■上海のミステリー小説専門店
 中国のミステリー小説家の時晨が上海につくったミステリー小説専門書店「孤島書店」が6月、正式にオープンしました。

 先日、上海出張時に店に立ち寄ったのですが、これがかなり探しにくかったです。1階にあるのだからてっきり道に面しているのかと思ったら、小さな団地内の中庭にあったので外からは見つけづらい。

 店内はミステリーマニアを満足させるような趣向が凝らされています。

床にはチョーク・アウトライン

 

ドクロや人体を模した調度品

 

   壁には古今東西のミステリー作家の写真があり、「中国ミステリーの父」と呼ばれる程小青のものもある

 

メッセージウォールを見ると、中国各地の大学のミス研も訪れていることが分かる

 

本棚は壁の一面にしかなく、一般的な書店と比べると全然少ない在庫量ですが、ハードボイルド、SFミステリー、ミステリー漫画、社会派、日本の本格もの、中国ミステリーなど、ここまでミステリーのジャンルが細分化された書店は中国にはないでしょう。稀覯本も売られており、もう買うのを諦めていた本と出会えるかもしれません。

 

 店内では時晨が数人の客と談笑しながら本にサインを書いていました。自分の著書ではない本にもサインをお願いされていたのには笑いましたが。親密に話す時晨と客たちとの関係性は不明ですが、常連じゃなくても、この場には知らない者同士でも自然と会話できる雰囲気が醸成されていました。

 また客が時晨とミステリーについて意見を交わしていたのが印象に残りました。現役作家と自由に討論できる場なんか、中国広しと言えどもいくらもないのではないでしょうか。実はこの日、別のミステリー小説家も来ていたようで、上海在住の作家に会える場所としても今後機能していきそうです。

右が時晨

 実際、この書店ではこれまで新刊発表会が行われ、作家と読者の距離を近付ける場としての役割を果たしています。これからも新刊が出るたびにここがサイン会などの会場に使われることでしょう。

 とはいえ、今の中国で個人が書店を経営するのはたいへんです。大型・チェーン書店で買えば1~2割引、ネットで買えば半額程度、電子書籍も安いので、客からすればわざわざ個人書店で購入するメリットはほとんどありません。しかも孤島書店には喫茶店の機能もなく、普段は純粋に本の売上だけで店を維持しなければならないので、経営にはより深い工夫が必要そうです。
 ただ、上海に数ある書店の中でもミステリー小説に特化しており、現役ミステリー小説家の店主からオススメの本を紹介してもらえるだけではなく、客となって店に訪れた作家や読者と触れ合えるチャンスもあります。上海に来た方は一度立ち寄ってみてください。

上海市黄浦区南昌路125号2幢102室(瑞金二路38号という小さな集合住宅の中) 地下鉄1・12号線陝西南路駅4号口から徒歩600メートル

 

■約100年前の中国ミステリー

 今年3月、中国の牧神文化が企画した『中国近現代偵探小説拾遺』叢書のうち4冊が北京聯合出版から出版されました。編纂者は本コラムで何度も紹介している、編集者兼書評家の華斯比です。『中国懸疑小説精選』など現代中国ミステリー作品集を編纂してきた彼は清朝末~中華民国時代の探偵小説収集・研究家という顔を持っており、本叢書は彼が初めて出す学術的価値のある書籍です。

 清朝末~中華民国時代の探偵小説とは、ざっくり言うと当時の欧米の探偵小説に影響を受けた中国人が執筆した推理小説です。日本では1890年代から欧米の探偵小説の翻訳が始まりましたが、その動きは中国でもほぼ同時期に起き、シャーロック・ホームズなどの作品が翻訳・出版され、中国を舞台にした探偵小説を書くムーブがつくられていきました。
 それらの作家の中でも特に有名なのが、「中国のシャーロック・ホームズ」霍桑を生み出した程小青と、「東方のアルセーヌ・ルパン」魯平を生み出した孫了紅です。両者の作品集は現代でも出版されていますが、他にもたくさんいた同時代の作家たちの作品は短編集の中にまとめられることがほとんどでした。例えば『百年中国偵探小説精選』全10巻には、1908~2011年の中国ミステリー小説をまとめていて、1巻が程小青の作品のみ、2巻が孫了紅の作品のみ収録していることに対し、3巻では多種多様な民国探偵小説家の作品が読めるようになっています。

 今回、華斯比は民国探偵小説家1人につき1冊の独立した小説集を出しました。それはまるで日本の創元推理文庫が出した『日本探偵小説全集』のようです。

『中国近現代偵探小説拾遺』から出た本は、『李飛探案集』(著:陸澹安)、『胡閑探案』(著:趙苕狂)、『羅師福』(著:南風亭長)、『劉半農偵探小説集』(著:劉半農)の4冊。収録作品は全て現代向けに変更されています。繁体字から簡体字に、縦書きから横書きに、そして原文にあった明らかな間違い(誤字や書き漏らしなど)を修正し、人名や地名などの不統一も直しています。さらに親切なことに、現代では通じない用語に注釈をつけてくれています。

 今回はこの4冊の内容を簡単に説明しましょう。

 

