決意した。
 裁判をやり直そう。嘘のないやつを。
 正式な裁判をもう一度できる目処はなかった。上告を通す新証拠もなければ、内務大臣への請願書も意味がなかった。
 こうなったら、できることは一つだけだ。
 ロンズデイルの財力で、無理矢理実現させるのだ。
 公平な審判をしてくれる判事、優秀な検事と弁護士を揃え、関係者も集め、私設法廷での再審を始めるのだ。勿論、彼ら彼女らが応じてくれるわけないから、半ば騙しての拉致監禁ということになるが……
 かくして、前代未聞の法廷外裁判の舞台が整えられた!
 なんと破天荒な粗筋でしょうか。
 セシル作品の中でも飛びっきり異色です。
 誤審により着せられた濡れ衣を晴らそうとする話自体は法廷ものの定番ではありますが、正式な裁判ではなく関係者を拉致して私設法廷を開くなどという話はそうそうない。類例としてすぐ思い当たるのは西村京太郎『七人の証人』(1977)くらいでしょうか。
 神に誓って誰もが正直なことを話す場であった正式な裁判が嘘だらけで、そうした誓いが無意味な私設法廷で真実が語られるという構図の皮肉っぷりがまず痛烈です。
 本来なら公正さが担保されない私設法廷ですが、ロンズデイルという嘘が大嫌いな男を被告人兼仕掛け人にすることによって成立させているのが本書の秀逸なところでしょう。
 いくらでも自分に有利なように嘘吐きの証人を用意できるところを、ロンズデイルは決してしない。
 場所が異例なだけで、弁護士も検事も、あくまで真っ当に弁論をしていくのです。
 とにかく捻くれに捻くれた構図です。
 そして、それが実にセシルらしい。
 最初に書いた通り、彼が書くのは杓子定規じゃ扱えない人間の物語です。決まり切った裁判の手順じゃ、彼ら彼女らは真の姿は見せてくれない。法廷外裁判という異常な空間を設けることでようやく素直に喋ってくれるのです。
 私設法廷が成立していることそれ自体がロンズデイルという男を表しているといったように、法廷外裁判というシチュエーションも、あくまで媒体です。
 ロンズデイルに監禁されて無理に裁判を進行させられるハリデイ判事、父親が無実であることを誰よりも信じるロンズデイルの娘アンジェラ、そのアンジェラに恋する若く有能な弁護士サウスダウン……法廷に招かれた人たちはいずれも活き活きと描かれていて魅力的ですが、中でも素晴らしいのはロンズデイルを陥れた未亡人ジョウ・バーンウェルの造形でしょう。
 ジョウは、まさにロンズデイルの天敵として設定された人間です。
 誰よりも嘘を吐く。
 他人に嘘を吐かせるのにも躊躇がない。
 余りに対照的ゆえに、ロンズデイルと彼女の間には不思議な友情さえあります。
 そう、この裁判は究極の正直者と究極の嘘吐きの対決が主題なのです。
 あくまで法律に則った形で繰り広げられる二人の火花散るやり取りを、作者はぐんぐん読ませた上で予想外なところに決着させます。
 強烈なツイストを経たあとのラストシーンは皮肉な笑いに満ちていて、僕は何度読んでも涙を流してしまうのです。

   *

 ユーモアであったり、突飛なシチュエーションであったり、あるいは当時の法律の穴を突くアイディアであったり、セシルの作風と言われるものは一般的に古びやすいとされる類のものであるように思います。
 しかし、セシルの小説を実際に読んでみて「古いな」と冷めてしまうことはほとんどない。
 セシルが書き続けていたのが人間の普遍的な部分の話だからでしょう。
 人間は杓子定規なやり方じゃ扱えない。
 数十年前も、今も、そして未来も、多分そこは変わらない。
 セシル作品はこれからもずっと新たな読者を楽しませ続けてくれると信じてやみません。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人五年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby