動きがあって派手でなにかしら楽しさのある本が読みたくてKindleライブラリを遡り、目に留まった作品はたしか対極のタイトルに惹かれたもの。“Cinnamon and Gunpowder”(2013)、海賊船が舞台のチャレンジ・クッキング冒険小説です。

 19世紀前半、一流の腕をもつ料理人ウェッジウッドは、インド洋の鮫とおそれられる赤髪の海賊マッド・ハンナ・マボットにさらわれます。
 そもそもウェッジウッドはペンドルトン貿易会社重役ラムジー卿お抱えのシェフでした。ラムジー卿はマボットに会社の荷を狙われることに業を煮やし、科学者に出資して高性能の武器を商船に搭載させて彼女に報復、ふたりは憎みあう関係に。ロンドンを離れてイングランド沿岸の友人宅までラムジー卿に同行し、絶品料理をふるまっていたウェッジウッドの目の前で、マボットと手下たちに奇襲をかけられたラムジー卿は殺害されます。テーブルの料理を口にしたマボットは有無を言わさず、ウェッジウッドを拉致して彼女のフライング・ローズ号へ。普段はクルーの士気を下げないために同じものを食べているが、船長としてときには別格であるところを見せる必要もあり、週に一度、日曜に自分だけに毎回異なる特別料理を作り、満足がいけば、命を奪うことはないし、待遇も改善していくという契約を彼女は提示します。
 問題は物資と設備。ウェッジウッドは陸の屋敷であれば、楽しんでもらえる料理を提供できる自信はありますが、イングランドからアフリカ大陸沿いを南下し、そして東へと進む海賊船の食品庫には塩、黒胡椒、ラード、ニンニク、糖蜜、ライム、乾燥いちじく、レーズン、クルミ、なにかしらの白い豆、ココナッツ、米、砂に埋めたジャガイモ、乾パン、保存用に火薬をまぶしたなにかよくわからない硬い肉、挽き割りトウモロコシ、小麦粉、チーズらしきもの、ラム酒、ワイン、ビールその他少々、という感じで、ハーブや新鮮な野菜や果物、バターや牛乳や卵はもちろんなくて、なにより真水がないのが致命的でした。調理室にはちゃんとしたキッチン用ストーブは言うまでもなく、泡立て器さえありません。調理していると船は揺れるし。クルーの食事を受けもつコックもあまりあてにできそうにない。
 マボットはペンドルトン貿易会社にかかわる例の科学者とも因縁があり、阿片を憎む彼女は会社の広東拠点に運びこまれる阿片をくすねて財を成しているという曲者“ブラス・フォックス”を執拗に追ってもいて、フライング・ローズ号は戦闘が絶えず、とばっちりでウェッジウッドはさんざんな目に遭います。しかし、泣いてもどうにもなりません。生きるために、初めての子供と共に世を去った愛妻の面影を心の拠り所に、料理はまず清潔な手から! という修業時代の教えを思いだし、調理場の灰を集めて石鹸を作るところから始めます。天然酵母から起こすパン種作りに苦心すれば、ブリキの容器にパン種を入れて首からぶら下げ、自分の体温で母さん鶏のように温めます。日曜日の準備を進めながらも、機会があれば船から逃げだすための準備も怠らないウェッジウッドは、まったく違う世界で生きてきたマボットと反発しあうのですが、次第に彼女を通していままで見えていなかったことを知るように。

 料理場面の楽しいことったらありません。上記に紹介した食材で、ウェッジウッドは身につけていた(めっちゃ納得できるいい理由あり)サフランを足して素晴らしい最初の3品コースを仕上げます。工夫がいっぱいの調理過程はパズルを解いていくようでわくわくしたし、料理にからむ文章もいい。日曜ディナーはすべて読み応えありです。航程が進むにつれ、あらたな食材を手に入れることができ、幅が広がってレベルアップしていくのもRPGに通じる面白さがあります。
 料理+冒険小説は楽しそうだという第一印象に外れなしだったんですが、本書は価値観の変化を丁寧に描きだした部分が秀逸だという感想を強くもちました。当時の阿片や奴隷の問題を反映させ、出自はどちらも孤児でありながら、修道院で料理の修業に専念できたウェッジウッドが、女として厳しい道に放りこまれ、非情になるしかなかったけれど、人道的な視点を失わなかったマボットと会話を重ね、現実に目の前で起こっていることを見て、感じ、自分の頭で考え、いままでの固定観念を少しずつ解き放っていきます。さまざまな地域から、さまざまな背景をもつ者たちが集まる海賊船という環境は、二転三転する冒険小説としてもうってつけでしたし、多様な意見にふれる機会の重要さを描く上でもぴったりでした。脇役のクルーも、マボットの右腕で船員たちのために編み物をするのが趣味の巨漢、影のある中国人激強武闘家の双子、耳の聞こえない心優しいキャビンボーイとバックストーリーまで含めてどれも鮮やかで魅力的。ここまでさんざん楽しかった、と書きましたが、読後のこのなんとも言えない寂しさが残るのは良書のしるしなんだろうな。

 著者イーライ・ブラウンは同姓同名の俳優やミュージシャンもいますが、そちらとは別人です。子供時代は世界の神話に興味をもち、ミルズ・カレッジで美術学修士号取得、用地管理人、マッサージ師、専業主夫として過ごし、現在はガーデニングと発酵食品作りに満足し、家族と北カリフォルニア在住とのこと。本書はカリフォルニア・ブック・アワード候補となり、他の作品に “The Great Days” (2008、ファブリ文学賞受賞)、“The Feasts of Tre-Mang”(2014)、“Oddity”(2021)があります。

三角和代(みすみ かずよ)
訳書にジョンスン『猫の街から世界を夢見る』、カー『死者はよみがえる』、トルーヘン『七人の暗殺者』、リングランド『赤の大地と失われた花』、タートン『イヴリン嬢は七回殺される』他。ツイッター・アカウントは@kzyfizzy

●AmazonJPで三角和代さんの訳書をさがす●
【原書レビュー】え、こんな作品が未訳なの!? バックナンバー一覧