『李飛探案集』(著:陸澹安)

 書生探偵の李飛が活躍するシリーズで、11編が収録されています。華斯比いわく、陸澹安は程小青と孫了紅に次ぐ探偵作家であり、3人まとめて「民国探偵小説三巨頭」らしいです。代表的な作品『三A党』は誘拐もの。

 探偵李飛の知り合いが息子を「三A党」という誘拐組織にさらわれ、身代金を要求される。しかしそんな組織など聞いたことがなく、実際は金欲しさに息子が仕掛けた狂言であることが李飛によって明らかになる。だがその後、存在するはずがない「三A党」からの盗みの犯行予告が銀行に届く。

 注釈に、当時の中国にアメリカのクー・クラックス・クランを真似た「三K党」なる秘密組織が実際にあったということが書かれていて勉強になりました。犯人が「三A党」という名前を知っていたのか、李飛はいつ犯人に気づいたのかが自然な流れで明かされます。

 

『胡閑探案』(著:趙苕狂)

「失敗する探偵」という情けないあだ名を持つ胡閑を主人公とするシリーズで、8編が収録されています。華斯比はこの一連の作品をユーモアミステリーの根源とし、民国時代の反探偵小説と言っています。また上述の霍桑や魯平など、他の作家が生み出した探偵を登場させたパロディ作品もあります。

『誰是霍桑』は、依頼人が探偵霍桑を雇うために新聞に広告を出したところ、なんと霍桑が4人も現れたので誰が本物なのか胡閑に調査してほしいという内容。読者を突き放し、バカにしたようなオチが酷くて面白い。
『胡閑探案』は、10回の依頼があれば9回推理に失敗する胡閑が西洋の探偵を真似て葉巻なんか吸っているところに依頼者が訪れる。しかし胡閑はこれまでとは打って変わって依頼内容や犯人の正体さえ次々と当てていく。助手の私が喜んでいると、実は……

 4冊の中で一番薄いです。上記二作のようなユーモアミステリーもあれば、もっと兇悪な殺人を描いた『少女的悪魔』のような作品もあり、温度のちがう作品が楽しめる一冊です。

 

『羅師福』(著:南風亭長)

 本シリーズの探偵である羅師福は、作者の南風亭長が「福爾摩斯(ホームズ)」に「師事する」という意味で付けた名前だそうです。そして羅師福は、程小青の霍桑よりも前の清朝末期に生み出された、ホームズを原型とする中国の探偵だとか。2編しか収録されていませんが、それぞれ当時の雑誌に10回前後にわたって連載されていました。各話に挿絵が入っているのが特徴的です。

 黄家の若旦那が私娼の家のそばで亡くなるが、現場から先日彼と口論をした李家の若旦那が逃げていくのが目撃される。李家は自分の家族にかけられた嫌疑を晴らすため、中国で唯一無二の探偵羅師福に捜査を依頼する。羅師福が検死すると、外傷がないと思われた死体にかすかな傷跡を見つける……

 清代の白話文で書かれているのでとても読むのに苦労する一冊。英語、生理学、心理学などに通じた探偵を出し、科学的手法を使って捜査を進める一方、清朝の法制度の不備などにも言及していて、小説のようでもあり啓蒙書のようでもあります。

 

『劉半農偵探小説集』(著:劉半農)

 白話と文言の探偵小説で、8篇が収録されています。著者の劉半農は『シャーロック・ホームズ』の翻訳者でもあります。本書に収録されている全5篇の『ホームズの大失敗』は、イギリスから上海に来たホームズが中国でいろいろひどい目に遭うという、ユーモアというにはちょっと毒が強い同人的ミステリーです。

『ホームズの大失敗』第1篇「ホームズさん、やめてくれよ」では、ホームズのもとに訪れた中国人が、ホームズの実力を試すために自分が何者で、どういう職業で、最近何をしたかなどを当てさせる。ホームズはよし来たとばかりに、客は裕福な身分で、礼儀正しいのは教養を受けた証拠であり、指に赤インクがついているのは教員だからで、履物に泥が付いているのはサッカーをやっていたからだ、などと推理するが……

 5編全部読んだわけではありませんが、全部ホームズを愚弄する内容のようです。イギリスの常識で上海の人間を推し量る滑稽さを書いたのでしょうか。要するに、中国を舞台にしたミステリー小説を書くに当たっては、単純にホームズのような名探偵を外国から連れて来るだけじゃなく、探偵は中国の事情をよく知っていないといけないという劉半農なりの忠告かもしれません。それともホームズ(イギリス人)のことが嫌いで、同人誌で憂さ晴らしをしていただけかもしれませんが。

 この4冊からは、1900年代初期の中国がホームズなどの西洋の探偵小説をどのように楽しみ、どのように自分のものにしていったかという変遷などがうかがいしれます。この4冊は内山書店などで売られているようなので、民国時代のミステリー小説に興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか。

 次回はこの叢書の編纂者・華斯比のインタビュー内容を掲載する予定です。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
・Twitter http://twitter.com/ajing25
・マイクロブログ http://weibo.com/u/1937491737







現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


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