過去から現在に至るまで、国を問わず、子どもが行方不明になる悲劇が数多く起こっている。1944年9月5日、ミネソタ州のペインズヴィルという町で、6歳になる少年、ジャッキー・シールが小学校の初日に忽然と姿を消した。その日、昼食をとるために自宅に戻ることになっていたのだが、ジャッキーは予定の時間より早く学校を出たあと、行方がわからなくなった。その後、懸命な捜索がつづけられたものの、手がかりは少なく、事件から80年近く経った今も、ジャッキーの身に何が起きたのかはわかっていない。

 この事件に着想を得て書かれたのが、今回ご紹介するジェス・ルーリーの “Bloodline” (2021)です。

 1968年、ミネソタ州ミネアポリスに暮らすジャーナリストのジョアンは、都会の生活に疲れていた。そんな折、路上強盗にあい、恐怖をおぼえたこともあって、彼女は婚約者のデックの提案を受け入れ、彼の生まれ故郷である同州の町リリーデールに居を移すことにした。
 お腹にはデックの子どもが宿っており、リリーデールで仕事をしながら、親子3人で落ち着いた生活をするはずだった。

 リリーデールはミネアポリスに比べるとはるかに小さな町で、隣人たちは「町民はみな家族」と思っているような人ばかりだった。ジョアンたちが引っ越してきた日から、隣人たちは長年の知り合いであるかのように親しげにジョアンに接し、プライベートな領域にも遠慮なく踏み込んできた。そういった人間関係に理解を示すと同時に、都会育ちのジョアンは常に誰かに見張られている気分におちいっていく。さらには、現実なのか妄想なのか、ミネアポリスで彼女を襲った強盗の姿をリリーデールで見かけるようになる。

 ジョアンはそんな自分に折り合いをつけながら、地元紙の〈リリーデール・ガゼット〉でジャーナリストとして働き始める。
 リリーデールでは、1944年に6歳の少年、ポーリー・アーンデグが小学校の初日に行方知れずになるという事件が発生していた。警察も事件解決の糸口をほとんど見つけられないといった状況のなか、女手ひとつでポーリーを育てていた母親は町を離れ、その後、ふたりが住んでいた家は火事で焼け落ちてしまっていた。

 ジョアンがこの町に越してきた同年9月5日、ポーリーが町に戻ってきたという話が彼女の耳に飛び込んできた。ジョアンは上司の許可を得て、この一件を調べることになった。当時を知る人たちに話を聞こうとするが、住人の口は重たく、事件解明につながるような情報はなかなか得られなかった。

 そんなある日、ポーリーがジョアンと話をしたいとやってくる。彼はクリス・ジェファーソンという名前になっていたが、自分がポーリーだと主張した。失踪当日の記憶はあいまいで、学校をひとりで出たことは憶えていたものの、つぎに記憶にあるのは、彼の父親だと称する男とサンディエゴにいたことだった。父親は退役軍人で、すぐに手をあげる、ポーリーいわく“ろくでもない男”だった。そんな父親に耐えかね、ポーリーは家を飛び出しフロリダに行ったという。しかし、その後何をしていたのか、なぜリリーデールに戻ってきたのかについては多くを語らなかった。

 この男性がポーリーだと断定できる証拠はなく、ジョアンは調べを進めるが、これといった決め手は見つからなかった。1944年に実際は何があったのか、その後に起きた彼の自宅の火災は事件に関係があるのか、真相は完全に闇の中のように思われた。やがて、ジョアンは町民たちの様子から、彼らが何かもっと知っているのではないか、もしかしたら彼ら自身が事件に関わっているのではないかという疑念を募らせていく。

 本書についてネットには、アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』を引き合いに出す声が多くあがっている。初めて会うジョアンに気さくに接する隣人たちは、一見すれば親切そうな人ばかりだが、小さなコミュニティであるがゆえ、よくも悪くも結束が固く、地元で起きた事件には封をしようとする隠蔽体質も感じられる。穏やかそうな町の雰囲気の裏に、何か不穏な空気が流れているような不気味さが、『ローズマリーの赤ちゃん』のそれに通じるところがあるのだろう。また、ジョアンは生活環境が変わったせいか、妊娠のせいか、精神状態が不安定で、彼女の思考にはどこか妄想が混じっているのではないかと思える。それが本書に漂う不気味さに輪をかけている。謎解きよりもホラー的な要素が好きな読者にお勧めの作品だ。

 著者のジェス・ルーリーは多彩な作家のようで、ロマンティックコメディやサスペンス、ファンタジーなどから、ヤングアダルトやノンフィクションまで幅広いジャンルの本を手がけている。エドガー賞やアガサ賞、レフティ賞の候補に挙がったこともあり、本年2021年には “Unspeakable Things”(2020)でアンソニー賞を受賞している。

高橋知子(たかはしともこ)
翻訳者。訳書にチャールズ・ブラント『アイリッシュマン』、ジョン・エルダー・ロビソン『ひとの気持ちが聴こえたら 私のアスペルガー治療記』、ジョン・サンドロリーニ『愛しき女に最後の一杯を』、ジョン・ケンプ『世界シネマ大事典』(共訳)、ロバート・アープ『世界の名言名句1001』(共訳)など。趣味は海外ドラマ鑑賞。お気に入りは『シカゴ・ファイア』『THIS IS US』

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