「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 カート・キャノンについての話をしたい。
 というよりも、マット・コーデルの話をしたい。
 ……と、書いただけだと古い海外ミステリに詳しくない方は何の話か分からないでしょうし、詳しい方は詳しい方で「それは同じキャラクターのことじゃないか」と首を傾げてしまうことでしょう。
 カート・キャノンというのは、エヴァン・ハンターの数ある筆名の一つです。
 この名前で書かれた小説は作者と同名の主人公が活躍するという趣向になっていて、短編集I Like’Em Tough(1958)と長編『よみがえる拳銃』(1958)の二冊が刊行されています。いずれも邦訳されており(にも関わらず前者を原題で書いている理由は後述します)日本では〈酔いどれ探偵〉シリーズとして愛されています。
 妻と浮気相手の情事を目撃し、カッとなって暴行したことによってライセンスを取り上げられてしまった元私立探偵。今や残っているのは命だけ。酒浸りで浮浪者同然の生活はしているが、それでもまだ彼を頼ってくる人間はいる。キャノンは彼らのことを見捨てられない……
 浪花節な、泣かせる基本設定がウケたのでしょうか。日本版《マンハント》で訳出された当初から人気のあるシリーズだったとのことで、原作のストックが切れたあとに訳者の都筑道夫が本国のエージェントから許可を取ってオリジナルのキャノンものを書き継いだくらいです。
 ではマット・コーデルとは何者か。
 実はカート・キャノンものの短編が本国版《マンハント》で連載されていた時の主人公の名前なのです。この時は筆名も本名のハンターでの掲載でした。I Like’Em Toughに短編がまとめられた際に、筆名と主人公の名前をカート・キャノンに変えたのです。
 この改名作業は、本当に主人公の名前を付け替えたのみだったようです。
 僕の手元には「善人と死人と」(1953)の掲載号の本国版《マンハント》があるのですが、現在Kindleで購入できるI Like’Em Toughの文章と比べてみても、ところどころに細かい修正が入っている以外は話の筋は勿論、地の文も会話も同一です。
 というわけで、冒頭の話に戻ってきます。
 つまりキャノンもコーデルも、同じキャラクターじゃないか。
 僕は、違うと思うのです。
 本国版《マンハント》誌上で発表された八編のコーデルものの短編のうち、二編にはキャノン・バージョンが存在しません。
 本にまとめる際に「抱かれにきた女」(1954)「街には拳固の雨がふる」(1954)が省かれているのです。
 これがI Like’Em Toughと原題で書いている理由です。I Like’Em Toughの邦訳として刊行された『酔いどれ探偵街を行く』には上記の二編もキャノンものとして収録されているのです(ポケミス版では更に都筑の贋作「背中の女」(1960)も収録)。
 本来、この二編はコーデルだけの物語なのです。
 一方、長編『よみがえる拳銃』はペーパーバックオリジナルなので、最初からキャノンの名前で書かれています。こちらはキャノンだけの物語といえるでしょう。
 ここの差異が僕には重要に思えて仕方ないのです。
 この違いによって、二人が別のキャラクターになっている。
 そして、僕が事あるごとに思い出してしまうのはコーデルの方なのです。

   *

 キャノン/コーデルものの魅力はなんといっても過去の亡霊に追われる探偵という造形にあります。
 彼は何度も、自分のことを幽霊や死人だと自嘲します。酒を飲むのは全てを持っていたあの頃の自分から逃げるためです。
 彼のもとに依頼しにくるのも同様に幽霊や幻にとり憑かれてしまっている人々です。
 初登場の「幽霊は死なず」(1953)のラストシーンの「幽霊のことなら、なにからなにまで、おれはよく知っているのだ。」という一文は、このシリーズのポイントがどこにあるのかを端的に説明した文章でしょう。
 幽霊のように生きている彼だからこそ見つけられてしまうもの、解けてしまうものが綴られていくシリーズなのです。
 そして、キャノンとコーデルの違いについて考える際、このポイントが重要になってきます。
 結論から先に言うと、キャノンは幽霊から逃げられません。
 対し、コーデルは逃げることに成功してしまうのです。
 キャノンだけの物語である『よみがえる拳銃』は、それまでのシリーズ作品をそのまま長編化したような作品です。
 旧友から受けた仕事が殺人事件へと発展し、キャノンはかつて自分が持っていたものを思い出しながら、関係者の裏にあるものを探っていく。
 ここにいるのは「幽霊は死なず」からずっと変わらないキャノンで、彼が一人、また飲んだくれの生活へと戻っていくラストシーンまで徹頭徹尾、過去に苛まれる男として描かれています。
 対しコーデルだけの物語はどうか。
 まず「抱かれにきた女」がシリーズ読者にとって衝撃的な一編です。
 この話ではなんと、コーデルの別れた妻が登場するのです。よりを戻そうと言ってくる彼女をコーデルは困惑しながらも受け入れるが……という筋で、その先でコーデルは妻とも、私立探偵だった自分自身とも訣別せざるを得ない状況に陥る。
 具体的にどうなるかはネタばらしになるから触れられませんが、予想外の形でコーデルはかつての自分と……幽霊と、決着をつけます。
 そして続く「街には拳固の雨がふる」でその先の話が語られる。
 ここにはもう、全てを失いながらも過去のことを捨てきれない男はいません。
 けれど、それで幸せとか、立ち直ったというわけではない。
 見方によってはより惨めですらある。それがコーデルがこの二編で進んだ道なのです。

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 日本版《マンハント》での訳出の時点で都筑はキャノンの名前の方を使っていましたので、そもそも日本語でコーデルとして訳された作品自体がないのですが、一編だけ例外があります。
 ハンター名義の短編集『ジャングル・キッド』(1956)に「殴る」というタイトルで「街には拳固の雨がふる」が主人公名がコーデルのまま訳されているのです。
 例の如く、文章も話の筋もほぼ同じなのですが「街には拳固の雨がふる」の方にはある前話までの彼について触れている段落がありません。本国版《マンハント》掲載時にはあるようなので、『ジャングル・キッド』に収録する際に削ったものと思われます。
 それもあって、「殴る」はまるでノンシリーズのような……前話までのコーデルと切り離された人間の物語のような読み心地の一編です。
 読んでいて、コーデルは、幽霊ですらなくなってしまったんだな、と感じさせます。

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 本連載はこれまで一作家一回という原則のもと続けてきました。
 エヴァン・ハンターは既に『ハナの差』を取り上げていますので、二度目の登場ということになります。再三書いてきた通りコーデルはあくまでハンター名義でのキャラクターなので、別名義という言い訳も苦しいかもしれません。
 それでもこの連載で彼のことを書いておきたかったのです。それほど、この作品が心の中に刻まれてしまっている。
 初めて読んでからもう数年が経ちますが、僕はふとした時につい思いを馳せてしまいます。
 強面の私立探偵でも、幽霊でもないコーデルは、あの後どうなったのだろうか、と。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人五年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby